富山の八尾に伝わる「風の盆」は、どういうわけなのか分からないけれど人気があって、本祭りといわれる9月の1・2・3日の3日間には大勢の人が訪れるそうだ。祭りを見ようとしても宿の予約を1年以上前からしておかないと無理だとも言われている。どうしてそんなに人々の心を惹きつけるのだろうと興味はあった。私が始めてこの祭りを知ったのは、友人の女性が「読んでみて」と貸してくれた、高橋治さんの小説『風の盆恋歌』からだ。物語は心中に終わる悲恋というか、不倫の恋の悲しさだった。手元に小説がないので、ぼんやりとしか覚えていないけれど、芙蓉の描写がとても妖艶だったという印象が強く残っている。
その後、石川さゆりさんがなかにし礼作詞、三木たかし作曲の同名の歌を歌ったことで全国的にヒットしたような気がする。テレビドラマにもなったそうだけれど、私は知らずにいた。歌の内容も悲しさと怨念に満ちていたように思う。そんなことで、八尾という土地は美しい悲恋の舞台というイメージが私の中に出来上がっていた。カミさんが「風の盆の特別企画があるから行ってみない」と言う。特別企画というのはクラブツーリズムという旅行会社が主催する『月見のおわら』のことである。八尾という土地と踊りを直接見ることが出来るというので了承した。
八尾は絶壁のような崖の上にある細長い町だった。駐車場から見上げると、町並みはまるで不夜城のような雰囲気さえ漂わせていた。川を渡り、急な坂をハアハアと大勢の人々が上っていく。全国からこの企画に集まった旅行客の皆さんだ。この夜は3千人余だという。街に行き交う地元の人はいない。居るのは観光客目当てのお店の人たちだけだ。そう思いながら進んでいくと、交通整理をする人、踊りの世話役、そして案内係や進行係、主役の踊り手や歌や演奏の人々が目に入ってきた。午後7時30分、踊りの集団が動き出すと、どこからか街の人々も集まってきた。それでも沿道を埋め尽くし、街中をウロウロと徘徊するのは観光客ばかりだ。
クラブツーリズム社の企画でもこれだけの人々が街中に溢れているのだから、本祭りは身動きもできないと言われているのは本当だろう。この小さな街に1日3万人の人が押し寄せるので、充分に踊りを見ることが出来ない。『月見のおわら』は本祭りと同じように行なわれているのだが、旅行会社が企画するという点も面白い。しかし、大変な苦労だなと他人事ながら感心してしまった。街の人の話では、踊ることは誇りであり、子どもたちも小さな時から踊り手になろうと練習に励むのだそうだ。「この時ばかりはスターですからね」とも言う。
踊る姿はとても妖艶だ。そういう内容の踊りなのだろうと先入観を持っていたけれど、説明を聞いてビックリした。農作業を踊りにしたもので、悲しい恋の物語はどこにもなかった。そうであるのに、編み笠をかぶる踊り手の顔を見ることは出来ない。もちろん、どこかのおばさんたちのように踊り手の前に進み出て無理やり見上げれば見ることはできる。「すごいイケメンのお兄ちゃんだった」と大喜びのオバサン軍団に祭りの世話役の人たちも制止させるのに困り果てていた。私は女性の踊り手さんを目で追っていたが、白い指先の動きはなぜかゾクッとさせられるし、細く長い首はとても色っぽい。どんな顔の女性なのだろうとやはり覗き込んでみたくなる。
「風の盆」をもう一度みたいとは思わないけれど、確かにここには何かがある、そんな気がした。
その後、石川さゆりさんがなかにし礼作詞、三木たかし作曲の同名の歌を歌ったことで全国的にヒットしたような気がする。テレビドラマにもなったそうだけれど、私は知らずにいた。歌の内容も悲しさと怨念に満ちていたように思う。そんなことで、八尾という土地は美しい悲恋の舞台というイメージが私の中に出来上がっていた。カミさんが「風の盆の特別企画があるから行ってみない」と言う。特別企画というのはクラブツーリズムという旅行会社が主催する『月見のおわら』のことである。八尾という土地と踊りを直接見ることが出来るというので了承した。
八尾は絶壁のような崖の上にある細長い町だった。駐車場から見上げると、町並みはまるで不夜城のような雰囲気さえ漂わせていた。川を渡り、急な坂をハアハアと大勢の人々が上っていく。全国からこの企画に集まった旅行客の皆さんだ。この夜は3千人余だという。街に行き交う地元の人はいない。居るのは観光客目当てのお店の人たちだけだ。そう思いながら進んでいくと、交通整理をする人、踊りの世話役、そして案内係や進行係、主役の踊り手や歌や演奏の人々が目に入ってきた。午後7時30分、踊りの集団が動き出すと、どこからか街の人々も集まってきた。それでも沿道を埋め尽くし、街中をウロウロと徘徊するのは観光客ばかりだ。
クラブツーリズム社の企画でもこれだけの人々が街中に溢れているのだから、本祭りは身動きもできないと言われているのは本当だろう。この小さな街に1日3万人の人が押し寄せるので、充分に踊りを見ることが出来ない。『月見のおわら』は本祭りと同じように行なわれているのだが、旅行会社が企画するという点も面白い。しかし、大変な苦労だなと他人事ながら感心してしまった。街の人の話では、踊ることは誇りであり、子どもたちも小さな時から踊り手になろうと練習に励むのだそうだ。「この時ばかりはスターですからね」とも言う。
踊る姿はとても妖艶だ。そういう内容の踊りなのだろうと先入観を持っていたけれど、説明を聞いてビックリした。農作業を踊りにしたもので、悲しい恋の物語はどこにもなかった。そうであるのに、編み笠をかぶる踊り手の顔を見ることは出来ない。もちろん、どこかのおばさんたちのように踊り手の前に進み出て無理やり見上げれば見ることはできる。「すごいイケメンのお兄ちゃんだった」と大喜びのオバサン軍団に祭りの世話役の人たちも制止させるのに困り果てていた。私は女性の踊り手さんを目で追っていたが、白い指先の動きはなぜかゾクッとさせられるし、細く長い首はとても色っぽい。どんな顔の女性なのだろうとやはり覗き込んでみたくなる。
「風の盆」をもう一度みたいとは思わないけれど、確かにここには何かがある、そんな気がした。