友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間には現在と未来しかない

2012年06月30日 18時40分35秒 | Weblog

 とうとう6月30日になってしまった。今年も半年が過ぎていった。今日、井戸掘りをしていた時、先輩が面白いことを言った。昨日までは1日に4メートル掘り下げることが出来たのに、今日はそういかなかった。固い地層に出会ったようで、1時間かけても10センチほどしか掘り進めない。ひとりが「掘れないねえ」と嘆き、希望を失いかけた時だ。

 「人生には未来と現在しかない。未来は想像できる。しかも創造も出来る。しかし、過去は現在の積み重ねでしかない」と言う。「まるで哲学者だねえ」とみんなで冷やかすと、「だってそうだろう。過去は思い出せても取り返すことは出来ない。未来は予想し、修正することだって出来る。野球をするだろう。打った瞬間は現在だ。しかしその時、野手はどこに飛んでくるかを予想して動く。打者もセーフになるように走る。だから、人間の社会には現在と未来しかないのだ」とムキになって説明した。

 掘れないことを嘆くヒマがあったら、掘ることを考えよというわけだ。そんな話から、「昔の人は偉いよ」ということになった。現在に生きる私たちは、「ちょっと掘れなくなったからとすぐに他にいい方法はないかと考える。昔の人もきっと考えたはずだが、情報量が違うから、自分たちが持っている範囲でしか思考は出来ない。その結果、ただひたすら水が出るまで掘る以外になかっただろう。黙々と同じ作業をくり返し、水脈に当たることを祈っていたと思うね」。「機械文明の発達で、人間は楽をして結果を出す思考になってしまった」。「そうかも知れないね」。

 機械文明の発達で、人間は労働時間を短縮して生きていけるようになったはずだ。ほんの少し前の時代と比較しても、その生産能力は桁違いに伸びている。だから人類全体では富は増え、豊かさは保証されたはずだ。しかし、現実には食べていけない人が増えている。若い人の働く場所がない。そんなことはない、選り好みしなければいくらでもあると言う反論もある。どっちが本当なのか分からないけれど、若い人たちの思いや考え方は、年寄りには何時の時代も理解されにくい。

 老後をどこでどう過ごすか。そんな話になった時、「年寄りを福島に集めたらいい」という冗談が飛んだ。私はその考えは面白いなと思った。人はただ存在しているだけでは生きていけない。年老いて、社会的な生産力にはなれなくても、何か意味のある、価値のあることに関わりたい。福島で老後を過ごすなら、こういう仕事がある、そのためには生活はこのようにできる、そんな仕組みが発表されれば賛同する人たちもいるだろう。

 井戸掘りの方は、道具のひとつが壊れて修復不能となり、今日の作業を終了した。帰宅の途中でその部品を買い、明日こそは最後の山場だと決意を新たにする。決意が現在なら、未来はどうなるかだけれど、予想では水脈に到達するはずだがその根拠は希薄だ。それでもやってみなければ分からない。

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運命が変わることはない

2012年06月29日 22時03分02秒 | Weblog

 高校3年の孫娘がやって来て、「夏休みはバッチリ勉強計画を立てる」と言う。進学塾の夏期講習を受け、予備校の自習室で勉強する予定らしい。あんまり張り切ると計画した段階で、満足してしまうことになりかねない。料理をする前から、あれこれとレシピを眺め、それだけでお腹がいっぱいになってしまう人もいる。「そこそこの方がいいよ」と言いたいけれど、そんなことを言ったなら、本当にそこそこどころか、そこにまで至らなくなってしまうだろう。

 私は自分の高校3年の夏休みを思い出し、どうしてあんなに自分を追い込んでしまったのかと思う。私は地方の普通高校へ通っていた。父親も兄もその学校の卒業生で、その地域では名門の進学校だった。しかし、私の期待していた高校と違い、まるで予備校ではないかと、実際に予備校へ行ったこともないのに思った。新聞部にいたから、「高校はこれでいいのか」という主張をしていた。新聞に書くだけでなく、学校が行なっていたゼロ時間授業とか、7時間授業は一切出ないと決めていた。出席すれば予備校化に加担することになるという勝手な理屈だった。

 夏休みも補習授業が行なわれたけれど、それに抗するために一人旅を計画した。いや、計画を立ててははダメだ。無計画こそが重要だと考えた。そうは言っても、目的がなくては動くことも出来ない。小学校の修学旅行で行った京都と奈良をもう一度見ようと思った。京都は美しかったけれど観光地化され過ぎている。奈良はまだ静かな田舎臭さが残っている。その違いを自分の目でもう一度確かめたいと思った。それに、『山椒太夫』の話では確か日本海から京都へ入るから、私も日本海へ出てそれから京都へ行こうと思った。

 父親が佐渡から出した手紙に、「日本海は太平洋と違って海の色が黒い」といったことが書かれていたことも、日本海を見たいという気持ちの原因だ。新潟へ向かえばよかったが、それではお金がかかりすぎるので、若狭の小浜で1泊し、丹後から京都へバスで行くつもりだった。しかし、その路線は廃止になっていた。そんなこんなの気ままな一人旅だった。京都駅前で旅館を探していたら、変なおにいちゃんに呼び止められて、狭い部屋で1泊することになった。

 奈良で法隆寺を見たかったので、車内で出会った女性に「旅館はありますか?」とたずねた。24~5歳のキレイな人で、どこから来たのとか何しに行くのとか話しているうちに、「じゃあ、私が案内してあげる」と法隆寺駅で一緒に降りて、旅館まで歩いた。翌朝、来てくれるようなことを言っていたけれど、実現しなかった。いや、私が先に旅館を出てしまったのかも知れない。旅先で生まれた淡い恋のように私が勝手に思い込んだのかも知れない。

 室生寺でスケッチブックに写生をしていたら、やはり高校生か中学生くらいの瞳が可愛い女生徒が話しかけてきた。住所を書いた紙をもらったけれど、結局手紙は出さなかった。ガリガリ勉強している連中より自分は大人になったと思い、それで充分満足してしまった。あの時、孫娘のようにバッチリ勉強しておけばよかったのかも知れない。それでも運命はそんなに大きく変わることはなかっただろう。

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「仕事が楽しみなら、人生は極楽だ」

2012年06月28日 19時32分55秒 | Weblog

 今日は雨の予報だったが、昼からは太陽の光が届く時もあった。午前中だけでも井戸掘りが出来るならと出かけたが、良い天気に恵まれて仕事は進んだ。昨日は4メートル掘り進み、今日も同じ4メートル掘ることが出来た。8メートルも掘れたのだから、ここら辺りで水の気配が欲しいところだが、楽しみは土曜日まで待つことにした。

 井戸のイメージとしては、底を覗き込むと水面が見える掘り井戸だけれど、私たちが行なっているのは打ち込み井戸で、地表から管を水脈まで下ろして汲み上げる方式である。地質の固いところで昔の人が行なったように、人の手で井戸を掘り進めたこともあるがこれは例外である。土の中に入って穴を掘るのためには広い場所が必要であるし、何よりも安全対策が要る。これに対して、管を使って掘り下げていく工法は危険性が低く、深いところまで掘ることが出来る。

 今、頼まれているところは尾張丘陵地にあるから、粘土質のため私たちの工法では1日に4メートルも進めば順調である。しかし、固い地層にぶつかるとなかなか掘り進めないので、つい他にもっと楽にほれる方法はないかと考えてしまう。我慢して続ければ、そのうち目途がつくのに、それが出来ないのだ。

 ロシアの作家、マクシム・ゴーリキーは「仕事が楽しみなら、人生は極楽だ。仕事が義務なら、人生は地獄だ。今日も働いて食べた。明日も働いて食べるだろう。そうやって自分の一生を働いて食べ続けるだけだったら、そこに何か立派なことがあると言えるのか」と書いている。若い頃はゴーリキーの言うとおりだと思った。ところがどうだろう、井戸掘りをしている仲間はみんな私よりも年上の人たちで、社会的な労働を終えた人たちである。

 お昼に、みんなで一緒にご飯を食べる。それ以外は年に1回、研修という名の飲み会と、年に1回の忘年会か新年会を行なっているが、働いた分の報酬を支払うまでに至っていない。じゃあ、何が楽しみで働いているのかと言えば、水が出た時の喜びと、仲間とバカ話をして食事をしたり、酒を酌み交わすことにある。仕事が楽しみなのだから、「人生は極楽」と言える。

 タバコがやめられない人、お酒が好きで人と話すことが好きな人、食べることが好きで自ら料理をしてでも美味しいものが食べたい人たちだ。医者から「タバコはやめた方がいい」とか、「お酒はやめた方がいい」と言われても、「ここまで生きてきて、他に何を楽しみに生きろというのか」と聞く耳を持たない。好きなものを食べ、好きなことをして生きていきたい。それで死期が早くなるなら本望である。私も次第に先輩たちに学ぶようになった。

 ゴーリキーはボリシェヴィキに加入するが、ロシア革命の直後にこんな手紙を書いている。「レーニンもトロツキーも自由と人権について、いかなる考えも持ち合わせていない。彼らは既に権力の毒に冒されている」。これに対してレーニンはゴーリキーに、「君に忠告する。環境とものの見方、行動を変えるべきだ。さもなくば人生は君から遠ざかってしまうだろう」と手紙を書いている。権力を手にすると、人は変わっていく。

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パスカルの言葉を思い出した

2012年06月27日 20時54分49秒 | Weblog

 7月になると3歳になる孫娘が、高校3年生の孫娘に連れられて、昨夜我が家にやって来た。母親が歯医者に行くのでその間、面倒をみて欲しいというのだ。ところが、3歳になる孫娘は歯科医院で母親と別れた時から大泣きで、「ママ、ママ」と叫んでいる。母親の力が偉大なのか、孫娘が甘えん坊なのか、母親と別れることを一番嫌がっている。朝、保育園に行く時はどうなの知らないが、高校生の孫娘も同じ年の頃、母親が夜勤で出かける時は大変で、姿が見えなくなるまで泣いていた。幼い子どもにとって、母親ほど安心していられる存在はないのだ。

 孫娘をよく見ると、大泣きしているけれど、悲しいといった感情とは違うように思った。赤ん坊は言葉を知らないから、とにかく泣くことで何かを知らせる他ない。3歳になる孫娘も随分と言葉を使うようになってきたけれど、微妙なものはまだ人に伝えることが出来ないから、赤子と同じように泣いて伝えようとしているのだ。そういうことが分かってくると、黙らせるというよりは安心させればいいのだと分かる。カミさんは「手を洗って、一緒に食べようか」とか言いながら、カミさんのペースに持っていく。次第に、泣くよりは食べる方に関心がいき、いつの間にか泣き止んでしまった。

 泣き止んでしまえば、後は3歳の孫娘のペースである。私の部屋にやってきて、飾り棚の中にある玩具を散り出して話しかけてくる。「ママはどうしたの?」と意地悪く聞くと、「ママ、お口痛いの。バイキンがいっぱいだから」とケロリとして言う。「歯磨きしないとお口痛くなるよね」と言えば、「ウン、お口にバイキンいっぱい」と顔をしかめて見せてくれた。「あなたは歯磨きしているの?」とたずねると、「ちゃんとしているの。オリコウ」と自分で言う。充分に会話は成り立つし、因果関係も分かっている。「電車が来るね」と踏み切りの警報音を聞き取るし、電車が通り過ぎると鳴き出すカエルに「カエルもいるね」と言う。ふたりで長い時間、玩具を片手に、電車やカエルや踏切の音など、片言の会話が弾んだ。

 テレビで、民主党のドタバタ劇を観ていて、フランスの物理学者、パスカルの言葉を思い出す。「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。正義と力を結合させねばならない」。一体どちらに正義があり、どちらに力があるのだろう。パスカルの有名な言葉、「人間は自然のうちで最も弱い1本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である」。なるほどうまいことを言う。パスカルは江戸時代の初期の頃であるから、そういう時代にこんな風に人間を観察していたのかと驚かされる。ちなみに、27歳で「パスカルの原理」を発見し、31歳の時に僧院に入り、39歳でこの世を去っている。

 パスカルの言葉をもう少し引用しておこう。「人間は天使でもなければ獣でもない。しかし、不幸なことには、人間は天使のように行動しようと欲しながら、獣のように行動してしまう」。高校生の時にパスカルの言葉に出会ったが、それから50年も経つのにまだ克服できていない。高校生の孫娘、そして3歳になる孫娘、ふたりはどんな人生を歩くのだろう。世の中が今とは全く違う世界になっているのだろうか。

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一任なんておかしいと思う

2012年06月26日 23時02分20秒 | Weblog

 今日の衆議院本会議で、消費税増税案に対して民主党議員の57人が反対票を投じ、16人が棄権または欠席した。これに対して民主党はこれらの造反者の処分を野田党首と輿石幹事長に一任するという。一方、党首が政治生命をかけるとまで表明した法案に反対した民主党議員は、「これからのことは私ひとりに任せて欲しいということで、みなさんに了承していただいた」と小沢さんが言うのが正しければ、これから先のことを小沢さんに一任した。

 これって、おかしくないだろうか。国会議員にまでなった大人なのに、消費税増税に賛成した議員も反対した議員も、自分の意思をひとりあるいはふたりの人に任せしてしまう。これではまるで、小学生の議論と同じではないのか。いや、小学生でもちょっとおませな子なら、ハッキリと自分はこう思うと発言する。いや、私はこう思うと発言してこそ大人の議論というものではないだろうか。

 大人は真摯に深く議論なんかせずに、「一任、一任」と言ってきた。確かに自分はこう思うと発言すると、「うるさいヤツだ」と敬遠されたりする。「細かいことは言わずに、それなりの人に任せておけばいいのだ」という空気がある。そうすれば自分が責任を負うことはないし、うまくいけば任せた人から「ありがとう」と感謝される。仮にうまくいかなくても、その時は任せたヤツの力が無かったと逃げることも出来る。そうした言動こそが大人なのだと思われてきた。

 だから、私たちは議論が下手だ。議論するとケンカしているように思ってしまう。自分の意見を述べ、相手の意見を聴き、互いの意見の矛盾や弱点を克服していくことが私たちは苦手である。しかし、人に任せてしまって、何が民主主義と言えるのだろう。残念ながら、今日の事態を見る限り、民主党には民主主義が存在しないし、民主主義とは何かと考える議員もいない。私も消費税増税に反対だ。原発の再稼動も反対だ。だからこそ、消費税増税をしない社会の、原発を再稼動しない社会の、議論をしたい。

 野田首相の演説は美辞だが内容がない。「決める時に決める政治」とか「先送りしない政治」と力説しても虚しい。だから何をするのか、どういう社会にしていくのか、そのビジョンを描かずに美辞を語っても心に響くものがない。小沢さんは「マニフェストに違反する増税は国民の支持が得られない」と言うが、民主党政権が誕生した時になぜマニフェストの実現に向かわなかったのか、幹事長だった小沢さん自身の責任を棚上げにしてしまっている。

 野田さんも小沢さんも、私には信頼できる議員とは思えない。次の総理大臣と週刊誌がもてあそぶ大阪市の橋下市長も、私は立派な政治家とは思えない。もちろん名古屋市の河村市長、愛知県知事の大村知事もそんな期待できる政治家ではない。新聞や雑誌の論説や論文を見ると、もう50代や40代の学者や評論家が筆を振るっている。団塊世代はもう隠居すべきだなあーとこの頃は特に感じる。大胆なことを言えば、いつまでも他人任せでいるような人は引退すべきなのかも知れない。

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中国の古箏の演奏

2012年06月25日 19時57分13秒 | Weblog

 5千年も前から中国に伝わる古箏の演奏を聴いた。古い楽譜も残っているそうだが、中国にはなくて日本にあるというのも面白い。それだけ日本と中国は古くから交流があり、日本は中国の先進的な文化を取り入れてきた。古箏は日本の箏に比べると半分もないくらいの大きさで、演奏の仕方も台の上において両手を使って奏でる点で似ている。古代中国の箏は今日見たものよりはもう少し小さなのかも知れないが、形も演奏する曲も大きな変化はないと言う。

 古箏で演奏してくれた曲は、漢や唐の時代のもので、余りにもゆったりとしていてつい睡魔に襲われてしまった。テンポの速い曲もあるのかも知れないが、今日の曲目は「三国志や源氏物語」にも登場する古箏を堪能して欲しいという趣旨から、繊細でゆったりとしていた。中国の詩人たちも酒を酌み交わし、古箏を奏でながら詩を歌ったようだ。聴いていると、酒飲みだった陶淵明や李白が自作の詩を演奏しながら歌っていたと勝手な想像が働いた。1千3百年くらい前の中国の豊かさを感じた。

 漢詩を当時の中国人がどのように歌っていたのか分からないが、少なくとも私が学校で習った漢詩は日本語訳されたもので、極めて哲学めいたもののように思った。古代中国の詩人たちは、風景にしても歴史にしても、深い洞察を持って歌に仕上げている。そんなことを感心しながら、いや待てよと思った。歌はどんな時代でもどんな場所でも、人生についてあるいは社会や人の関係についての洞察から生まれている。古代中国人も現代のアーチストも、同じだと思った。

 人は常に伝えたい気持ちを持っている。まだ言葉が完成しない時から、人類は音を共有していたという説もある。言葉が生まれ、文字が生まれ、人々はますます多く伝えようとしてきた。「言葉は脳のコミュニケーションだが、音は愛と同じ、心のコミュニケーションである」と聞いたことがある。音楽は文字を越えた伝達手段なのか、確かに言えそうな気がする。

 子どもの頃にラジオから流れてきた津軽三味線を聴いて震えた。また、中国の二胡や中近東の楽器の演奏を聴くと、昔懐かしい気がする。ピアノやバイオリンのような西洋音楽を象徴する楽器の音色よりも、東洋の楽器の音色に共鳴するのも、身体が持っている東洋人の音なのだろう。明治政府が西洋に追いつき追い越せと、音楽でも西洋音楽に力を入れたけれど、日本人が好きな音律は西洋的なものではなかったという話も聞いたことがある。

 古箏とともにやはり古い笛の演奏もあった。古い笛は横笛ではなく、尺八のような縦笛だったが、古箏よりはリズムもテンポも聴きやすかった。この笛の音は慣れ親しんだ音に近いのかも知れない。中国では仲の良い人たちのことを箏と笛にたとえるそうだが、2つの楽器の合奏は確かに心地よく感じた。中国人と日本人の感性が昔は似ていたのに、何時の時代から変わってきたのだろう。いや、今も変わっていないのかも知れない。

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順序があるようだ

2012年06月24日 22時04分44秒 | Weblog

 NHKの大河ドラマ『平清盛』を観ていて、時代が変わるというのはこういうことなのかと思った。もちろん、現在に生きていて、昔のことを知っているが故のことなのかも知れない。しかもドラマだから、本当に清盛が言ったかは定かではない。清盛は「新しい世をつくる」と言う。これがこのドラマの主軸なのだからそれでいいけれど、「新しい世」とは何か、清盛の頭にあったものは「武士の世」でしかない。

 私たちが知っている平清盛によって作り出された「武士の世」は、結局は武士が貴族と同じ位置に上がり、摂関家の藤原氏のように天皇家と姻戚関係を結び、政治の頂点に武士が立つことだった。平清盛はそれを実現したけれど、政治のスタイルとしては貴族政治である。本当に武士が権力者になったのは、源頼朝が行なった鎌倉幕府からだ。源頼朝は京都から離れた鎌倉に幕府を開き、武士たちによる政治を開始した。

 平清盛が新しい政治を目指していたにもかかわらず、貴族政治の域を出なかったのは、やはりそういう時代であったとも言える。だからこそ、源頼朝は清盛の限界から学んだとも考えられる。戦国時代を経て、徳川家康が開いた武士の政治スタイルが完璧だったのは、先に織田信長や豊臣秀吉がいたからで、彼らがなそうとしたこと、そしてなすことができなかったことの原因を徳川幕府は学んだ上に構築している。

 今、民主党が政権の座には着いたけれど、選挙で掲げたマニフェストは何ひとつ実現できずに、逆に自民党政権がやりえなかった消費税増税を、民主・自民・公明の3党で実現しようとしている。自民党政権から「新しい世をつくる」はずであった民主党では、出来ないことが明らかとなった。そこで、やはり次の政治のスタイルが出てくるのだろうけれど、今はその模索の時というか、転換の時なのだろう。

 今日、「井戸の水が出たり出なかったりするから見て欲しい」と言う守山区の住宅を訪ねた。井戸は打ち抜きで鉄管によるものだった。砂取り器が付いていて、電動ポンプは比較的新しいものだった。鋳物で出来た砂取り器をはずしてみると、中は砂ではなく赤錆でいっぱいになっていた。そこで、鉄管の中にコンプレッサーでエアを入れてみる。鉄管の中の掃除である。次に鉄管の中に塩ビ管を入れて、ガソリンエンジンで吸い上げてみると見事に水が上がってきた。

 これなら井戸は充分に作用するであろうと復元し、電気のスイッチを入れるが一向に水を汲み上げる気配がない。結局は右往左往した挙句、どうも砂取り器の錆をきれいに取ったためにどこかからエア漏れが生じているようだ。最後になって万事休すである。砂取り器を新し物に取り替えるしかないが、依頼主から見れば昨日までは水が出ていたから、まるで私たちが砂取り器を壊したように思うだろう。

 手順を間違うとこんなにも結果も違ってくる。平清盛になるか、源頼朝になるか、運命の分かれ道である。さあ、どうするか、困った、困った。

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理性は自己保身の道具

2012年06月23日 21時33分19秒 | Weblog

 夏至の日は曇り空だったけれど、昨日も今日も夕焼けがとてもきれいだった。午後7時30分、西の空は真っ赤に染まっていた。太陽が一番北に沈んでいくのがよく分かる。ケイタイで撮ってみたけれど、何の変哲もないただの夕焼けでしかない。人の目で見たものと機械で写し撮ったものではこんなにもひらきがあるのかと思った。我が家の庭のデイゴが満開になった。毎年、寒い冬を乗り切れるのかと心配させられるが、今年も赤い奇妙な花を咲かせてくれた。

 中学からの友だちがブログに、評論家の中野孝次氏が『人生のこみち』というエッセイ集にある、「日常の意識をあるがままに正直に書く」と言葉を引用していた。私は読みながら、「日常の意識」とは何を指すのだろう、「あるがまま」とはどういう状態なのか、人は「正直に書く」ことが出来るのだろうか、そんなことを思った。大学に入ったばかりの頃だと思うけれど、中学からの友だちの何人かが中学からの友だちの家に上がりこんで、「人生論」を語り合ったことがあった。

 どんな議論をしたのか覚えていないけれど、私は自分の主張だけはよく覚えている。常識とは社会がつくり出した価値観で、それを規範とすることで無理なく秩序を押し付けることができる。理性は、自分が社会の中でうまく生きていくために自らがつくり出したものだ。したがって理性的とは自己保身と同意語である。理性的な者は自分を押し殺して社会でうまく生きていく人なのだ。人は決して本来の自分を世間に晒すことのない存在である。みんなで飲んだ後だったので、しかも深夜に長い距離を歩き、大自然の中の暗闇に身をおいていたので、私はちょっと興奮気味だった。

 「あるがまま」とは粉飾することのない「自然体」ということだろう。けれど、「あるがまま」の自分は醜い野獣で欲望の塊である。そんな自分を世間に晒して生きていけるはずはない。世間はそんな存在を許すはずはなく、分かったら直ちに袋叩きにされるだろう。生きていくためにはみんなと同じ姿をしていなければならない。常識と理性を持ち合わせることこそが、この世で生きていく道なのだ。もし、「あるがまま」に生きていたらなら、非常識で不道徳な、許しがたい存在であっただろう。人は多かれ少なかれ、こんな風に「あるがまま」の自分を隠してしか生きていけない。「日常の意識」などは決して人に自慢できるような美しいものではないからだ。

 だから、「正直に書く」ことは無理なことだ。誰かが読むとなれば、読まれてもかまわない文章になっていくものだ。秘密を明らかにする人はいるけれど、それは明かしたところで無害だからだ。仮にそうすることで誰かを傷つけることがあるような芸能人の暴露本などは、むしろ暴露することで生まれる事態を計算しているとしか思えない。松田聖子さんが3度目の結婚をするが、彼女は自分の欲望に正直な人だと言える。そこが松田聖子ファンにはたまらない魅力なのだと思う。自分にはできないことをやり遂げてしまう人は、羨望の対象にも批判の的にもなる。

 人は罪深き存在だ。だから絶対の存在である神に救いを求める。けれども私は罪深いまま生きることが自分の使命のように思った。どこまで生きられるか分からないが、生きていくことが自分に課せられた道だと思えた。まだ道半ばである。

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母親と娘

2012年06月22日 19時59分45秒 | Weblog

 台風一過、風は強いが澄んだ青空が清々しい。昨日の朝、友だちは「これから母を連れて、東京スカイツリーを見に行くの」と言っていた。80歳を越えた彼女のお母さんはお元気で、四国松山から彼女のところに来て、ふたりで東京へと向かうというのである。以前は、松山から名古屋空港への直行便があったから、飛行機でやって来ていたけれど、今はどうしているのだろう。広島へ渡って、新幹線で名古屋まで来るのだろうか。飛行機便が廃止になる時、お母さんがテレビインタビューに答えて、「困ります」と言っている姿が写っていた。いつまでも若々しく、何にでも興味を持ち、探究心が強いところは彼女にも受け継がれている。

 友だちの場合は遠く離れて暮らしているけれど、娘が結婚して親とは別性になっても、娘の親と同居しているケースは多い。同居ではないが、スープの冷めない距離で生活しているケースも多い。私の住むマンションでも、別々のところに所帯を構え、時々一緒に食事をする家族もあるし、食事はもっぱら親元でする家族や、親が娘夫婦の分まで食事を作って届けている家族もある。娘のダンナも、妻の親が傍にいることで安心しているフシもある。ふたりの生活にまで口を出されなければ、ふたりだけでは得られない余裕が生まれて快適なのかも知れない。私は両親を早く亡くしたから、カミさんの両親と食事をするのが楽しかった。

 母親は、娘とは血がつながっているから遠慮が要らないし、娘のダンナは息子のようなものだから、気難しい人でなければ苦にならない。父親の方は、娘とはそこそこの付き合いができるが、ダンナとは男同士で話さなくてはならないから緊張する。それでも世代の違いを理解していれば、娘同様にそこそこの付き合いができるだろう。私の知り合いなどは、父親も酒飲みだけれど娘のダンナはそれ以上に酒飲みなので、毎週末が宴会で盛り上がるそうだ。父親も娘のダンナも酒飲みで真っ正直な人なので、馬が合うのだろう。この家族も母親と娘の絆は固く、娘と母親はコンサートやショッピングに一緒に出かけている。

 昔は連続テレビ小説『カーネーション』に出てくるような父親像だった。家父長制度が残っていたから、父親の権力は絶対だった。けれど、戦後の生活スタイルは大きく変化した。男女は平等となり、家族は友だちのような関係になった。父親も母親も権威ではなく生き方で、子どもたちの見本とならなくてはならない。子どもを叱りつけるよりも愛情を注ぐことで、規範を示すことが求められた。しかし、愛情を注ぐことは甘えさせることにもなり、そのバランスは難しい。私は子どもは甘えさせてかまわないと思っている。どうすればいいのかは、子どもが大きくなるにしたがって自分で考えていくものだと思う。

 嫁に来て、子どもをもうけ、しかし夫に早死にされた女は気の毒だ。子どものために再婚しないで生きてきて、その子どもが巣立っていくと、夫の両親と3人の生活になってしまう。好きな人ができても再婚することも出来ず、夫の両親と歳を重ねていくことになる。男だったら再婚しただろうが、女であるために再婚できないのは悲劇ではないだろうか。結婚が入籍という形を取る限り、こんなケースが生まれてしまう。

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杉本健吉と田淵俊夫

2012年06月21日 21時20分58秒 | Weblog

 先日行なわれたクラス会の写真が届いた。写真を見ているとカミさんが、「誰が先生なのかわからない。歳もバラバラに見える」と言う。年齢を重ねるとそこには個人差が大きく表われてくる。その原因がどこにあるのかが分かれば、きっとノーベル賞者かも知れないが、わからない方がいいような気がする。若い時もそれぞれが個性を発揮していたが、年老いてさらにその個性が深化したと思った方がいい。

 2日目はみんなで杉本健吉美術館へ行った。NHKテレビの大河ドラマ『平家物語』に合わせて、こちらの美術館では、吉川英治が週刊朝日に連載した『新平家物語』に杉本さんが描いた挿絵を展示していた。原稿を読んで毎週載せる挿絵を描くのは大変な作業だっただろう。時代考証のためにかなりたくさんの資料を集めたはずだ。そんなことを思いながら見ていたら、「猿の尻尾」というコーナーがあった。

 ひとりの読者から(本当は著名な作家だったが)、挿絵に描かれた猿はタイかベトナムにいる猿で、ニホンザルは尻尾が短いという指摘があった。建物や着物あるいは顔立ちなど、念入りに調べて描いたはずだが、猿の尻尾の長さまで関心が行き届かなかったのだろう。多くの人の前に晒すということは、専門家から間違いを指摘されることになる。時代小説の挿絵は、勝手気ままに描く絵と違ってそこが難しい。

 杉本さんのプライベートなものが展示されている別館で、絵筆と並んで烏口やガラス棒を見つけた。溝が掘ってある定規にガラス棒を滑らせて、面相筆で直線はもちろん曲線も描いたことを思い出す。そういえば、『新平家物語』の挿絵の中に建物の廊下とか板塀とか、烏口でなければ描けないような太さが一定の線があった。「昔はよくこんな道具で描いていた」と卒業生と話が弾んだ。

 今では、ほとんどの作業がパソコンに代わった。微妙な線の面白さはなくなった。むしろ誰でもきれいな線が描ける。難しかった曲線描きも自由自在だ。「濃淡を出すために、僕らの頃は網に刷毛でやった。君らはもうコンプレッサーだっただろう?」と私がちょっと得意になって言うと、「僕らも網に刷毛でしたよ」と言う。学校にはコンプレッサーが置いてあったけれど、あれはもっと後になってからだったのか。

 先日、メナード美術館で『田淵俊夫展』を観た。田淵さんは東山魁夷、平山郁夫に次ぐ東京芸大の日本画の大家だ。メナード美術館ができたばかりの頃、田淵さんの作品を見たが、その時知人が、「お金があったらこの人の作品を買うといいよ。絶対に上がるから」と教えてくれた。そういうことに知識のある人だったけれど、実際そのとおりになった。緑色や青色が特徴の作品で、実に細かな筆遣いに魅せられた。

 どんな風にして描いているのかと思ったが、展覧会では製作風景も展示されていて、やっぱりそうなのかと納得した。ドガは踊り子の一瞬を絵にしているが、写真を使ったと聞いた。横尾忠則や宇野亜喜良は印刷技術を利用して作品を仕上げている。幻灯機を使った画家もいた。田淵さんもコピー機とオーバーヘッドを使用していた。機械を使っていても最後は自分が筆で描いているわけだから、やっぱり凄い作家だ。

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