今年のブログも今日でおしまいである。明日から正月3日まではお休みする。元旦は何があっても働かないと決めてきた。朝寝、朝風呂、お神酒をいただき、一日中ごろりと過ごすのが私の元旦の過ごし方だ。元旦の朝は、どういうわけか妙に清々しい気分になる。日の出など見た時には、神々しい気分となり思わず手を合わせてしまう。これはきっと、子どもの頃の母親の影響だろう。
母は裁縫をしていたので、正月の晴れ着を仕上げるために、年末は一歩も動かず仕事に精を出していた。徹夜で仕事をしている時もあった。それでも元旦の朝、目覚めると新しい服が枕元においてあり、新しい下着に取替え、新しい服を着た。年が新しくなることを否応無しに意識させられた。元旦に箒で掃き出そうとした時、母から叱られたことがある。「元旦は神様と一緒に過ごすのだから、掃きだしたりしてはいかん」というのが母の考えだった。
父は着物を着て、母が用意したおせちを食べてお神酒をいただく。父が家で何かをしていた記憶がない。いつも新聞か本を読んでいるか、何かを書いていた。家は材木屋であったが、私たちは敷地内の別の棟で生活をしていた。商売をしていたわけだから、元旦は特別の日だったような気がする。店は休みで静かだったが、親戚がやってきてにぎやかだった。私は母屋に行き、従兄弟たちと遊び、ご馳走をいただいた。
今日は一日中、掃除をした。夕方になり、やっと落ち着いてパソコンに向かう。今日が今年最後のブログというので、この1年を振り返り、それにふさわしいことを書いておこうと思うのだが、いざとなるとなかなか書けない。一言でいえば、よいことばかりの1年だった。そういう出会いと出来事に感謝して、この1年の結びとしたい。
2006年(平成18年)の春、首長選挙に敗北した時から、人生の終末に向けて準備にかかろうと決めた。死のうということではない。公人になることはもうない。これからは人の目を気にすることはないし、自分の言葉に気を遣うことはない。自分が思ったことや自分がしたかったことなど、心に素直であろう。花を育てたり、ひょっとすると描けないと思い込んでいた絵が描けるようになるかもしれない、気ままでいいじゃないかと思ったのだ。
短歌も口語短歌に出会って、自分でも作れるような気がしたし、童話も昨年のサンタの話は残念ながら入賞しなかったけれど、物語も作れるような気がしている。おそらく人から評価される程の作品は出来ないかもしれないが、やってみようという気持ちが大事に思える。素晴らしい人たちに出会い、そのおかげで生きていることはとても楽しい。だからこそ、要らぬものは処分し、終末に向けて生きていきたいのである。
今度は1月4日から始めます。よいお年を!
母は裁縫をしていたので、正月の晴れ着を仕上げるために、年末は一歩も動かず仕事に精を出していた。徹夜で仕事をしている時もあった。それでも元旦の朝、目覚めると新しい服が枕元においてあり、新しい下着に取替え、新しい服を着た。年が新しくなることを否応無しに意識させられた。元旦に箒で掃き出そうとした時、母から叱られたことがある。「元旦は神様と一緒に過ごすのだから、掃きだしたりしてはいかん」というのが母の考えだった。
父は着物を着て、母が用意したおせちを食べてお神酒をいただく。父が家で何かをしていた記憶がない。いつも新聞か本を読んでいるか、何かを書いていた。家は材木屋であったが、私たちは敷地内の別の棟で生活をしていた。商売をしていたわけだから、元旦は特別の日だったような気がする。店は休みで静かだったが、親戚がやってきてにぎやかだった。私は母屋に行き、従兄弟たちと遊び、ご馳走をいただいた。
今日は一日中、掃除をした。夕方になり、やっと落ち着いてパソコンに向かう。今日が今年最後のブログというので、この1年を振り返り、それにふさわしいことを書いておこうと思うのだが、いざとなるとなかなか書けない。一言でいえば、よいことばかりの1年だった。そういう出会いと出来事に感謝して、この1年の結びとしたい。
2006年(平成18年)の春、首長選挙に敗北した時から、人生の終末に向けて準備にかかろうと決めた。死のうということではない。公人になることはもうない。これからは人の目を気にすることはないし、自分の言葉に気を遣うことはない。自分が思ったことや自分がしたかったことなど、心に素直であろう。花を育てたり、ひょっとすると描けないと思い込んでいた絵が描けるようになるかもしれない、気ままでいいじゃないかと思ったのだ。
短歌も口語短歌に出会って、自分でも作れるような気がしたし、童話も昨年のサンタの話は残念ながら入賞しなかったけれど、物語も作れるような気がしている。おそらく人から評価される程の作品は出来ないかもしれないが、やってみようという気持ちが大事に思える。素晴らしい人たちに出会い、そのおかげで生きていることはとても楽しい。だからこそ、要らぬものは処分し、終末に向けて生きていきたいのである。
今度は1月4日から始めます。よいお年を!