友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

カレーを作る

2014年05月30日 19時16分45秒 | Weblog

 これからパソコンに向かおうとしていると、カミさんが「お料理、お願いね」と言う。皆さんはそれぞれに忙しく、手持ち無沙汰なのは私だけだから仕方ない。「ああ、いいよ」と答えると、「今晩はカレーだから」と言う。それならば簡単なこと、誰にでもできる。むしろ、「冷蔵庫の中のもの、何を使ってもいいから」と言ってもらった方がやりがいがあるけれど、これも仕方ない。玉ねぎを刻み、ニンジンやジャガイモなどの下ごしらえをする。

 水を少なくして濃厚なカレーを作るつもりだったのに、何を勘違いしたのか水を多く入れてしまった。捨ててしまおうかと思ったが、甘味を失くすような気もして、煮込めばいいだろうと考え直す。どんなカレーが出来上がるか楽しみにして、もう一度パソコンに向かう。なのに、何も浮かんでこない。そういえば、今朝の中日新聞を読んでいて、アレッと思うことがあったけれど、アレは何だったのかともう一度新聞を眺めてみる。

 『中日春秋』の書き出しは「人類の一人一人は遺伝子の面では、99.9%は同じです。千のうちの999、私たちは同じ性格、希望、夢を持っています」と国連の潘事務総長の演説を引用していた。99.9%も同じ遺伝子を受け継ぎながら、憎しみ合い果てには殺し合っている。だから「しかし私たちは千分の一の小さな違いゆえに、共に暮らす社会を分断させ、恐怖を撒き散らしています」と続ける。そしてコラムは、黒人の女性作家マヤ・アンジェロウさんの言葉を引用する。「あなたが自分自身に与えることのできる最高の贈り物の一つは、許すこと。みんなを許すことです」と。

 北朝鮮によって拉致された人々の写真が載っている。権力によって一生を棒に振った人たちだ。おそらくこの人たち以外にも数え切れない人たちが、権力によって命を奪われたり、運命を奪われたりしたことだろう。それを許すことなどできないだろうが、憎しみの連鎖はどこかで断たなくてはならない。明日の午前中は大和塾の講師との打ち合わせが名古屋であり、夜は誕生日会なのでブログは休みます。

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再び『シャガール展』へ

2014年05月29日 20時34分35秒 | Weblog

 先回、今年の7月で5歳になる孫娘を連れて『シャガール展』に行ったが、ほとんど観ないうちに会場を出ることになった。多分、余りの人の多さに驚いたのと、絵を見るよりも人の足ばかり見ることになり、嫌になってしまったのだろう。我が家には小学館発行の『シャガールの絵本』があり、孫娘が我が家に来ると必ず手にするから、『シャガール展』なら興味を示すのではないかと期待し過ぎていた。

 そのことをブログに書いたところ、友人が「ゆっくり観に行ってらっしゃい」と入場券をプレゼントしてくださった。せっかくの好意だったのに、なかなか時間が合わなくて、今日の午後出かけた。相変わらず人が多くビックリした。シャガールはどうしてこんなに日本人に人気なのだろう。絵が特別うまいという訳でもないのに日本人が好きという点ではゴッホと共通する。ゴッホは悲劇の画家なので日本人好みだが、シャガールは長生きしたし、晩年はフランス南部で悠々と過ごしている。

 シャガールは白ロシア(現在のベラルーシ)で生まれたユダヤ人。サンクトペテルブルグの美術学校で学ぶが、飽き足らなかったのか私立の美術学校に移り、フランス美術を知ることになった。24歳の時、パリへ旅立つ。そこで新進の画家や詩人に巡りあったことがシャガールの運命を決定したと思う。それともうひとつ、27歳の時に結婚した女性ベラの存在も大きい。ベラは宝石商の娘で、シャガールの絵によく出てくる黒髪の美人だ。

 シャガールの名前が知られるようになるのは彼が50歳を超えた頃からだと思う。第2次世界大戦が終わり、世界が新たな社会へと動き出したのがシャガールには幸運だった。彼の田舎臭いホッとした絵が人々に安らぎを与えたのだろう。60歳代からは精力的に働き、優れた大作を残している。亡くなったのは1985年、97歳の時だ。小牧市のメナード美術館はシャガールの作品をかなり所蔵している。

 シャガールほどの年齢ではないが、「日本維新の会」の石原慎太郎共同代表は、橋下徹共同代表に分党を提案したという。いよいよ「オイボレニッホン」でも立ち上げるのだろうか。野党再編が再び動き出すだろうけれど、本当に信頼できる政党は生まれてこない。どうしてなのかと思うけれど、やはり有権者の意識でレベルは決まるようだ。

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人肌って本当にいいな

2014年05月28日 18時25分12秒 | Weblog

 特定非営利活動法人を設立して、防災用の井戸掘り・地域イベントへの参加・リサイクルの3本を柱に活動してきた。今年で6年目になるけれど、法人にすることはなかったのではないかと時々思う。事務処理を引き受けているが、県に提出する書類の整理だけでも骨が折れる。毎日、キチンと処理していればそんなに大変な事務ではないのだが、日常的に仕事があるわけではないから日頃が疎かになり、締め切り間際になると慌ててしまう。

 それに、県の担当に書類を出しておけばそれでよいと思っていたらそうではなかった。法人であるから法務局へ提出する書類もある。考えてみれば会社と同じで、社会の中でお金を動かしているのだから、監督する法務局に必要な手続きを行なうのは当たり前のことであるし、県への報告義務も当然のキチンとしなくてはならない。なのに勝手なもので、もう少し簡単に出来ないかと自分の都合の良いように考えてしまう。

 人間は社会的動物と教わってきた。ひとりでは生きていけない。社会生活があって個も生きていけると。住んでいる家も、食べている食物も、着ている服も、あらゆるものが全て他人によって作られたものだ。だったらもっと社会とうまくやっていけてもよいのにと思う。個人と個人なら、好き嫌いはあってもそれなりに仲良くできる。いや、個人と個人なら、家庭を超えても理解し合える人もいる。

 社会に適応できない人が生まれてしまうのはどうしてなのか。ひとつの社会と別のもうひとつの社会はなぜ対立するのだろう。社会を形成した時、利害が生まれた。家庭という小さな社会を見ても、料理を作る、掃除洗濯をする、いろんな面で絶対な公平はない。納得と思いやりしかない。物理的な公平は作れなくても、納得と思いやりでやっていく、これが人間社会の基本のように思う。赤子を抱いていると、人肌って本当にいいなと思う。

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『衣食足りて礼節を知る』

2014年05月27日 18時56分20秒 | Weblog

 ウクライナの大統領選挙で、親欧米派のポロシェンコ氏が当選したと報じられた。親ロシア派が多い東部地域で、妨害で投票できなかった地域があったにもかかわらず、ポロシェンコ氏が最も多い票を得た意味は大きい。「紛争と混沌状態を終らせ、ひとつのウクライナに平和を回復させることが第一歩」と主張するポロシェンコ氏への支持は、国民が親欧米路線を選んだと言えるだろう。

 一方的に人民共和国を宣言している東部のドネツク州とルガンスク州を、どう扱い解決するかという問題も残っている。これで全てがうまくいくとは思わないけれど、ポロシェンコ新大統領がロシアのプーチン大統領とどこまで話が出来るかにかかってくる。デモ行動で政権の崩壊を導いたものの、新欧州派と親ロシア派に分かれた武力衝突だったので、早く収まってくれればと思う。欧州連合(EU)はこの選挙結果にホッとしているようだが、個々の国によって事情はかなり違うようだ。

 今朝の中日新聞によれば、欧州議会選挙の結果、各国の反EU右派勢力が躍進したとある。福祉国家といわれる北欧、議会政治の先進国イギリス、人権や民主主義を生んだフランス、主要なEU諸国で民族主義的な右派勢力が国民の支持を伸ばしている。「全ての人は皆平等」を目指してきたのに、ここに来て他民族を排斥する意識がなぜ高揚してきたのだろう。

 「一国の為政者たるものは、計画をたてて経済を豊かにしなければならない。豊かな国へは、どんなに遠くからでも人民は集まってくるし、開発の進んだ国から逃げ出す人民はひとりもいない。その日暮らしにもことかく者に礼節を説いたところでなんになろう。生活が豊かになれば、道徳意識は自然と高まるものであり、衣食が十分であれば、自分の名誉や恥とかを重くみるようになる」という古代中国の教え『衣食足りて礼節を知る』は間違っていたのだろうか。

 アメリカで中国でそして日本でも、「誰でもよかった」と殺人に走る人がいる。中でも日本は97%を超える人々が高校へ進学している。こんな教育熱心な国は世界にない。それでも殺人事件はなくならないし、いじめも減らない。お金持ちは増えたけれど、貧しい人も増えた。貧しくなくてもギリギリの生活を強いられている。みんなで仲良く、豊かになることは無理な夢なのだろうか。

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赤子とニーチェの深い関係

2014年05月26日 17時56分15秒 | Weblog

 雨が降っている。花や樹木には恵みの雨だ。次女に頼まれて赤子を抱き、「雨ですよ。濡れたら冷たいですよ」などとつぶやきながら寝かしつける。赤子はどうしてこんなにも幸せな顔をしているのだろう。赤子の穏やかな顔を見て腹を立てる人がいないのは、周りの大人に全てを託すために、神様が赤子に与えてくれたものだ。ギリシア神話だったかに、王が賢者である怪物に尋ねる場面があった。

 王は問う。「人間にとって最も善いことは何か」。賢者は身じろぎもせず口をつぐんでいる。王はさらに強く問う。すると賢者は笑い声をあげ、吐き出すようにこんなことを言う。「みじめなつかの間の生を受けた者よ。偶然と労苦の子よ。聞かない方が身のためなのに、なぜ無理に私に言わせるのか。最も善いことはお身には手の届かぬこと、それは生まれなかったこと。しかし、次ぎに善いことは、すぐ死ぬことだ」。

 それで王はどうなったのか覚えはないが、そんな昔から人はなぜ存在しているのかと問うてきた。別に「人間の存在」を気にしなくても生きていける。日々をキチンと送り、それなりの収入があれば、普通に生活できる。多くの人がそうして一生を終るのに、時々滅茶苦茶な人生を歩む人がいる。太宰治や三島由紀夫はそんな人のひとりだ。西洋にも自分の「美」を求めて、若くしてこの世を去った人がいる。

 立派な髭が印象的な哲学者ニーチェは55歳で病死したけれど、死を迎える10年ほどは狂人扱いだった。彼は31歳の時、たまたま出会った女性に、4時間散歩しただけで求婚している。37歳の時、友人の紹介で21歳のユダヤ系ロシア人の女性に出会い、友人と3人で暮らすようになる。3人が写真屋で撮影した写真は、「三位一体」と名付けられた。ニーチェはこの女性とも結ばれることがなかった。写真で見る女性は、リルケやフロイトとも交友があった才女にふさわしく情熱的で個性的だ。

 ちょっと変わった個性的な人たちによって、「人は何者か」と解かれていくようだ。非凡な才能はなく、かといって平凡にはなりたくない、そんな類に私は入るようだ。

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映画『水曜日のエミリア』

2014年05月25日 18時44分11秒 | Weblog

 昨夜、久しぶりに映画を観た。次女は赤子を連れて隣の部屋に戻り、カミさんは北の室で仕事をしていた。何気なく映画でも観ようかと思ってテレビをつけたが、これが意外に面白かった。主人公は美人の新人弁護士のエミリアで、事務所の上司の男と恋に落ちる。上司は結婚しているがエリート小児科医の妻とはうまくいっていない。よくある設定で、ベッドシーンもあり、熱心に観ることに気が引けたが、次第に引き込まれてしまった。

 題名は『水曜日のエミリア』という2009年のアメリカ映画。「君は愛する者に厳し過ぎる」と、ジャックはエミリアに言い、「もう一緒には暮らせない」と告げる。妻と離婚してエミリアと結婚したが、描いていたような夫婦にはなれなかった。「避妊してたのに」とエミリアはジャックに言うが、妊娠したから結婚することになったから、避妊はウソかも知れない。エミリアは積極的で一方的とも思えるが、ジャックも若く美貌の彼女が欲しかった。

 ところがせっかく生まれたふたりの愛の赤子が生後すぐ死してしまう。エミリアの心は不安定になり、ジャックの息子のウイリアムに感情をぶつけてしまう。自己中心なエミリアだとよく分かるセリフがあった。流産した友人に「すぐまた出来るわよ」と言ってしまう。ところが自分の赤子が亡くなり、慰めるその友人に「胎児と乳児では違う」とまで言ってしまう。

 エミリアの父親は判事だが、浮気が原因で母親と離婚した。エミリアは父親に面と向かって、「セックス依存症だ」と非難する。ところが母親は父親と再び出会い、ウキウキとしている。彼女はそんな両親が許せない。ジャックの息子のウイリアムは8歳だけれど理屈っぽい。エミリアの気持ちを思いやる事が出来ないし、父親を奪い両親を離婚させたという気持ちが出てしまう。人は誰も自分中心に生きているが、それが悪いわけではない。

 映画ではジャックの息子と仲良くなっていくシーンもあり、赤子の死は自分が招いたと思い込んでいたエミリアに、前妻の小児科医が原因は突然死だと説明する場面もある。原因の究明を頼んだのは息子で、彼は「輪廻転生を信じるから仏教徒になる」とエミリアに話す。未来では、亡くなった妹も、血のつながりのないエミリアの父親も、「家族」というわけだ。「家族」とは何かを問う、真面目な映画だった。「人生は思いどおりにはいかない。それは仕方がない」とジャックは言う。

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市民活動への補助金

2014年05月24日 18時55分41秒 | Weblog

 市民活動が盛んになれば、自治体は小さくてすむはずだ。自治体が大きいとか小さいとかいうのは、面積とか人口よりも予算規模のことである。自治体の予算というのはかかる費用のことだが、ここには当然職員の給与や議員の報酬が含まれる。その他には建物の維持管理、保健衛生、福祉手当など様々なものがある。今日、市民活動推進事業補助金採択事業報告会が開かれたので聞きに行ってきた。長たらしい名称だが、市民活動に出した補助金の事業の報告会である。

 四日市大学の岩崎恭典教授が審査委員長であることも興味があった。平成25年度に補助金が付いたのは14事業で、子どもを対象としたものが3、子育て支援が1、障害者への理解と支援の事業が2、高齢者が対象のものが1、健康維持の事業が2、その他が5で、婚活支援やオリジナル音頭の制作、コマ大戦の開催などユニークな事業だが、行政が支援する必要があるのだろうかと考えてしまうものもあった。行政が市民活動の支援を行なうのは、行政では出来ない事業を市民に担わせることと、予算の削減にある。

 岩崎教授はどこでも、「少子化社会になりつつある。従って自治体は小さくしなくてはならない」と話しているが、自治体の指導者は「小さくしなくては」という部分を飛ばしてしまっている。少子化だから収入は減るけれど、支出も減るからしばらくは心配ないと考えているようだ。いざとなれば国が方針を出すだろうから、その時に対応すればいいと安易に思っている。それはそうだろう。事業を減らし、自分たちの給与を下げ、職員数も減らしていくような既得権益を放棄する決断はできないだろう。

 右肩上がりの経済成長にあって、行政は事業を拡大してきた。「市民に喜んでもらっている」と説明するけれど、結果的には公というぬるま湯を広げてきただけだ。市の審査委員が「委託事業ではなく、市民の自主運営でやっていくことが大事。今、考えているのは図書館事業も市民で出来ないかということです」と発言していた。パート職員にして費用を抑えようという意図がはっきりしている。行政は市民の代わりを務めているのに、市民の声は反映されない。権力とはそういう宿命なのかも知れない。

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ジジババに徹してみる

2014年05月23日 18時34分00秒 | Weblog

 今週の火曜日はカミさんの弟夫婦が、今日はカミさんの妹が、赤子を見に来てくれた。今はバラが真っ盛りなので、ルーフバルコニーに出て、バラを眺めながらコーヒーでもと思っていたが、2日間とも風が強くて無理だった。赤子の方は体重が大幅に増えているわけではないのに、日に日に大きくなるような気がする。今朝、カミさんも次女もいないので、私が赤子を見ていた。寝ているから何もすることはないと思ったのに、目が覚めたのか泣き出した。

 まだ、生まれたばかりの頃は小さくて抱くのは怖かったので、一度も抱いたことがなかったけれど、このまま放っておくことは出来なかった。手を伸ばして抱き上げてみる。余りにも小さいから壊れそうだが、腕の中にすっぽりと納まる。抱き上げると泣き止んで、黒い瞳でじっと見つめてくる。「おじいちゃんだよ」と囁き、娘たちの時にも歌った「子守唄」を歌っていると、いつの間にか寝入ってしまった。3キロの赤子はこんなにも軽いのかと改めて思う。

 長女は2750グラム、次女は2950グラムと小さかったが、私が子どもを抱くようになった時はもう3キロを越えていたように思う。生まれたばかりの子は手足も細く、心配が先に立って抱くことが出来なかった。そのうち大きくなって抱けるようになると、私は「眠らせ上手」になった。そんな子どもたちも、地域新聞を立ち上げた時は高校生と中学生になり、「子育てについて話して」と言われ、子ども自慢をしたことがある。

 親になってみると、親はいつまでも子どものことを心配する。私は親が亡くなった時、「これで親のことは考えなくていい、自由になった」と思った。それでいて、結婚する時や子どもが生まれた時、親がいたなら喜んでくれただろうとちょっと寂しかった。カミさんの両親には本当に世話になったから、恩返しがしたかった。子どもたちと4人での旅行はよく出かけていたから、6人乗りの車を借りて両親を連れ出すようになった。

 カミさんのお父さんの話を聞くのは面白かったし、お母さんの相談を聞くのも嫌ではなかった。きっと自分の両親が生きていればこんな風だっただろう。そんな思いで暮らしてくるうちに、カミさんの両親も亡くなり、いつしか私たちがカミさんの両親の歳に近づいた。子どもたちが孫にかこつけて、私たちを誘ってくれる。だからもっぱらジジババに徹している。

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取り付く島がない

2014年05月22日 18時15分54秒 | Weblog

 次女が「本当に恥ずかしい。私はずっとヒマだと思っていた」と言う。何のことかと聞けば、「とりつく島もない」の島(しま)を暇(ひま)と思っていたというのだ。「つっけんどんにされるって意味でしょう。だから忙しすぎて相手にされないことだと思ってたの」と。なるほどねと思っていたらカミさんが、「ヒマじゃーないの?えっー、私もそう思っていた」と言う。確かに日本語の発音はむつかしい。

 同じ発音なのに意味が違う言葉がある。「橋」と「端」、「柿」と「牡蠣」などそんないい例だ。朗読の先生は特に関西訛りの発音には厳しかった。アクセントの置き方が違うとよく指摘されていたが、長い間使ってきた習慣は簡単には治らない。英語にも同じ発音で意味の違う言葉があって、これを使って詩やセリフを作る場合もあるようだ。日本は小さな国だけれど、それでも地域によって方言があり、発音の仕方に違いがある。

 次女は昨年から仙台に住むようになった。仙台は各地から人が集まって来ているから発音で悩むことはないそうだが、田舎の方に行けば土地の言葉になって分からないことがあるそうだ。「そういう時はどうするの?」と聞くと、「前後の流れから推測する」と言う。「相手の目を見て、しっかり聞けば分かるわよ」と自慢気に付け加える。「そうか、会話の基本だものね」と少し嫌味で言う。なにしろ、相手が言い終わらないうちに話し出すような早とちりな子だったから。

 「早とちり」の意味は、副詞の「はや」に動詞の「とちる」がつながったものだと推測できる。じゃあー、「とりつく島もない」ってどういう意味なのだろう。そもそも、なぜこんな言い回しが生まれたのだろう。旺文社の国語辞典を見ると、①頼るところがない ②相手がぶあいそうで近寄れない とあるけれど、その出典については載っていない。意味からすれば、次女が思っていたように、「ヒマ」の方が分かる気がするの。インターネットで調べてみると次のような説明があった。

 「船に乗って、海に出たが立ち寄る島もなく、どうしたらいいのか分からない。あの人に伝えて、船には乗らない方がよいと」とある。江戸時代の浮世絵草子に出てくるものらしい。出典を知らずに間違って使っている言葉は結構あるし、いつのまにか間違っている方が一般的になってしまったものもある。言葉は変化するから仕方ないが、でもなあーと古い人間は考えてしまう。

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ハムレットは何を悩んでいたのか

2014年05月21日 21時21分42秒 | Weblog

 青年、ハムレットは何を悩んでいたのか、分からないまま過ごしてきてしまった。ハムレットの有名セリフ、「To be or not to be‥‥that is the question」(生きるか、死ぬか、それが問題だ)。高校生の頃、深刻ぶって言い合ったりしたけれど、ハムレットがなぜこのセリフを吐いたのか、知る由もなかった。恋人のオフィーリアに向かって、「尼寺へ行け、尼寺へ」となぜ口にしたのかも、「弱き者よ、汝の名は女なり」というセリフも、どこでどんな風に使われたのか知らなかった。

 今日、名演で『ハムレット』を観て、持ち越してきた疑問が解けた。物語の筋書きはだいたい知っていたのに、実際に演劇を観るのは初めてだと思う。ハムレットの父、デンマーク王は弟に暗殺され、弟は王妃と結婚してしまう。父を殺され、母を奪われたハムレットは復讐の鬼となる。復讐に燃えるハムレットは恋人を遠ざける。それが「尼寺へ行け」の言葉になるが、不義を犯した母への憎しみが言わせているのかも知れない。ハムレットはかなりのマザコンのようだ。

 それに、母親はダンナの死後間もないうちに弟と結婚したけれど、どうも嫌で一緒になった訳ではなく、彼女の方も弟を愛しているのではないかと思った。母が大好きなのに、その母が父を殺した男とベッドを共にしていることがハムレットは許せないのだ。にもかかわらず、なかなか復讐できない。せっかくチャンスが来たけれど、憎い男は神の前で懺悔をしている。今殺してしまっては残忍な悪行の男を殺すことにならなくなると考え込む。復讐だけに燃えている男なのに、優しい面が見えてくる。

 翻案も演出も美術もロシアの演劇家によるものだった。これまでの名演では観られない舞台に驚かされた。舞台には常に20~30人ほどの役者がいて、音楽に合わせて踊る演出は面白かった。ミュージカルのような舞台であり、バレエのような舞台でもあった。ロシア語のセリフもあり、頭を働かせて意味を推察しなければならない。「私、疲れたから帰る」と席を立つ人もいた。シェイクスピアの脚本はこんな具合だったのではないかと私には思えた。欧州ではギリシア悲劇が綿々と演じられてきたのだろう。そんな気もした。

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