姪っ子から電話で、肺炎で病院に入院していた姉が「施設に戻る」と連絡してきた。各所にチューブが差し込まれ、機械で生きながらえている姉の姿は見たくなかったから、「ありがとう。来週、みんなで見舞いに行くね」と礼を言った。テレビで女優の八千草薫さんが88歳で亡くなったと報じていたが、姉は八千草さんよりも1歳年上だ。
戦争末期に少女時代を過ごし、戦後の自由に戸惑いながら生きてきた世代だ。姉がどんな風に生きてきたのかは、大まかなことしか知らない。結核だったことや甲状腺の病気があったこと、戦後の家庭らしく朝食にパンを食べていたこと、離婚して喫茶店を営んでいたこと、私が東京で川に落ち、メガネや洋服を買う金を送ってもらったこと、思い返せば世話になってばかりだ。
「お父さん、お父さん、ばかり言っている。私のことは忘れている」と姪っ子は不満そうに言う。90歳近いのに、思い出すことは父親のことなのか。ズーと娘に世話になっているのに、どうして60年近くも前に亡くなった父親のことなのだろう。父に助けを求めているのか、あるいは父に謝っているのだろうか。
今朝は穏やかな秋晴れだったので、久しぶりにルーフバルコニーで作業した。夏の草花を抜き取りる作業に精を出した。重労働でも長時間でもなかったのに、胸が痛くなった。大げさだが、ここで死ぬのかとさえ思った。カミさんは友だちとゴルフに出かけている。ここで倒れてもカミさんが帰ってくるまで発見されない。それでは変死扱いで、迷惑をかける。部屋に戻って横になった。
今日はひとりなので、美味しいものを食べようとか、きれいな喫茶店でお茶にしようとか、夢見ていたが、ただ、横になって本を読み、うたた寝をする一日となった。夕方から、ゴルフ組の反省会に参加するから、生ビールでも飲めば元気になるだろう。