友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

良いお年をお迎えください

2020年12月28日 17時10分55秒 | Weblog

 

 とうとう今年も残り3日になってしまった。やっぱりコロナ禍で何もしていないから、思い出すことも少ないが、市の同年者の集いを心配しながらも2月にやってよかった。来年の2月は無理だろうから、どうするかみんなで考えなくてはならないが、その機会もなかなか持てない。

 昼から太陽が顔を出してきたので、残りの鉢にビオラを植えた。これでルーフバルコニーの作業も今日で終わる。ちょっと気がかりなのは長い間立派な花を咲かせてくれたバラ、クイーンエリザベスが枯れてきたことだ。根元から新しい芽が出ていたのに、先日の雪の後、萎れてしまっている。

 マンションの1階で出会った人と話していたら、「子どもたちも正月は分散して来るという、こんな年は初めてだ」と話す。我が家も例年なら3日に、私の妹や甥っ子姪っ子、長女の家族がやって来るのに、正月の集まりはしないことにした。

 みんなが来ないなら、大掃除もしなくてもいいか、そんな気がしてしまった。明日は友だちのダンナの葬儀に参列するつもりでいる。PL教の人なので、どんな風に葬儀をするのか見てみたい。そんな不遜な気持ちでは罰が当たるかも知れない。

 正月の花を飾るまで、玄関が寂しいので頂いたシクラメンの鉢を置いた。ピンク色が鮮やかで優しい。明日から、1月3日まで、いつも通りブログを休みます。私は年賀状を止めてしまったので、ごめんなさい。良いお年をお迎えください。

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自殺する人はどうしてなのかと考えてしまう

2020年12月27日 17時45分36秒 | Weblog

 カミさんが電話で、「お昼は皆さんと食べるから」と言う。今日は最後の活動日だから、「ゆっくりおしゃべりして来ていいよ」と送り出したが、昼食はひとりになってしまった。ならば好きなフレンチトーストを作って食べようと、卵を2個使ってちょっと贅沢なお昼にした。

 おしゃべりの花が開いたのか、カミさんはなかなか帰って来ない。せっかく静かな午後を与えられたので、先日買った『芸術新潮』12月号を開く。「21世紀のための三島由紀夫特集」である。三島由紀夫に関心は全くなかった。

 父親の書棚にあった『美徳のよろめき』を隠れて読んだが、高校生だったからか、何も感じなかった。多分、エロ小説を期待していたからだろう。自衛隊基地から呼びかける姿は印象に残っているが、何を言ったのか、どうして割腹自殺をしたのか、不思議に思っても知りたいとは思わなかった。

 それなのに76歳になって、自殺から50年という節目のせいか、三島由紀夫の名前をよく目にするようになったこともあり、三島由紀夫とはどういう人物だったのかと考えるようになった。私はそろそろ旅立ちたいと思うけれど、自殺したいとは思わない。命は神が与えたもの、死は神が決めるものと思っているからだ。

 だから、自殺する人はどうしてなのかと考えてしまう。怖いという気持ちよりも、死にたい気持ちが勝るのはどうしてなのか、太宰治も芥川龍之介も自ら死を選んだけれど、そんな勇気がどうして生まれてくるのだろう。平々凡々と生きてきた人間は、平々凡々と死ぬことになるのだろう。それでいい。

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朝から鼻水とクシャミが続く

2020年12月26日 17時17分40秒 | Weblog

 朝から鼻水がポタポタと落ち、ハックションとクシャミが続く。念のためにと体温を測ってみたが、36.6度と高くない。絶不調で何も考えられないし、何もしたくない。ブログに何も書くことが浮かんでこない。

 カミさんが友だちからのメールに感心している。「あなたの生まれた西暦に、あなたの年齢を足すと世界中の人が2020になるそうです。今度こうなるのは1000年後です」。生まれた年から年齢だけ生きてきたのだから、当然今年の2020になる。来年なら2021だ。「今度こうなる」という言葉に惑わされてしまったようだ。

 今朝の『中日春秋』と『天声人語』は、共に亡くなったなかにし礼さんを取り上げていた。ほとんど文字数は変わらないのに、『天声人語』の方が文面が濃く見える。朝日新聞は紙面そのものが濃いが、決して内容に比例している訳ではない。漢字が多いだけのことだ。

 しかも共に「石狩挽歌」から始まっている。『中日春秋』は「北の浜辺に漂う悲しみやさびしさが音になればこうかと思わせる造語が生まれた」と、歌詞のなかの「オンボロロ」について語る。『天声人語』は「詞の難解さに耳を奪われる。北海道の漁業の衰退が主題とわかり、社会性の高さにうなった」とある。

 「男女のもつれた恋情を微細に描く歌詞も多く、少年だった私はテレビの前でドギマギした」のだから、『天声人語』の筆者の年齢は若いようだ。きっと「時には娼婦のように」でも聞いて、想像を膨らませていたのだろう。男は聖女よりも淫らな女を求める時があると分かるには幼かったのだろうが、大人になってもまだ頭でっかちな文章しか書けないようだ。

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今日はとても運がいい

2020年12月25日 17時53分00秒 | Weblog

 クリスマスの今日は、3時からペースメーカーチェックの日だった。昼食を取りながらテレビを観ていたら、議運運営委員会で「桜を見る会」の前日にホテルで行ってきた後援会の夕食会の費用を巡る問題について、安倍前首相と議員との質疑応答が行われていた。

 「道義的責任は痛感している。初心に立ち返って全力で尽くしていくことで、職責を果たしていく」と開き直る。「5千円の会費では出来ない」と問われると、前の国会では「毎年開いている客と一見さんとは違う」と強弁していたのに、「事務所が補填した」と答弁が変わり、その原資は「秘書に預けてある私の金」と言う。

 「国会でうその答弁をさせられ、結果として恥辱を与えた秘書は、勝手に金を使ったのだから横領罪で告発しないのか」と問われると、「長年勤めてきてくれた」と答えていた。5千円会費では出来ない夕食会だったので、「利益供与ではないか」と責められると、「私は9回も圧倒的な勝利をいただいている。利益を与えて票を集めようとはつゆほども考えていない」と否定する。

 結論は、秘書が行ったことなので安倍氏は知らなかったということになるのだろう。バカバカしいと思いながら電車に乗ると、高校生のカップルが腕を組んでいる。地下街を歩く人はけっこう多い。若い女性は素足を見せつけるようにスカートが短い。ジャンボ宝くじの呼びかけに、「ヨシ、買おう」と列に並ぶ。

 病院では必ず長く待たされるのに、今日はとてもスムーズだった。デパートのクリスマスケーキ売り場は列が出来ていたが、少し奥の売り場は閑散としていた。アルバイト店員の女性と目が合ってしまったので思わず、ショートケーキを2個買った。行きも帰りも電車は直通だった。帰りの電車がトンネルを抜けると目の前に虹が見えた。今日は運の良い日だ。宝くじも当たる気がする。

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全国デビューした西尾の市議

2020年12月24日 17時45分02秒 | Weblog

 愛知県西尾市の市議会がテレビで取り上げられ、全国的に知られるようになった。良いことなら胸を張るところだが、市民もきっと恥ずかしい思いをしていることだろう。5人以上の会食を自粛せよと政府が言っている中、自民党系の市議が14人で3人のコンパニオンを呼んで宴会を行なった。

 宴会は定例議会の終了時に、「いつも行ってきたのでやめようと言う声は無かった」と幹事役の市議は言う。また、3人のコンパニオンを呼んだのは、「感染防止のため」と説明している。テレビの取材に会派の代表は、「議員だから飲んじゃーいかんとCBCは言うのか」と開き直っていた。

 これが報道されると「マズイ」とでも思ったのか、「ご批判を真摯に受け止め、深く反省している」と謝罪していたが、アレッ!どこかで聞いた覚えがある。菅首相も王貞治さんらとの忘年会が批判されると、「誤解を与えた」と謝罪し、「ご批判を真摯に受け止め、深く反省している」と述べていた。

 その前には、これも全国的に有名になった富山市の市議が政務活動費の不正問題がある。こちらはドキュメンタリー映画にもなった。何人かの市議が辞任せざるを得なかったが、西尾市の市議は「深く反省して」そのまま市議を続けるだろう。

 河井克行元法相の裁判がインターネットニュースに載っているが、金を受け取った市議たちに罪悪感は無いようだ。地方の市議は県会議員や国会議員に対して、「自分たちが票を集めてやっている」という意識があるから、その見返りに期待している。親分子分の構造に終止符を打てるのは、主権者である国民だが、今晩もどこかで宴会が行われていることだろう。

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とうとう年の瀬に

2020年12月23日 17時16分16秒 | Weblog

 とうとう年の瀬になってしまった。年明けから落ち着かない日々が続き、あっという間に時間は通り過ぎてしまった気がする。明日はクリスマスイブで、明後日はクリスマス。カミさんが「ワインはどっちで飲むの?」と聞くから、「両日とも」と答えた。

 中学・高校と私はキリスト教の教会に通っていたので、クリスマスは大事な行事だった。教会の仲間と一緒に街中を讃美歌を歌って歩いた。恥ずかしいというより、誇らしい気持ちだった。当時は家庭でクリスマスを祝う習慣は無く、繁華街で三角帽を被った酔っ払いが騒ぐことが多かった。

 クリスマスはキリストの誕生を祝う日なのに、キリストを知らずに酒を飲む大人たちを軽蔑していたし、キリスト教の西洋人がなぜ「お祭り」にしてしまうのか、理解できていなかった。新約聖書がキリストの死の後にまとめられたものであると分かり、どこの人間も嬉しい時は「祭り」をしたいのだと理解できた。

 キリストはユダヤ民族の救世主だけでなく、全ての人々を救うためにこの世にやってきた。そう信じるなら、その生誕の日を祝って当然だろう。コロナ禍をキリスト教の人々はどのように受け止めているのだろう。禍はいつも神の試練だったから、神に救いを求め生きていくしかない。

 ふたりの孫と曾孫にクリスマスプレゼントを贈った。今年は曾孫が生まれたのだから、みんなで集まってワイワイとやるところなのに、カミさんとふたりで黙ってワインを飲むのだろう。せめて何か、美味しいものを食べながらとしたいところだが、どうなることだろう。

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言葉に違和感

2020年12月22日 17時10分49秒 | Weblog

 テレビのニュースを見ていたら、麻生財務大臣が来年度の予算案が大型になった原因を、「コロナのおかげ」と発言したのでビックリした。「おかげ」は「おかげ様」というように、神様仏様のたすけに対する感謝の気持ちと私は理解していた。

 そこから、人から受けた恩とか力ぞえに感謝する時も、「おかげ様で」と表現してきたのだろう。だから「コロナのおかげ」と聞いた時は、とても違和感があった。麻生大臣は大久保利通を高祖父、吉田茂を祖父という良家の生まれだ。私よりも年上だから、幼い時から「おかげ様」は感謝の気持ちを表す言葉として使ってきたはずだ。

 でも、言葉は時代と共に変化するから、私が古臭いのかも知れない。私の娘たちが中学生とか高校生になった時、この地方の方言を使うのでビックリしたことがある。おそらく友だち同士で話す時、方言がより親しくさせたのだろう。

 言葉は文化でもあるから、「コロナのおかげ」という表現を否定することは出来ないかも知れない。年上の人を名前で呼ぶ習慣は我が家には無かったが、人は皆平等という観点から見れば、年上であっても呼び捨てで不思議ではない。

 ただ、自分が使ってきた言葉は変えられないもので、違う使い方をされるとどうしても戸惑ってしまう。今の子どもたちは、女の子でも「オレ」と言うし、男の子に「オマエ」とか「キサマ」とか言う。男の子も女の子も同じ表現が男女平等だとするなら仕方ないことだが、年寄りの私にはどうしても違和感が残る。

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話す機会も無く、キスも忘れて

2020年12月21日 17時09分41秒 | Weblog

 新型コロナウイルスの感染が止まらない。自粛が求められている中、私は忘年会に続いて葬儀にも参列した。コロナ禍に対する有効な対策は見つからないし、当分は無理だろうから、自分が気を付ける他ない。ところが野党は政府を批判するつもりで、個人の権利を奪う緊急事態宣言を要求している。

 何とアホな野党だろう。政府の政策が行き過ぎないように歯止めをするのが野党の立場なのに、経済への影響を恐れて強力な政策が打ち出せない政府を押し上げている。これだから野党は国民の支持を得られないと私は思っている。

 個人の権利を制限するような政策を強力に進めよというような野党より、あたふたして自信のない場当たり的な政策しか打ち出せない与党の方がマシに見えてきてしまう。どちらにしてもうまくいかないなら、適当なことしか出来ない与党でいいのではと思ってしまうだろう。

 コロナ禍の影響なのか、自宅に籠りっきりになっていたら、何だか無気力になってしまった。食欲もなく、何もしたくない。歯科医師にそんな話をしたら、演劇部がやっていた「アエイオウ体操をして、頬の筋肉を鍛えてください。舌を出して、上に伸ばし次に下に伸ばし、左右にも動かしてください」と指示された。

 そうか、最近は人と会わないから話す機会が無く、口を動かすことが無くなっていた。キスは20年近くもしたことが無いから、舌を動かすことも忘れていた。きれいな女の人と話をし、キスが出来れば、きっとこの無力感から脱出できるだろう。夢の話か‥。

 

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「大丈夫。彼女は寂しがり屋だからすぐに迎えに来る」

2020年12月20日 17時15分27秒 | Weblog

 友だちが亡くなるのは、悲しいというより寂しい。オシャレで豪快なところもあり、お酒も強くてよくおしゃべりする人だったから、余計にそんな気がする。家族葬だからという訳ではないと思うが、参列者は少なかった。家族と親しい友人だけの、けれども心の通じ合う葬儀だった。

 オシャレを自負していた人だったが、出立もオシャレに行うことが出来た。柩の中には溢れるほどの花が、それも大好きなピンクで埋め尽くされた。ハワイでも着たであろうフラダンスの、ピンクの衣装と白地にハイビスカスが描かれた衣装が納められた。

 「先に亡くなった父は、天国にやってきた母の姿を見てびっくりするでしょうね」と娘さんが言う。大好きなコーヒーをそっと唇に注ぐ様子に、「日本酒もワインも好きだったし、強かったわね」と友人が言う。「これからふたりは、毎晩飲めていいわね」の一言にみんなが笑う。

 笑いが生まれる葬儀でよかった。「辛気臭いのはごめん」と彼女に叱られずに済む。葬儀でいつも思うのは、何を言っているのか理解できない経典を長時間に亘って聞かされることだ。口語訳したお経では威厳が無くなるのだろうか。これでは葬式仏教と揶揄されても仕方ないが、仏教が廃れるのは必至だろう。

 通夜の時の導師は、最後に「お話をさせていただきます」と言い、「過去は取り返せないが、この出会いを受け止めてください。自分を見つめ、これからを大切にしていただきますように」と話した。死ぬまでが人生、悔いのないように生きなければならない。隣の友だちが「先に逝かれちゃったね」と言うので、「大丈夫。彼女は寂しがり屋だからすぐに迎えに来る」と応える。

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アッパレな旅立ち

2020年12月19日 17時12分40秒 | Weblog

 友だちの娘さんから電話がかかってきた。これから忘年会の準備にかかろうとしていた時だった。「昨日、母が亡くなりました」と言う。ランチを一緒にして、一緒に買い物もして、「もう、これで買い物にはいかなくてもいいからね」と言って別れたそうだ。

 「とっても元気で、よくおしゃべりもして、『今日はいい日だった』と笑っていたのに、それから何時間も経ていないのに、何を思ってなのかスパーへ出かけて行って、そこで倒れ、救急車で市民病院へ送られたけど、先生が言うには『もう息は無かった』そうです」。

 「私たちが行った時は安らかに眠っていて、先生は『死因は急性心筋梗塞です。全く苦しまずに旅立たれたと思います』と説明してくれた。アッパレですよね」と、最後は笑っているのか、泣いているのか、母の偉大さに感激しているようだった。

 彼女のお母さんとは長い付き合いだ。夫に先立たれ、一人暮らしだったが明るくて気配りの人だった。最近、アレッと思うほど物忘れが多かったが、それは歳なのだから仕方ない。友だちとしては孤立することの無いように気は遣っていたが、本人は「夜もよく眠れるし、調子はいいのよ。医者にも行ったことが無い」と元気だった。

 前もって伝えても忘れてしまうので、「今、ヒマですか。みんなが集まっているから来ませんか?」と電話するつもりでいたのに残念だ。来月が誕生日で、82歳を迎えるから、誕生日祝いをどこでやろうかと考えていた矢先だった。「生まれたからには、誰もが死を迎える」と友だちは言う。

 娘さんが「母の旅立ちを祝って、大いに盛り上がってください」と言っていたと皆に伝えたからか、昨夜はよく飲んだ。いつ、どうやって終わったのか、どうやって眠ったのか、覚えが無い。今晩の通夜と明日の告別式には参列する予定でいる。

 

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