友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思い出せない

2007年11月29日 23時18分35秒 | Weblog
 今日の話題はこれだと思ったことがあったのに、いざパソコンを前にしたら何も思い出せない。思い出せないとなると更に焦る。えーと、えーと考えるのだが、残念ながら出てこない。今日はお酒をやめておこうと思ったのに、カミさんに「何にします?」と言われ、つい「冷蔵庫にあの子(長女のこと)が高知のお土産で買ってきてくれたお酒が入っているよ」と答えた手前、やはり杯を重ねてしまった。

 なんとか今日の話題を思い出そうとするのだが、なかなか思い出せない。明日は先日、ポン菓子を行った師匠との反省会が設定されているので、結局は12時近くまで飲むことになるのだろう。そうなればこのブログを書くこともできない。何しろお酒にはめっぽう強い人ばかりだから、お酒は好きでもすぐに酔っ払ってしまう私は到底太刀打ちできない。

 師匠の言葉で思い出したのが、NHKテレビの朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』だ。中学1年の孫娘が友だちとこの連続テレビ小説の題名をどこまで言えるかを競ったと話していたが、今回の『ちりとてちん』は結構おもしろいと思いながら見ている。主役の女優がこれまでにないタイプというのが最大の要素かもしれない。落語家の話にしては、出てくる俳優たちの落語は誠にお粗末だ。師匠の渡瀬さんも多分冷や汗を流していることだと思うくらいにへたくそだ。

 孫娘は連続テレビ小説の題名を7つまで思い出したと言う。彼女がテレビを見るのは、この家でしかないのだから、7つと言うと3年半の作品になるわけだけれど、私も一緒に見ていたはずなのに、全く思い出せない。昔は朝のこの連続テレビ小説というようなものに興味がなかった。それがよく見るようになったのも、ゆとりがあるようになったということだろう。

 私が一番よく覚えているのは、題名は忘れてしまったが、青森県の大間と東京を舞台にしたものだ。男優は結構いい役をこなす男だが、名前が出てこない。ボクシングがしたくて女を捨てて東京へ出てきてしまう。この女がとてもよかったし、青森でりんご園を守る女もよかった。そして何よりも印象的だったのは子役だ。結末がどうだったのか、こちらも全く覚えていないが、大間の青い海と人の優しさが心に残った。

 そんなことで今日はおしまいにするし、明日は多分お休みだと思う。
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愛知県議会の政務調査費

2007年11月28日 21時32分57秒 | Weblog
 昨日の朝日新聞は、愛知県議会の政務調査費について、紙面の3分の2を使って報じていた。見出しも「政調費公開 抜け道アリ」「不透明さ多い使途基準案」とある。これまで政務調査費は非公開だったものを、原則3万円以上でしかも領収書を添付し公開するのだから、画期的な前進だと思っているのは、きっと県議会議員だけではないかと私は思う。

 政務調査費を非公開してきたこと自体がおかしいことだと思うけれど、議員にはおかしいと思う感覚はないのだろう。民主党県議団の代表を務める柏熊光代さんは、民主党内では社民に近い人だと思うけれど、河村たけし衆議院議員の秘書から県議に当選した女性が「1円から公開する」と発言に対し、「党の方針に従って欲しい」と脅しているのだから、柏熊さんを知っている私としてはビックリだった。

 県会議員が年間にいくらの議員報酬を受け取っているのか、愛知県議会のホームページにも議員報酬については記載がないので正確にはわからないが、年間1千万円は超えているだろう。政務調査費は、議員がいろいろ調べたり勉強するために、議員報酬とは別に支給されるものだ。しかも原則は会派に支給されるので、一人会派を認めていない議会では支給されないところだってあると聞く。

 私が町議会議員だった時は、年間5万円の政務調査費だったので、年に2回先進地といわれる自治体に1泊2日で出かければ支出オーバーになってしまった。それでも、この自治体の取り組みをぜひ自分の目で見たい、責任者の人から直接話しを聞きたい、そう思えば出かけていくのが議員の議員としての役割だと思う。けれども、愛知県議会議員のように年間600万円もの政務調査費はどう考えても異常だと思う。

 県議会議員は活動範囲が広いから、市議や町議や村議とは桁が違うと言われる人もあろう。では実際にどれくらい違うのかとなれば、まず大きな違いは見当たらないと私は思っている。私は調べたことがないのでわからないが、秘書を置いている県議は多いのかな?これは調査研究を補助する職員に政務調査費から給与を支払うことができるからだ。しかし秘書は何を主にしているのだろう。ほとんどは議員の後援会活動のために働いているのが実情だろう。後援会活動には政務調査費は支給できないはずなのに。

 政務調査費がウラ報酬になっている現実を考えれば、そんなに議員に支払う必要があるのか、よく考えるべきだ。地方自治体がもっと市民に直結していれば、いや直結する仕組みを持てば、議会議員そのものが不要となるはずだ。現在のように、議員が一つの特権階級であるような仕組みは間違っているし、それを助長するような議員に対する報酬や政務調査費という名のウラ報酬は廃止すべきだと私は思っている。

 私の仲間の議員の中にも、真面目に活動するが故に、自治体議員として受け取る報酬だけでは足りない、やはり政務調査費は必要だという人もいる。それならば、政務調査費を廃止し議員報酬を引き上げるのが本来の姿だと私は思っている。もし仮に政務調査費がこのまま残るようなら、政務調査費でどのような調査をしたのか、成果をきちんと示すような制度を作るべきだ。

 議員の活動は幅が広く、また公開できないような秘密裏のものもある、全部公開してしまったら議員活動ができなくなる、そんなことがよく言われる。まるで防衛省の「軍事は機密ですから」と同じ論理で、いかにも重大なことのような印象を与えているが、そんな議員活動は怪しいと思うべきだ。そう言えば人々が納得すると思っているだけのことだ。

 政務調査費の廃止に向けて、進んで欲しいな、かしわぐまさん。
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エディット・ピアフを聞く

2007年11月27日 23時59分03秒 | Weblog
 私は友だちのことを気にしている。どうして、気にしているかが友だちの文章を読んでわかった。中学高校からの友だちである彼はこんな風に書いていた。

 「人生も終盤を迎えつつある私たちには、やはり、『行かなければならない場所があり、会わなければならない人がいる。伝えたいことがあり、伝えなければならないことがある。』、そして自分の生きてきた意味が何であったかを、自分自身の力で探り当てておかなければならないと私は痛烈に感じていた。」

 私は今日、会いたいと思っていた人と昼飯を一緒に食べようと思っていたが、それは実現できなかった。返事が来なかったからだ。でも、結果的にはそれでよかった。孫娘が期末試験の第1日目でいつもよりは早く帰ってくる。カミさんは朝5時からゴルフに出かけていていない。孫娘が学校から戻ってきた時に、私は彼女を出迎えることができた。

 神様か仏様か、信仰心のない私が言うべきことではないが、むしろ返事をくれなかった友だちに感謝すべきなのか、とにかく今日はこれでよかったと思った。孫娘の帰りを見届けて、中野見夫住職の講演を聞きに出かけた。来年2月2日に、大和塾の第7回市民講座「いのちの讃歌」の講師をお願いしている方が、この町で講演されるというので、ぜひどんなお話なのか聞いてみたいと思ったのだ。

 中野さんは私よりも5つ年上だから、戦争のこともよく覚えている。真宗大谷派の寺の息子に生まれたので、空襲の犠牲者の葬られ方も実際に見ていたようだ。昭和45年に長男が遊びに行っていた川で行く不明になった。毎日川へ探しに出かけたが、見つからなかった。2ヵ月後に、中野さんの目の前を流れていく長男をを発見し、急いで川に入り抱き上げたそうだ。その息子さんの死から「いのちの讃歌」は始まった。

 子どものいのちを守ることは、平和を守ることであり、平和を守ることは戦争をなくすことだと、中野さんは話す。「仏教では、この世は全てが苦しみなのです」。会えば、別れなくてはなりませんし、愛してもいつかは死が訪れます。そうなのだと私は思いました。会えば楽しいし、愛すれば満たされる、けれでも完全とか完了ということはこの世には存在しない。だからこそ、生きている今を大切に、精一杯に生きることだと思った。

 中野さんは「以心伝心はダメですよ」と言う。「きちんと言葉に出して伝えなさい」。わかっているけれど、それは日本人である私たちには難しい。

 中野さんはシャンソンを歌う住職で知られているが、最後の30分はシャンソンなどを何曲か歌った。初めがエディット・ピアフの「愛の讃歌」だった。映画でエディット・ピアフを観たことを思い出し、彼女の一生も不幸であるが幸福であると思った。そして、ピアフが好きだという友だちに会いたいと思った。

 中学高校からの友だちが、話したいという気持ちが私にもよくわかる。何も昔の友だちだけでなく、今一番話したい人がいる、それなのに何を話したらよいのか、いや話すことすらもできないでいることに、苛立ちと悲しさを感じているのだ。
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孫娘の反抗

2007年11月26日 18時40分03秒 | Weblog
 孫娘は明日から期末試験である。昨夜は12時近くになっていたのに、今朝は「4時に起きる」と言うので、私はつい「そんなことはやめなさい。4時間しか眠らないのはダメです」と言ってしまった。「4時に起きないと、勉強できない。朝やる方が能率がいいの」と孫娘。「じゃー、もっと早く寝なさい」と言えば、「頑張っても結果は出ないかもしれないけど、頑張らなければ結果は出せないんだから、ほっといて!」と言い切る。

 私の言うことを聞かなくなったというよりも、孫娘が自分の生き方をハッキリ持っていることに、驚きとともに、この子も手元から離れていくんだなと思うとちょっと寂しい気もした。我が家の子どもは女の子ばかりの2人だが、中学生くらいになった時から、やはり親に逆らうようになったと思う。逆らうこと自体は自立への道だから歓迎すべき現象なのだけれど、実際の場面となると、それほど理解のある親を演じることは出来ない。

 先日も宴席で、友人が「子どもさんに甘すぎる」とご指摘を受けた。私は勉強しなさい、どこかわからないところはないか、学習塾に行きなさい、小遣いは足りているのか、そんな風に子どもにかかわったことはないが、子どもが小さい時はよく一緒に旅行に出かけたし、大きくなってからは、私の考え方や価値観を無理やり押し付けた。かまいすぎるということであれば、確かにそのとおりだったかもしれないが、「甘すぎる」という指摘は当たっていないように思う。

 年金以外にほとんど無収入となった今、私は子どもたちに対し、自分の意見は言っても強要はしないでおこうと決めている。私の意見は参考程度でいい。私が自分の意見や自分の価値観や自分の好みを表明しないことは考えられないことなので、あくまでもあなたたちの父親はこうだと頑固に表明するけれど、決定は子どもたち自身が行っていくだろう。子どもたちは社会で働き、社会と深くかかわっているが、年金生活者はひたすら自分の生活を送っているだけなのだから。

 年金の話が出た時、カミさんが「あなたの年金は65歳からは減るのよ」と言う。日教済でカミさんが掛けていてくれたものがなくなるというのである。私は年金のことは誠に疎い。なにがどうなっているのか、ほとんど何も知らない。65歳からはとにかくカミさんの年金で暮らすことになるらしい。いずれそう長く生きるわけではないから、よろしく頼むというより他はない。教員を辞めてからはずーとカミさんの世話になりっぱなしだ。カミさんよりも多い収入を目指したが、残念ながら一度も実現できないままだ。

 選挙の時、相手候補の陣営の人が「彼は髪結いの亭主だ」と揶揄したそうだが、その時はそうではないことを見せてやると思ったけれど、髪結いの亭主の域を脱することはできなかった。こうなれば死ぬまで髪結いの亭主でいくしかない。
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楽市でポン菓子を売る

2007年11月25日 19時02分51秒 | Weblog
 穏やかな暖かい日差しが降り注いでいる。さあ今日こそは鉢の土の入れ替えをやってしまおうと張り切っていた。まだ、少し肥料が足りないから、友人が「遊びに来てね」と言っていた“楽市”を覘いてから出かけようと思い、「“楽市”は何時からですか?」と聞いた。すると折り返しの電話が入り、「ポン菓子の人手が足りないからすぐに友だちと一緒に来てくれないか」と言う。友だちと私は先日、彼の家で宴会をやったばかりだ。断れるわけがない。「わかった。すぐに行く」と言い、友だちに電話を入れるといつものように二つ返事で「いいですよ」と言ってくれた。

 “楽市”は午前10時頃より始まったけれど、なかなか盛況で、どんどん人が集まってきた。南側で行われているフリーマーケットがお目当てなのだろう。穏やかで暖かい日だから、絶好のお祭り日和といえる。最高だったのは、和菓子屋さんが提供する黄な粉の草餅が無料で食べられるという時だ。餅つきが始まるとすぐに長い行列ができた。私たちを呼び出した友人が焼くみたらし団子も、その隣の1杯250円のうどんも、行列ができていた。私たちが助っ人を頼まれたポン菓子もなかなか好評だったが、何しろ一度にできる量に限りがあるから、あっという間に売り切れ、またしばらく待ってもらうという能率の悪いものだった。

 このポン菓子の機械は個人の持ち物で、子どもたちを喜ばせたくて、40万円で手に入れてきたそうだ。部品の一つひとつは貴重品で、手作りだから「高くつく」と言う。しかも機械の運搬のために軽トラックも買ったので、合計百万を費やしたそうだ。それで今日の“楽市”では1袋百円で売っているのだから、どこまでいっても決して元は取り戻せない。今日はお金をいただけたが、学校や老人ホームや地域のお祭りなどでやる時は全くのボランティアだそうだ。本当にボランティアだなと思ったのは、どれくらい売れるのか見当が付かないから、持ってきたお米は玄米が2キロと白米が2キロだったので、やっているうちにすぐになくなってしまった。

 「ちょっと買ってきますわ」と言い、しばらくすると2キロ入りの白米の袋を2つ下げて戻ってきた。何がなんでも売りまくろうという気が全くないから、効率はきわめて悪い。それがまたこうしたボランティア活動のおもしろさかもしれない。ポン菓子の材料のお米がなくなると、「丹波笹山の黒豆を持ってきているので、これでやってみるわ。これはサービス。みんなに食べてもらいたい」と、黒豆のパッカンに挑戦する。さらには「ついでもマカロニもやってみる」と、マカロニのパッカンをつくる。子どもたちは不思議そうに口にして、「ウン、おいしい」と言いながら、無料の黒豆とマカロニのパッカンを口に押し込んでいた。

 的屋さんではなく、素人の皆さんがそれぞれにアイデアを出して取り組むこうした地域の祭りはいい。やる側は大変な苦労があるが、遊びにやってくる皆さんには楽しみであり、地域のコミュニケーションとしては大いに意義がある。ところが、祭りを催す側では世代の高齢化や自分のところの商売をないがしろにはできないや余分にお金がかかるなど、問題もいろいろあって、「やめたい!が本音だよ」と言う。なるほど、継続することは大変な努力が要る。

 無理せずに、みんなが楽しめる、そんな“楽市”はできないものなのか。商売でも波があるように、商店街も浮き沈みがあり、祭りもまた盛んになったりなくなったりする。生み出すエネルギーもすごいけれど、持続するエネルギーもすごい。これは一人ではできない宝だ。
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恋愛事情

2007年11月24日 23時32分03秒 | Weblog
 長女は早朝より四国へ出張である。晩ご飯の時、孫娘から友だちの「恋愛」の悩みを聞く。好きだと告白したのに、「もうこれからはメールもするな」と言われたが、どうしようというものだ。そんな話から「ママちゃんは中学時代にはどんな付き合いだったの」と孫娘は祖母に聞く。

 問われたカミさんは「告白されたことはあるけれど、1対1の付き合いでなくて、みんなで遊ぶ方がよかったね」と言う。孫娘は「へえー、告られたことがあるんだ」と言うので、カミさんは「たくさんあるわよ」とちょっと得意気に答える。

 多分、間違いなく、好意を寄せていた男はたくさんいたと思う。何しろ可愛かったから、みんなの注目を集めていたことは確かだ。大学時代もカミさんに好意を抱いていた男が何人かいた。孫娘は自分が好きになった男はいるけれど、告られたことはないようなので、尊敬と羨望の眼差しで祖母を見る。

 「そうか、パパちゃんは自分が好きな子を、友だちが好きだといったら、引いちゃうな」と私が言うと、「本当に好きなら引けないじゃないの」と孫娘は言う。ビクッとする。高校時代に私があの子はいいなと思っている子を友だちから「好きだ」と告白されたことがある。わたしは二人が結ばれるように取り持ったけれど、確かに孫娘が言うように、本当に自分が好きなら相手と競争したかもしれない。

 友人と比べて自分が劣っているなら仕方ないが、決してそう思っていないのであれば、競争してもいいはずだ。それなのに、先に告白されると、それでも自分が好きだと言うことは卑怯な気がしてしまう。友人との信頼を大切にして、自分が身を引いたほうがうまく収まるように思ってしまったのだ。

 それでも、とどのつまり、孫娘の言うとおり、本当に好きで決して人に渡したくないというほどではなかったのかもしれない。そんなことを見極められるように孫娘がなってきたことが、私にはうれしかった。中学時代の好きだとかいうのは、実は恋愛なんかじゃーないと思う。「高校生は違うの?」と孫娘は聞くが、高校生あたりからは本当の恋愛ができると思うけれど、それが本物かどうかはやはりもっと歳をとってから言えることだと思う。

 私は高校生の時に、初恋の人から「あなたが好きなのは私ではなく、あなたが描いている私なのよ」と言われ、衝撃を受けた。けれども、彼女の言い分は正しい。私は彼女の全てを受け止めているつもりだったけれど、彼女にすれば、それは私が描いていた彼女に過ぎないということなのだろう。

 いつもいつもそんなことの繰り返しだ。私は自分しか見えないのかもしれないと不安になる。いや、むしろ自分も見えないのかもしれない。人はいつも自分が見えているつもりだけれど、それさえも不確かなのかもしれない。私はあなたのことを信じている。それでいいのではないか、そんな気がする。
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結婚記念日

2007年11月23日 22時07分43秒 | Weblog
 明日は結婚記念日という前の晩、男は妻に「明日はどういう予定になっている?」と聞いた。妻は「特に何もないわよ」と答える。「じゃー、TOKIにでも行こうか」と男が言うと妻は「何しに行くの?」と聞き返す。男は自分の意思が全く伝わらないので、「エッ!?まあいいか、鉢の土の入れ替えも済んでいないから、明日はチューリップのために頑張るか」と言う。しばらくして妻は気付いて笑いながら言う。「それって、二人で出かけようということ」。「ああ、でもまあーいいよ。まだ鉢の土の入れ替えができていないし」と男も笑って答える。

 これが、結婚したばかりの男女であれば、いや結婚する前の男女ならばさらに、以心伝心というところなのだろうが、長い年月が経つと逆にキチンと言わないと伝わらないから不思議だ。相手が何を求め、何に関心があり、今どうしたいのか、恋人同士ならアンテナの感度はとても高いのに、長い年月一緒に暮らしていると、どうも鈍くなるような気がする。いつまでも恋人同士の時のような緊張感など持っていたのでは疲れてしまうと言われそうだ。たぶん、私自身も惰性の中に心地よさを感じているはずだ。

 男と女は不思議だ。不思議だから、小説になり映画になり芝居になる。100組の男女がいれば100組の恋愛がある。私の友人は「こんなにたくさんの人間がいるのに、組み合わせは1つというのは間違いではないか」といかにも説得力のある言い方をする。そうであっても、人間の歴史は複数の組み合わせを禁じてきた。古代ユダヤでモーゼは十戒を示し、その中で「姦淫するなかれ」と説いている。説かなくてはならないということは、そうではない人々がいたということでもある。日本人は性におおらかであったが、封建制度がしっかりと確立した江戸時代には密通は打ち首であった。

 それで、人は生涯ただ一人を守り通してきたかといえば、それができなかったようで、前にも言った小説や映画や芝居の題材になった。純愛や非恋であるが、それは世間の道徳に反していると言ってもよいだろう。男でも権力や財力を持つものは、複数の女性を手に入れているし、また女であっても同じだった。

 中日新聞に寄稿していた佐藤真由美さんが『乙女心注入サプリ』という短歌とエッセイの本を出した。彼女の短歌は俵万智さんの作風と似ているから、わかりやすい。
「約束は 忘れて好きな 夢見たらいい 膝まくらしてあげるから」
「無理すれば 週末デート できるのに もう無理しない自分に気づく」
「髪の毛を 触れられるのが好きだとも あなたを好きとも伝えなかった」
「愛だけが 孤独を癒す 愛ゆえに淋しさを知るのと同様に」

 斉藤茂吉は53歳で、24歳の長井ふさ子と恋に落ちた。63歳の私たちには恋は無理なのかな?
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東野圭吾の小説『夜明けの街で』

2007年11月22日 20時23分23秒 | Weblog
 寒い日が続いている。今朝は仙台で雪が降っている映像がテレビから流れてきた。11月の初めの頃だったと思うけれど、学校祭の振り替えで平日が休みになったので、高山へ出かけたことがあった。こちらではよい天気だったのに、列車が進むにつれて天候は思わしくなく、高山駅に着いた時は雪が降っていた。初めて見る高山の雪景色だった。市内観光のバスで見学したけれど、雪のために足元がベタベタになり、靴の中にも染み出てきて、指先が冷たかった。

 高山をさらに北上すると越中八尾に出る。私はまだ行ったことがないけれど、高橋治の小説『風の盆』の舞台となった八尾である。ストリーは忘れてしまったが、石川さゆりが「風の恋盆歌」という題で歌ってヒットした歌の下敷きとなった。八尾には毎年何万人という人々が訪れるそうだ。どうしてそんなに人の気持ちを引き付けるものがあるのか、一度は自分の目で見てみたいと思う。それに、小説の中に出てくる「酔芙蓉」がどんな花なのかも気になる。

 友だちが東野圭吾の小説『夜明けの街で』を取り上げていたので、私も読んでみた。いつか二人であるいは何人かで、読書感想を話し合う機会があるかもしれないと思ったからだ。彼は「エンターテイメントの一つとして、よく練られたミステリー小説と割り切って読めば、退屈しのぎには丁度いい」と書いていた。「主人公の心情が、読み手である私の琴線に触れてこない」「あらゆるDetailがはしょり過ぎているようで、物足りなかった」とも書いていた。

 私は現在の作家をほとんど知らない。なぜか興味が湧かないのだ。20歳頃は高橋和巳や柴田翔、あるいはもう一度読み直してみようと大江健三郎を読んだ。けれども以後、心惹かれる小説に出会わなかった。村上龍や田中康夫のような芥川賞作家の受賞作品も読んだけれど、何も覚えていない。大原富枝や山田詠美の作品で心惹かれたものがあったが、題名も覚えていない。

 友だちは高校時代には文芸部部長を務めたくらいだから、文学への関心は私などよりはるかに高い。その彼が「退屈しのぎには丁度いい」と一刀両断に言い切るのだから、そんな程度の作品ということなのだろう。私はミステリー小説としては傑作ではないかと思うけれど、生きることの苦悩とか喜びとか、登場人物の人間関係における愛情や憎悪、人生とは何かを提起することに欠けるように思う。男と女の出会いと別れを刻々と綴るだけでは「退屈しのぎには丁度いい」ものでしかないのかもしれない。

 友だちは12年間、もっとも大切な女友だちと「友だち以上恋人未満」の関係を続けている。ブログで見られるその過程と現在の心境の方がはるかにドラマチックで文芸作品のように思える。それは彼の妄想の世界、創作の世界なのかもしれない。彼にぜひ「物語って欲しい」と願っているのも、人生は何かを示してくれそうだからだ。
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リーダーの条件

2007年11月21日 23時47分33秒 | Weblog
 今晩は友人宅で宴会である。先日、もう1家族誘って一緒に来ないかと言われた。そのことを伝えると二つ返事で「いいですよ」と答えてくれた。本当に気のおけない人で、気持ちがいい。私よりも4つ年上の兄貴分でもある。困ったことがあるとつい甘えてしまうが、いつも気安く「いいですよ。お手伝いすることがあれば言ってください」と答えてくれる。

 「今晩、宴会をしないか」と誘ってくれた友人も、一緒に行く友人も、子どもの頃はガキ大将だったと言う。私は小学校の5年生になるまでは、おとなしいだけの子どもだった。通知表にはいつも「積極性が欲しい」と書かれていた。4年生の時の写生大会では、クラスのボスに命じられて、彼の写生を描いて、それから自分の絵に取り掛かったが、時間がなくてできなかった。ボスの絵は入賞したが、私のものは無様なものだった。

 私を変える事件は、5年生の時に起こった。クラスの男子がほとんど全員参加した授業ボイコット事件である。振り返ってみると、若く溌剌とした担任の女教師への思慕が裏返ってしまった行為だったように思う。ボイコットの過程で、裏切りが発生し、何人かが脱落していった。みんなで決めておきながら、自分だけいい子になろうとする行為が私には許せなく思われた。私が男らしいと憧れていた男の子が責任を取る形で、転校していった。

 私はクラスの級長を務めてきたが、人前に立つことはイヤだった。小学校5年生で、これではイカンと思うまで、授業中に進んで手を上げる子ではなかった。引っ込み思案で、いつも目立たないようにしていた。身体も小さくて色白で、女の子のような男の子だった。姉の夫が私を可愛がってくれて、姉の家に遊びに行くと、部屋の中で相撲を教えてくれた。何度も何度もひっくり返され、どうやったら小さい身体でも相手に勝てるかを教えてもらった。

 小学校の6年生の時には、児童会長にもなったのだから、それまでの消極的な子どもとは違ったはずだったが、決定的になったのは中学1年の時だと思う。どう言い訳かまた級長を命じられて、クラスに号令をかける役だった。クラスにはヨソの小学校からきた強面の奴がいた。私の号令など無視して、私を馬鹿にしていた。いつだったか、余りにも馬鹿にした態度だったので、姉の夫から「ケンカは先手必勝」と言うとおりに、その男に突き進み持ち上げて、思いっきり教室の後の壁にたたきつけた。

 おとなしいだけだと思われていた私が、思わぬ行動に出たのでその男は全く反撃できなかったし、クラスの連中は驚きとともに、何をするかわからない奴という目で見るようになった。それからはリーダーとして、自分を自覚するようになったし、自らリーダーを務めるようになった。リーダーの資格はなんと言っても気配りだと思う。クラスの一人ひとりがどういう状況にあり、何を求めているか、きちんと把握していなくてはならない。自分のことよりもみんなのことを考える懐の深さがなくてはならない。

 今、戻ってきた。今晩の宴会はとてもよかったなと思う。3組の夫婦は全く違うけれど、それぞれに個性的だ。夫婦でありながらまた、それぞれの個性が目立っている。こんな歳になる前に、こうした機会が欲しかったと思い、いや待てよ、こうした歳になったからこうした機会がもてたのではないかと思うようになった。人の出会いは神が決めた運命である。運命を素晴らしいものにするかしないかは、また本人が決めることだ。
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何のための調査捕鯨?

2007年11月20日 22時04分59秒 | Weblog
 南極海に向けて日本の捕鯨調査船団が出航した。今回はこれまでの調査対象であるミンククジラ加えて、ザトウクジラも捕獲の対象にするという。それで、オーストラリアではたくさんの人々が日本の捕鯨に「ノー」と表明しているそうだ。たくさんと言ってもたかが2千人くらいのデモに怖気づくことはないと言う人もいるだろう。私がよくわからないのは、なぜ日本はクジラを捕獲するのかということである。

 何を寝ぼけたことを言うのか、そもそも人類は昔からクジラを食べてきた。日本がたくさんの小船を使ってクジラを湾内に追い込み捕獲していた時、アメリカはすでにクジラに大きなモリを打ち込み捕獲していた。今は反捕鯨国となっているアメリカやイギリスを始めとする西洋各国が捕獲したクジラの量は日本とは比較にならなかったであろう。そのクジラ捕獲国がクジラの保護を口にするのは理解できないと言う人もいる。

 小学校の頃、学校給食にクジラの肉が何度か出たが、私の印象は、クジラの肉は硬くて美味しくないものだった。大人になってクジラのステーキを食べたことがあるが、これは牛肉に代わらないくらい美味しいものだった。日本の調査捕鯨はどこが行っているかといえば、どうも第三者機関のようだ。完全に民間会社ではなく、だからといって水産庁が行っているわけでもない。政府からは補助金が出ているようだから、興味のある人は調べて欲しい。

 この捕鯨調査船団がどのような調査をしているのか、発表はあるのだろうか。調査のために捕獲したクジラは解体されて、クジラ肉として市場に出荷されている。年間の売り上げは何十億円にもなるそうだ。反捕鯨国は日本の調査捕鯨は商業捕鯨と変らないと非難する根拠にこの金額の多さを上げている。調査捕鯨が始まったのは、商業捕鯨が禁止されてからだから、「商業捕鯨がダメなら、調査のために捕鯨する」という論理で行ってきたことは確かだろう。

 クジラをめぐる国際会議の様子を一度テレビで見たことがあるが、なぜ日本はクジラを捕獲するのか、その理由は全くわからなかった。私は「クジラの捕獲に反対だ」と言う人がいるのであれば、やめればよいと思う。クジラを食べなければ生きていけない事情が日本にあるとは思えない。多くの人が反対しているからではなく、反対している人がいるから、クジラを捕獲するのはやめる、そう考えるべきだと思う。
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