古伊万里江戸後期物万歳

古伊万里江戸後期ものの魅力。

濱田庄司展を見に行く

2010年06月19日 20時59分59秒 | 益子焼
大阪市立東洋陶磁美術館所蔵品であるところの濱田コレクションを栃木県立美術館へ見に行ってきました。
ここから、車で20分くらいでいける美術館ですが、もう、10年くらい行きませんでした。(笑)

↓これらの写真は、会場でもらったパンプレットの写真です。




駐車場の心配をしながら、ついてみると、車はらくらく停められました。
中に入ってみると、人が少なく、くらくらく鑑賞できました。
若い人がほどんどいないのが、すこし気になりました。
民芸人気をつなぐ、若い人が減っているのでしょうかね?




↑会場を見渡して、まず、印象に残ったのは、この大皿でしょうか。

釉薬を指で書き落として、文様としたようです。
茶色く現れたのは、生地の土色でしょう。
このダイナミックな作風は、さすがに民芸を標榜した作家さんでしょう。




↑次ぎに、この流し掛けしという技法をつかった大皿がおもしろいと思いました。
ひしゃくから、直接、釉薬をたらします。
濱田得意の流し掛けです。




こういう水柱や蓋物のデザインもしゃれていて、時代によって飽きることはありません。
パンプレットには、二碗しか載っていませんが、抹茶碗も20点以上展示してありました。




陶芸の心得もまったくない私ですが、こういう皿やうつわはどうやったらできるんだろうと、
ため息がでそうになるほどの、嫌味のない調和美では天下一品の作品をつくる天才的な陶芸家ですが、
一二点の作品をのぞいて、茶碗はあまり得意ではなかったのではないかとの印象を強く持ちました。

当人も抹茶碗をつくるより、コーヒー茶碗を作りたいといっていたそうですが・・




濱田陶芸の原点ともいえる、李朝風な偏古と、西洋風なピッチャーです。
このあたりでは、濱田の実力を遺憾なく発揮して、非凡な作品となっていました。


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濱田庄司(湯のみ)

2010年03月20日 20時21分22秒 | 益子焼
生前、濱田庄司さんとお付き合いのあった伯母がらいただいたものです。
その伯母も去年の7月に90歳で亡くなりました。




鉄の絵の具で、簡単な模様を描いています。
わかい頃の作品と思われます。




高台は、このように(梅花皮)カイラギがでています。
見ためより薄く、軽くできています。




正真正銘の庄司作です。
高台の感じなどを、ご参考になさってくだされば、幸いです。
銘がないのが、約束です。

高さ約8cm口径約7cm。


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島岡達三・掛け合釉縄文象嵌皿

2008年02月11日 10時15分42秒 | 益子焼



去年の12月11日に、益子の人間国宝の島岡達三さんが亡くなりました。

地元ですので、何点かは、持っています。

ちょと、残念でしたが、年齢的には長寿の方だったんじゃないでしょうか。

地元では、有名でしたので、知らない人はいないと思います。

濱田庄司氏のお弟子として修行をされて、

庄司氏に『たとえれば、つむぎの様な作風』と言われたそうです。

濱田氏の豪快な作風に比べて、やや、ナイーブな繊細な作風とでも言うべきでしょうか。


追記・・・

 【これは、お魚の文様では、ありませんので、念のため・・(笑)】

   直径約、24cm×3,5cm


島岡達三(しまおかたつぞう、1919年(大正8)10月27日 - 2007年12月11日)
東京出身。父は、組紐師島岡米吉。師は、浜田庄司。

1954年(昭和29) 益子に築窯。
1964年(昭和39) 日本民芸館賞受賞。
1980年(昭和55) 栃木県文化功労章受章。
1994年(平成6) 日本陶磁協会賞金賞受賞。
1996年(平成8)5月10日 民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
1999年(平成11) 勲四等旭日小綬章受章。
2007年(平成19) 12月11日没・享年88歳



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濱田庄司作の湯呑(益子焼)

2007年09月29日 19時48分37秒 | 益子焼




益子焼の湯呑です。

関東では、陶器と言えば益子焼と言うほど普及しています。
窯元も大小300軒を越すそうです。

すぐそばに、笠間焼もありますが、作風もいくぶん違いますので、区別がつきます。
土も、笠間のもの方が、よいようです。

益子の土は、もともと品質もあまりよくなく、最近は産出量もすくなく高価だと言います。
ですから、最近は、他の産地の土を益子の土にブレンドして使用しているそうです。
益子の作風は、民芸運動の濱田庄司氏の作風を踏襲したものがどうしても、多くなりますが、
最近は、いろいろな作風も見られるようになりました。

しかし、あまりに濱田の名前が有名なので、基本は、この掛釉の様な民芸調が基本でしょうか?


濱田庄司作
(かって濱田氏と親交のあった伯母より、頂戴したもので真作です。)

  口径約8,5cm×6,5cm



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佐久間籐太郎(益子焼)

2007年08月02日 06時17分43秒 | 益子焼



  

   山百合をいただいたので、益子焼きの壺に活けて見ました。



よい匂いが素晴らしく、隣りの部屋まで、流れてきます。

濱田庄司氏とともに、民芸運動を推進した佐久間藤太郎さんの作品です。

むかし濱田氏や佐久間氏と親交の深かった叔母より、いただきました。

濱田さんの作品と同じく作品に銘を書き込まないのが特徴で、

その辺に、民芸運動のこだわりがあるのでしょうか。


 (ちょっと、百合を重視しすぎて、花瓶の映りが芳しくありません(笑))



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