古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

河本礫亭の花瓶

2008年04月26日 21時00分46秒 | 信楽・瀬戸・その他
奇麗な染付けの磁器を見ると、欲しくなる悪いクセがありまして、
たまに、こういう作家ものを買います。




色絵磁器ですが、古伊万里とはかなり違いまして、すべて絵の具は釉下彩(透明釉の下の発色)です。
その点が、すごいと思いました。




季節は、いまごろでしょうか。新緑の中に山桜も見えます。
山桜のピンクは、釉裏紅で描いてあります。

木々の繁りは、南画の影響でしょうか、一枚一枚丁寧に描いてあります。






河本礫亭…明治28年生。昭和47年、染付磁器で、愛知県無形文化財に指定される。
河本五郎の養父としても知られる。昭和50年没。


 高さ約35cm、最大直径約、25cmとかなり大柄な花瓶です。



時代霊のなぞ

2008年04月19日 15時09分12秒 | 古伊万里=色絵中皿
古伊万里を中心に集めていますと、ときに骨董に興味のない身内から質問がきます。(笑)

弟 『こういうセトモノばかり集めて、どこが面白いの?』

私 『それは、古伊万里には、江戸時代の時代霊という霊魂が、宿っているんだよ。』

弟 『え!!!時代霊・・・!。あははは・・・、そんなのあるの?』

私 『あるに決まっているよ。大掃除のときに、畳の下から、古新聞が出てくることがあるだろう。
  それに、新車発売のカローラや、セドリックの広告写真を見たことがあるだろうか。
  当時は、最新型に見えたそれらの新車が、いまみるとなんとレトロで、時代遅れに見えることか。』

弟 『それが・・・?』

私 『それこそが、時代霊のシワザだよ。それは、その時代を支配している人知を超えた大きなエネルギーの
  支配下に人間の意識や魂が、支配されている証拠だよ。』

弟 『ふ~む。なるホド・・・』


 でも、この話し、古伊万里の魅力を説明したことになっているのだろうか・・?(汗)(笑)






江戸後期も幕末、天保期くらいの作品と思われます。
直径30センチの尺皿です。




随分と丁寧に絵柄が描かれていて、当時は上手のものだったんではないでしょうか。
いま見ると、これでもか、というくらいあざとい絵付けに見えますが、
よいモノを作りたいという当時の陶工の純粋な気持ちは、素直に伝わってくるような気がします。




後期ものとしては、珍しい皿の裏にツヤのない鉄釉が、びっしりと塗ってある作品です。
清朝の十錦手の影響があるような気がします。

皿うらの銘も変わっています。
ちょっと、中期の伊万里を彷彿とさせるかもしれません。



幕末写真集その②大名屋敷

2008年04月12日 21時01分10秒 | みやまつりが日記
これは、江戸は愛宕山からみた写真です。
もちろん前回同様、オランダにあった写真です。

この瓦の波は、江戸城の一部ではありません。
ほとんどが、江戸の大名屋敷だそうです。
       




これは、江戸は中ノ橋付近の久留米藩有馬家の上屋敷だそうです。

お屋敷の塀に見えるところは、二階建てになっており、
江戸詰めの下級武士が住んでいたそうです。

この他に、中屋敷、下屋敷とあったのでしょうから、当時の大名の暮らしぶりがわかりますよね。

維新後は、政府に没収されて、工部省を経て海軍兵の宿舎になったそうです。
       




これは、肥後は、熊本城主の細川公の江戸の上屋敷だそうです。
塀の終わりが、ほとんど見えません。(笑)
当時の大名屋敷が、大きさがわかりますよね。

大名屋敷の中には、畑もあって、使用人が自給の野菜を作っていた処もあるそうです。
       



これらの、大名屋敷いまの世に何点か残して置きたかったですよね。

当時、これらの屋敷の維持管理、修復にどれだけのコストが、必要だったのでしょうか?
屋根や、壁の修復、畳替え、衣食住・・など等
大名屋敷と武士階級は、食事を含め、ただ、消費の生活をおくるのみですから、
その、需要と消費で江戸の町は、かなり潤っていたそうです。

江戸の言葉に、『おてんとう様と米の飯は、どこへいっても付いて回る』

       『鐘一つうれぬ日はなし江戸の春』 其角(芭蕉の弟子)

とあるように、地方都市と違い、飢饉と言うものは、存在しなかったようです。
うらやましいですよね。



志田焼・虎図その②

2008年04月06日 13時47分43秒 | 志田焼
二匹目の虎を捕まえました。(笑)



志田焼の竹に虎図です。もともと、志田の色絵皿は、数が少ないですが、虎図となるとさらに貴重です。最初に紹介した虎図より、時代は少し下がるのではないでしょうか。


いわゆる、どちらも猫虎でしょう。江戸時代に本物の生きた虎が日本にいなかったので、猫をモデルにして描いたそうです。目の虹彩が、ねこの目のように縦長に描いてあるのが特徴ですが、これは、比較的まるく見えます。


   時代は、天保くらいでしょうか。       直径約、30cm×4,5cm。
  
以前の日記のご紹介です。    ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/miyamaturi/1251873.html



明治・飛び蛸唐草文様花瓶

2008年04月02日 20時30分24秒 | 印判
明治時代の飛び蛸唐草文様の花瓶です。

平太さんや66さんの日記の立派な、チョコにくらべて、
やはり、明治という時代が近いので、やや見劣りするのでなかなかと思い日記にUPできないでいました(笑)。




蛸唐草は、ベロ藍の印判で描かれ、口の線描き文様は、手書きです。
やや、洋風な唐草に描かれていると、いっていいでしょうか。




小さな花瓶ですが、高台を触って見ると、
磁器の土味は、焼き上がりが、江戸期の粘り気のあるものとかなり違う感じがします。
現代の有田焼に似た、やや乾燥した硬い土味で、明治になると材料が違ってきていることが判ります。




花を挿すにも、観賞用にも、やや中途半端な大きさと、デザインともうせましょうか(笑)。

高さ約、16㎝×巾約、15㎝