古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

陽刻花紋花瓶

2009年08月30日 21時23分04秒 | 古伊万里=ふくろもの
選挙の結果が、でてきつつありますが、歴史的な政権交代になりそうですね。
政権が、代わっても、官僚組織が同じですから、それほどの変化は望めないかも知れませんが、
世の中の流れのきっかけになりそうです。

ただ、人口減少時代に入り、内需縮小傾向、これ以上の輸出型経済発展も望めない以上、
保護貿易に傾斜するか、移民を受け入れるしか、二つの方法しかないのかなぁ?
などど思ったりしてしています。

地方の個人商店の減少をみると、規制の見直しも必要でしょうか??


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これは、江戸後期~幕末くらいの花瓶ではないでしょうか。

あまりない作風で、気に入っております。
肩のところに牡丹の花が、陽刻されています。




菊の花、蝶、定番の太湖石などが描いてあります。




団扇に、あさがお、桔梗と秋草などが見えます。

ごくうすいピンクは、ベンガラを極うすく塗って、ピンクを表現していますので、
特に新しい絵の具を、使った感じはありません。




高さ、34センチくらいの花瓶です。






富永 源六(源六焼)

2009年08月23日 09時28分52秒 | 明治伊万里染付
さて、来週は、いよいよ国政選挙ですね。

どうなる事でしょうか?

いま、地方都市の旧繁華街は、衰退の憂き目にあっていますよね。

まあ、車社会ですから、仕方ないといえば、仕方ないのですが、よく考えてみれば、
旧繁華街は、江戸時代より栄えていた繁華街です。

旧繁華街ちかくも、空き地が多くなり、昔のように駐車場には、苦労しないですぐ停められるようになりました。
それでも、客離れは、止まりません。

これは、よく考えるれば、大きな時代の転換点に、きているのかも知れませんね。


地方の八百屋や、個人スーパーが廃業となり、
そのあとにコンビニが出来ていて同じ商品が同じ価格で、営業時間も長く、きわめて便利ですが、
わたしは、そのコンビニもやがて、客離れが進むと見ています。

そのうちに、どこで買っても、学校給食みたいな、画一した品揃えに、満足できなくなるような気がします。
ただ、それに気がつくのに、多少時間がかかるような気がします。


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これは、佐賀県嬉野(うれしの)市嬉野町の内野山地区で明治後期から大正期に製造され、
国内外で高く評価された、源六焼です。





創始者の富永源六は、安政6年2月7日生まれで、瀬戸や京都などへ視察に行き技術を学び、
国内向けの実用品や輸出用の磁器を作り、当時人気を博したと言います。


朝顔の絵付けが上手いですよね。
最初は、プリントかと思いましたが、間違えなく手書きです。





源六焼は1888年ころに富永源六が始めたそうです。

絵付けをした上から透明の釉薬(ゆうやく)をかける「釉下彩(ゆうかさい)」という技法が用いられ、
多彩な色合いが良好な状態で保たれるのが特徴。欧州の貴族らに愛され、
国内外の博覧会で賞を獲得するなどしましたが、
昭和9年ころに、廃窯したという説と、戦後の混乱などで窯元の経営が行き詰まり、
昭和40年代廃業したという説があります。

いずれにしても、今となっては、なぞの多い窯で、当時の人気から、贋物も当時からあったそうです。
時代のついた贋物ですから、いまとなっては、厄介でしょうね。




富永源六は、晩年、嬉野村の村長をへて、佐賀県議会議員にまでなり、大正9年ころに、没しているようです。





  直径、約30cm高さ、約5cm。  明治時代中ごろ







古銅花入れ

2009年08月14日 09時23分13秒 | 金属の骨董品
お盆のお休み、いかがお過ごしでしょうか?

昨日のあさ、5時に起きて、5時半に市営墓地へ着きましたら、もう、すごい渋滞で、駐車も出来ないくらいでした。
墓地の入り口には、たくさんの花屋さんが、並んでいて、賑わっておりました。
夏花も、幾分高くなっているようです。

以前は、これほど混んでいるのは、あさ8時過ぎでした。
年々、早くなっているようです。

来年は、夜明けまえに、着かないと、大変な予感です。
4時起きして、出かけようと、思っています。(笑)


さてこれは、なんでしょうか?
古銅で、できております。




骨董ファンの皆様なら、すぐわかったでしょうね。
これ、すなわち佛花器です。

佛花器というだけで、家の人には、不評ですが、古銅としてみた場合、なかなか味があります。
いま、こういうデザインは、流行らないでしょうね。
それだけに、面白いとおもいますが?




いまでも、活け花をやる方は、花器として、利用するそうです。
ススキや、秋の七草のように野趣にとんだ花が似合いそうですね。




最初は、おそらく鍍金(ときん)=(金メッキ)されていたのではないでしょうか?
むかしの鍍金ですから、水銀に金箔を溶かしたこんだ水銀アマルガムメッキです。
あとで、水銀を蒸発させて、金の薄い層が残るわけです。
いまでも、日光東照宮の修復金具のメッキ法として、使われてるそうです。




『千光院什物』とあり、江戸時代のものと思われます。

千光院とは、一番有名なのは、四国の徳島県の霊場ですが、
他に、新潟県・千葉県・福岡芦屋町と全国にあり、どこの供物かは、わかりません。

 高さ約31cm、巾19,5cmと、かなり大型です。



岩牡丹と獅子図

2009年08月09日 10時50分10秒 | 古伊万里=染付中皿
ときどき、考えることがあるんですが・・・

私は、 どうして、骨董品に心曳かれたのだろう と、真剣に考えこんでしまうことあります。

考えてみれば、わたしは、もともとは骨董品にそれほど、関心があるわけではありませんでした。

その理由は、現代の優れた作家さんなら、現代の高い技術を駆使すれば、過去のコピー商品など、
たやすいことと、信じて疑わなかったからです。

おなじ人間のやることです。
時代がかわっても、おなじものが出来ないハズがない、などと単純に確信したりしました。


しかし、骨董の世界に入って、贋物を見るにつけ、どうしてか時代が変わると、のり越えらえない壁があることに、
気づかざるおえませんでした。
それは、人智を超えた力が、古物に及んでいるんだと思います。

それを、たとえれば、 『時代霊の仕業』 とでもいいましょうか?
自動車や電化製品なのどの古物のデザインなどをみると、昭和30年代には、昭和30年代の雰囲気というものがありあます。
いま見るとレトロですが、当時は最新のデザインでカッコよく見えたんですよね。

時代には、その時代の固有の 『時代霊』 があり、
それを意識しようがしまいが、人々の意識に深く入り込んで、影響を与えつづけています。


ですから、今という時代は、いまと言う 『時代霊』 の影響を受けながら、生活をつづけているのはないでしょうか。
それは、個々の人が意識しようが、しまいが圧倒的な影響を受けていると言うことだと思います。

それさえなければ、古陶磁の贋物は、容易に見破られることは、ないでしょう。














    江戸中期後半ころ  直径30cm  岩牡丹と獅子図



南蛮船とオランダ人紋の八角皿

2009年08月02日 21時21分59秒 | 紅毛伊万里
買ったばかりのビスタでしたが、付属ソフトのノートン(ウイルス駆除ソフト)の期限切れとなり、

もともとプロバイダのセキュリテイシステムに加入していたので、不要と思いノートンを、アンインストールしたとたんに、
PCの調子が悪くなり、結局リカバリー用のデスクから、再インストールしなおさなければならなくなりました。

なんか、ノートンを抜くとOSのシステムバランスが崩れて、不具合が出てくるようです。

XP時代には、あまりなかったような気がします。





南蛮船とオランダ人紋の八角皿です。
だいぶ以前に買いました。




オランダ人のみとか、南蛮船のみとかはわりとありますが、
その両方が出ている江戸期の古伊万里大皿は、大変に貴重なので、UPしてみました。

オランダ人の他に、唐人や当時の役人も描かれているようです。




これ、八卦紋(算木紋ともいう)ですが、八卦の位置が間違えて、おりました。
矢印のお互いが、入れ替わるのが正解です。

方位学(気学=九星術)とか、易経をやらない人には、ほとんど気にならないと思いますが、
むかしの人でも、間違えるんだなぁ~?なんて、妙に関心いたしました。





時代は、寛政~文化期くらいでしょう。200年は、ゆうに経っています。
この時代独特の濃い呉須をつかってあります。




    寛政~文化期    最大直径約、41cm