古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

アイヌ神謡集を読んで。

2016年02月28日 19時24分17秒 | みやまつりが日記
アイヌ神謡集(カムイユカラ)って、ご存知でしょうか。
知里幸恵(ちり ゆきえ)という人が、大正時代に訳した神話集で、
19歳で亡くなっているそうです。

読んでみておもうことは、
アイヌって、狩猟民族だなあと、つくづく思いました。
大和民族は、農耕民族。
その世界感のちがいは、想像以上のものがありました。

動物達は、それぞれカムイ(神)でありまして、
人間の目にはみえないが、普段は、人間の姿をして、
森の中で、家を持ち、人間と同じような生活をしています。
 人間世界にあらわれる時だけ、動物の姿をしています。
動物は、カムイでありますが、人間のような感情を持ち、
時々いたずらや、失敗もして、大神様からおこられもします。
そんな内容の物語集でした。

最初、なんだか、とりとめの無い内容に、戸惑いましたが、
最後まで読んでみると、
 一服の深い煎茶を飲んだ様な爽快な気分を、味わいました。




農耕民族にない動物や自然界との一体感。

我々が忘れていた原始生命体としての自然界への畏れと、畏敬の念。
確かに、こういう感覚は、われわれは忘れていたかも。

日本昔話に、どうしてこれを加えないのか?
不思議に思いました。

アイヌ民族は、日本人ではありませんか。





アイヌ語と日本語について

2016年02月21日 20時02分35秒 | みやまつりが日記
アイヌ語って、
いがいに、知っているようで、知らないものですよね。
(カムイ)(イオマンテ)(コロボックル)くらいかなあ。。

イオマンテも、最近聞かない。
昔、あれをテレビで神聖なアイヌの儀式として、放映したのを見た。
今、あれをやると、動物虐待になりかねない。
いまでも、やっているんだろうか?
繋がれた熊の子に、至近距離から弓矢を打ち込む。
今の時代感覚からいえば、なんとも、痛ましい。
でも、当時は、それも伝統なら仕方ない大事な儀式に、思えた。
時代感覚って、不思議なものですね。

少し、興味があり、アイヌ語を調べてみたら、
日本語と共通の言葉が、いがいに少ないのに驚きました。
文法も、主語が複数形か単数かで、動詞が変化するという、
日本語や朝鮮語にありえない変化も、見逃せません。
語順は、ほぼ同じだけど、否定文や命令形だと、
主語ー動詞ー目的語。
と、なるらしい。。

結果、文法的に日本語によりちかいのは、
アイヌ語より、朝鮮半島語という印象を持ちました。
ご存知のかたも多いと思いますが、
朝鮮語と日本語は、うりふたつの言語です。

むかしアイヌは、西日本地方まで居ましたから、
まったく違う系統の言語を操る民族が、日本列島に二ついたなんて、
なんとも、不思議ですね。





アイヌの宝物

2016年02月14日 14時15分36秒 | 玉(ぎょく)製品
ご無沙汰しております。

最近は、めったにパソコンを開けることがなくなり、
もっぱら、タブレットでネットをやるようになりました。

 立ち上がりが早い、コードレスなので、寝ながらユーチューブが見れる。
ただ、書き込みとデジカメからの写真のUPが、やや厄介ですね。
しかし、オークショ取引、閲覧などは、問題なく出来ます。
この投稿は、デスクトップのパソコンからしています。


アイヌ玉って、聞いたことあるでしょうか?
アイヌの婦人が盛装したときに身に着ける首飾りです。
基本は、ガラス玉です。
玉だけで出来たものを、「タマサイ」
一番したの金属版の飾りを「シトキ」というそうです。


タマサイの玉は、そのむかし交易により、和人やロシア人から、
入手したらしいです。
江戸後期になると、アイヌ用のガラス玉が大阪、江戸で作られたそうです。
これは、旭川の方から譲ってたいだいたものですが、
残念ながら、玉は古いガラス玉に、新しい素材のものを、加えたものでした。



ただし、この「シトキ」と呼ばれる金属製の飾り板は、江戸期はありそうです。



シトキは、古くは、和銅鏡を伸ばしたもの、
刀の鍔などが使われたようで、やや、なんでもありの感じ。
アイヌは、金属の精錬技術は、無かったようです。

アイヌは、海産物、シャケ、昆布、動物の毛皮などを交易の材料に、
和人から、金属、絹織物、米、酒、ガラス玉、とりわけ漆器を珍重したそうで、
漆器をめぐって、部族どうしの争いも起きたとか。。


絵葉書などを見ると・・
アイヌは、明治期まで、縄文時代の竪穴式住居みたいな家に、棲んでいましたよね。
日本において、北海道においてアイヌ文化が確立されたのは、鎌倉期といわれています。
おそらく当時も、幕末も、似たような生活をしていたんじゃないでしょうか?
ただ、習慣や儀式は、部族によりかなり開きはあるらしいです。

「かわらない民族は、滅びる」といった人がいますが・・

アイヌも、長い期間、和人との交流がありながら、
和人から文字文化や、その他の技術を学んで、どうして、自ら変わらなかったのか?
その点が、すこし残念でなりません。
そうすれば、明治時代に和人と対等に交渉も出来たかもしれません。

最近は、アイヌ文化や遺産は、高く評価されていますが、
明治期など、アイヌ民族文化に対する、日本国内における立場や、評価、
展開も、いくぶん違っていたような気がします。