古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

捻り紋錦手八角大鉢

2010年06月26日 20時00分47秒 | 古伊万里=鉢もの
一日の食事量って、みなさんどれくらい摂取しているでしょうか?
ぼくは、かなり少ない方だと思います。

○たとえば、朝は、ご飯ちゃわん半膳に、納豆・たまご一個・ヨーグルト湯のみ一杯くらいかなぁ?

○昼は、会社の弁当がでますが、おかずはすべて食べますが、ご飯は必ず半分程度残します。
(全部食べると午後、からだがだるいのいで、仕事になりません・・)

○夕飯は、おかずは食べますが、ご飯は、やはり判膳しかたべません。
(よる7時以降は、お茶以外けして口にしません。)

二十代に食べていた食事の量と比べると、約三分の一程度の食事量しか摂りません。
それでもちゃんと生きていますし、172cm×60kの二十歳代の体重を維持しています。(笑)
特に、病気で食事を制限されている訳でもありません。

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江戸後期ごろの錦手の捻り紋の八角鉢です。




これだけきれいな色絵の捻り紋は、めったにありません。たいがい染付けが多いものです。




時代の感覚とは不思議なものです。
食器としては、現代人には考えられない色使い、紋様で、興味深いものがあります。




時代は、天保~幕末くらいでしょう。
銘の部分に花が描いてるところをみると、特注品かも知れませんね。

けして、ベロ藍ではありません。




  最大直径約28cmほど。



なんでも、しりとりその②

2010年06月21日 18時36分07秒 | なんでも、しりとり


       ◎日々の暮らしに、少しだけお時間のあるな貴方。(^_-)-☆


  なんでも、しりとりで、あそんでみてはいかがでしょう♪

                       この尻取りであぞぶと、運が向いてくるそうです(^^♪

★ルール
アダルト以外のことばで、しりとりをします。
おなじモノを何回出ても、OKとします。
『ザボン』など『ン』で終わる場合は、『ボン』から始まるものとします。


  みなさまのご参加をお待ちしております。 m(__)m




濱田庄司展を見に行く

2010年06月19日 20時59分59秒 | 益子焼
大阪市立東洋陶磁美術館所蔵品であるところの濱田コレクションを栃木県立美術館へ見に行ってきました。
ここから、車で20分くらいでいける美術館ですが、もう、10年くらい行きませんでした。(笑)

↓これらの写真は、会場でもらったパンプレットの写真です。




駐車場の心配をしながら、ついてみると、車はらくらく停められました。
中に入ってみると、人が少なく、くらくらく鑑賞できました。
若い人がほどんどいないのが、すこし気になりました。
民芸人気をつなぐ、若い人が減っているのでしょうかね?




↑会場を見渡して、まず、印象に残ったのは、この大皿でしょうか。

釉薬を指で書き落として、文様としたようです。
茶色く現れたのは、生地の土色でしょう。
このダイナミックな作風は、さすがに民芸を標榜した作家さんでしょう。




↑次ぎに、この流し掛けしという技法をつかった大皿がおもしろいと思いました。
ひしゃくから、直接、釉薬をたらします。
濱田得意の流し掛けです。




こういう水柱や蓋物のデザインもしゃれていて、時代によって飽きることはありません。
パンプレットには、二碗しか載っていませんが、抹茶碗も20点以上展示してありました。




陶芸の心得もまったくない私ですが、こういう皿やうつわはどうやったらできるんだろうと、
ため息がでそうになるほどの、嫌味のない調和美では天下一品の作品をつくる天才的な陶芸家ですが、
一二点の作品をのぞいて、茶碗はあまり得意ではなかったのではないかとの印象を強く持ちました。

当人も抹茶碗をつくるより、コーヒー茶碗を作りたいといっていたそうですが・・




濱田陶芸の原点ともいえる、李朝風な偏古と、西洋風なピッチャーです。
このあたりでは、濱田の実力を遺憾なく発揮して、非凡な作品となっていました。



象洗いの図・杯洗

2010年06月12日 19時20分23秒 | 紅毛伊万里
私は、古伊万里と関係がない北関東の人間です。

九州の佐賀地方の古伊万里となんら関係がないと思われるかも知れませんが、
実は、九州地方と北関東の言語とは、深い共通点があります。

両者の言語の方言に共通点は、ほとんどありませんが、アクセントに深いつながりがあるようです。
たとえば・・・・
『箸』『端』『橋』これらはすべて、おなじイントネーションで発音いたします。
その他、同音異語であっても、すべて平らに発音いたします。
言い換えれば、アクセントなしで、のっぺらぼーに発音いたします。

ですから、九州は佐賀県近くの人が標準語で話すと、北関東の人とほとんど区別がつきません。
北関東のわたくしが聞いても、じゃぱねっとたかだの社長さんは、
最初は茨城県人とおもって、うたがいませんでした。(笑)
あとで長崎にある会社と聞いて、びっくりしました。

という訳で、北関東は、九州は佐賀地方と深いつながりがあります。(笑)
北関東にも、新羅土器などの発掘品があり、
その昔、九州地方にいた豪族が北関東まで逃げてきた可能性もあるのかもしれません。??

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象洗いの図、杯洗と思われます。

古染付けの象洗いの図を伊万里で写したものと思われます。
人物が一人隠れていますが、おわかりになりますか?




象の形はそれほど崩れてはいません。




人物が影に隠れていますが、
本来は、モップである柄の先が、鎌のように描かれていて、写しの写しという感じでしょうか?




時代は、江戸後期でしょう。明治までは、けして、いっていません。




最大直径約、17cmほど。江戸後期。



萬古焼その③

2010年06月05日 12時05分51秒 | 萬古焼
明治時代の四日市の萬古焼と思います。

いまの萬古焼といえば、チョコレート色の厚くて重い紫泥タイプの急須を思い浮かべますが、
これは、紙のように薄くて、軽い急須です。
明治より古い萬古焼は、まったく、いまのものと土が違いますので、
違う焼物と思ったほうが良さそうです。




もってみると、まず軽いので、びっくりします。
ちょと焼物ではないような錯覚があります。
まるで、厚紙で出来ているかのような感じです。
私は、こういう感触の焼物は、萬古焼以外に知りません。

おそらく土がかなり特殊で、良いんだと思います。

明治時代の萬古焼というと、普通は、白くて軽い、たるさか系の黄土が多いのですが、
これは、珍しく茶色です。




その垂坂(たるさか)系の良質の粘土も明治時代に枯渇してしまい、
いま、みんなが知っているような紫泥の急須を作るようになったといいます。




蓋のつまみは、古萬古の特徴である『舞い摘み』です。
本体に接着してはおらず、こけしの首のように回転致します。

持ち手の輪も接着しておりません。




明治時代・本体胴の直径7,5cmくらいの小さな急須です。

ちょっと、フラッシュで白っぽい色に見えますが、実際はもうすこし、濃い茶色です。