古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

迷い猫

2009年09月26日 16時00分12秒 | みやまつりが日記
毎朝、雨戸を開けると、この猫が雨戸の前にいます。

わが家で、飼っている猫では、ありません。

あまりに痩せているので、数回ほど食パンやら餌を与えたら、毎朝くるようになりました。

それから、毛の色艶もよくなり、少し太りました。





三毛で、毛並みはよいんですが、ちょっと顔がきついなぁ~。
おっと、姿勢がわるいですよ。
かなり猫背ですね。




猫の目って、こうしてしみじみ見ると、爬虫類みたいな目ですね。(笑)

三毛猫は、西洋にはいなかったらしく、昔わが国に来た西洋人が、大変珍重したそうです。

三毛猫は、ほとんどがメスで、オスは、数万分の一匹しか生まれず、しかも、生殖能力がないと言います。
これは、どうなんでしょうか?どうやら、女の子のようです。

三毛のオスは、むかし船で飼うと、嵐がくる前にマストの駆け上り、知らせるという言い伝えを聞いた事あります。
三毛のオスは、船のお守りとして、大変珍重されたそうです。




迷い犬は、飼っても迷い猫は、飼うななんて昔の人は、いいましたね。




飢え死にしては、かわいそうなので、来れば、餌を少し与えています。

最近は、食パンは、喜ばないようです。(笑)



お茶碗の蓋(天使の図)

2009年09月19日 14時58分02秒 | 古伊万里=蓋もの
約50年、半世紀ぶりの本格的な、政権交代。

なんだか、夢を見ているような、マニフェストの内容、本当に実現できるんしょうか?
期待と、そこしれないような微妙な不安。

日本丸という、船の船長さんを民主党に託したわけですが、それを動かす乗組員の官僚組織は、
旧態全としていて、本当に変わることが、できるんでしょうか?

長妻大臣が、厚生労働省へ初登庁されたとき、花束も拍手もなかったようですが、
民間で、新任の社長さんが赴任されたとき、そのような事が、考えられるでしょうか?

前途多難な、予感を感じますよね。


一方、野党に転落した古い自民党の議員さんは、
これからは、政権が入ったり来たり、などとのんきな事をいっていますが、

二大政党といっても、だれが民主党と自民党の二大政党と決めたのでしょうか。

甘い考えでいると、自民党とは違う、第三の大政党ができるかもしれないという発想が、
旧派閥のお偉いさんに、に少し足りないように感じがします。

はたから見ていると、よくわかるのですが、当事者には、よくわからない事って、結構あるんですよね。


私の集めている、骨董はガラクタだとよく家人から、いわれるのですが、
当人には、わからない事が、家族には、見えるでしょうね、きっと。。。(笑)


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幕末のお茶碗の蓋です。
蓋しかありません。(笑)




文久二年の箱からでてきたという、天使のお茶碗と同手のものです。




骨董商から、おまけでいただきました。




おしょうゆを垂らす小皿で、使えそうですよね。




  直径約10cm   文久二年の頃、(生麦事件などあり)



萬古焼その②

2009年09月13日 15時19分59秒 | 萬古焼
たった、週一回の更新なんですが、最近は、つらくなってきました。(笑)

もともと、あまり写真を撮るのが、苦手なので、けっこうおっくうなんです。
おまけに、ダンボールの住民のどれが、PU済なのか、そうでないのか、記憶も少し曖昧模糊となりました。
まあ、あと3年分くらいは、大丈夫とは思いますが、コレクションもこれ以上増やすわけにも、いかなくなりました。

これからは、写真のない日記も、たまによいのかなぁ~?
なんて考えるようになりました。


江戸期の万古焼と言うことで、購入いたしたものです。




.平焼(みんぺいやき)に近いような、色釉薬をたっぷりと使っていますよね。




こういう蓮の葉や蟹、カエルなどは、当時の流行らしく、けっこう見かけます。




皿の裏は、万古特有の手捻りの指紋の跡が、べったりと付いていて、独特の雰囲気です。




とくに『萬古』の銘はありませんが、古い万古焼の特徴ということです。
手捻りの、かなり薄手で、硬く焼き締められています。

     直径約19センチ・幕末のころ

 ちなみに、萬古焼その①は  http://blogs.yahoo.co.jp/miyamaturi/1406391.html


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【ヤフー百科より、萬古焼について・・・】

万古焼(ばんこやき) .三重県の代表的な陶窯。桑名の豪商沼浪弄山(ぬなみろうざん)(1719―77)が江戸中期に開窯した。弄山は茶道をよくし、楽焼(らくやき)から入って高火度釉陶(ゆうとう)に至るが、元文(げんぶん)年間(1736~41)別邸のあった三重県朝日町小向(おぶけ)に開窯。万古不易の意から、作品に「万古」の押印をつけたのでこの名称がある。弄山窯は一般に「古(こ)万古焼」と称し、色絵陶器、銅呈色の緑釉陶(万古青磁)に特色を発揮した。とくに意匠が斬新(ざんしん)で、オランダ意匠を取り入れ、更紗(さらさ)文様も好んで用いている。趣味性の強いものであったが、殖産性も高く、大量に販売され、宝暦(ほうれき)年間(1751~64)には江戸にも進出して向島(むこうじま)に支窯を設け、「江戸万古」と称した。しかし、弄山没後まもなく廃窯となった。

その後、古万古窯から分かれた良助(よしすけ)が津に安東(あんとう)焼をおこし、1831年(天保2)には桑名の森有節(ゆうせつ)が小向に窯を再興し、世に「有節万古」の名で知られるが、古万古に対して再興万古ともいい、煎茶器(せんちやき)や酒器が多い。また1853年(嘉永6)には同地で倉田久八(きゅうはち)が「再興安東」(別称阿漕(あこぎ)焼)をおこし、56年(安政3)には弄山の縁続きになる竹川竹斎が松坂の射和(いざわ)で「射和万古」を開窯したが、数多い万古系窯のなかでは射和がもっとも古万古の遺風を伝える。明治初期には有節万古を導入して「四日市万古」が開かれ、煎茶道具が多く焼かれている。

[執筆者:矢部良明]



美人の図(錦・明治伊万里)

2009年09月05日 15時38分43秒 | 明治伊万里色絵
さて、戦後の本格的な政権交代を、はたした民主党政権どうなるでしょうか?

あまりに政権公約が多すぎて、ちょっと気になりますが・・・
国民の気持ちから離れた政策の現政権よりは、ましだとは思いますが・・・・。

『変わらない国は滅びる』と言った人がいましたが、

明治維新がなかったら、現在の日本はなかったと思います。
時代の社会変化に康応して国家も、企業もかわらないと、衰退の運命にあるような気がしてなりません。

地元の有名老舗のデパートが倒産し、伝統的な商業地を捨てて、
はやばやと郊外のショッピングセンターへと転進したデパートが成功を納めています。

時代とともに、個人も企業も、国家もかわらないと、衰退の運命にあるようです。

たぶん、政党も同じでしょう。

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明治時代の美人の図、伊万里です。




これは、髪型からすると、元禄時代くらいの美人図と言うことになるでしょうか?

一人は、御殿のお座敷で、横になっています。
もう一人は、花の活けてある手桶を、下げています。




こういう図に多い、遊女でしょうか?

ベロ藍と、金彩、派手な色が主題ととてもあっていると思います。
明治といえど、こういう浮世絵的な美人図はj数が少なく、貴重品のたぐいと言うことになっています。

わたしには、全体にすこし派手気味で、どちららかというと、もう少し落ち着いた方が好きです。
ただ、顔つきは、どこか、ほのぼのとしていて、好きです。




明治時代に荒物(あらもの)大皿などの大物で、活躍した『ヤマトク』の文字。
たしか今でもある窯元ではないでしょうか。




  直径40cmの大皿です。  明治時代。