ピロリ菌検査へいく
いま、ピロリ菌が話題になりつつありますが、
まあ、ぼくも年齢からいっても、不思議はないとおもい、行って来ました。
胃潰瘍と症状がなければ、保険外料金なんですね。。
僕が生まれた当時は、県庁所在地の駅前近くに住んでいましたが、
駅にはありましたが、水道は、なかったんですよ。。ポンプ式井戸でした。
風呂も、手動式ポンプ井戸でくんだんですよ。(笑)
もちろん冷蔵庫なんかありませんから、牛乳やスイカは、井戸水に浸していました。
郊外の農家は、まだ、つるべ落としの井戸を使っている農家もありました。
萱葺きの屋根に、土間には、カマドがありました。
なんだか、江戸時代みたいな暮らしだったんですよ。
舗装道路も駅前のメイン道路だけで、すぐ、
わき道に入れば、デコボコ砂利道でした。
駅前のメイン道路は、コンクリートの橋が架かっていたんですが、
街中を横切る田川には、多くの木造の橋が架けられていて、
人の往来や自動車などで痛むので、3~4年おきに、架け替えていました。
駅前を除くと、奥州へ続く国道4号線は、まさに砂利道でした。
自動車で、大きくくぼんだ路面には、定期的に砂利を補給していました。
いまは、むかし、昭和30年代前半のお話でした。(^^♪
だいぶ、話がわき道にそれてしまいました。(笑)
それで、ピロリ菌はいるに違いないと、自費で、意気込んで受けたのですが・・
結果は、(-)でした。
ちょっと、がっかりしているんですよ。(笑)
除菌すれば、もうすこし、心も体調もよくなるかもしれない?
と、屈折した心情にもなったんです。
これじゃ、これ以上よくなる希望はなくなりました。。
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これは、明治の文明開化の図でしょう。
これは、当地ではなじみの深い、足利氏の紋所なんですね。
清和源氏の血を引く、室町幕府を築いた足利氏の紋所。
正確には、引両(ひきりょう)紋というらしいです。
どうして、ここに出てくるのかは、なぞですが?
下の方から、弁当らしき包みを背負った、下男が、追いかけてきています。
後ろは、龍が描かれていて、高台の中に、傷のように見えるものがありますが・・
これは、傷ではなく、龍が彫りこまれているのが、わかります。
その証拠に、窪んだ龍には、釉薬が掛けられています。
明治の人は、しゃれていますね。
明治の初めのころ。直径26センチほど。。