古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

鯉と菖蒲の変形青磁皿

2010年04月24日 20時25分24秒 | 古伊万里=青磁
本日は、晴れて気持ちの良い日でしたので、街中の床屋さんへ無料バスに乗って行ってきました。
これで、すこしは、男前になったでしょうかね?(笑)

以下、郊外のデパートの駐車場から、デパートの無料送迎バスに、乗り合わせた
70代後半くらいの二人のご婦人会話です。

A婦人『いまの世の中、政治を含め、これほどおかしくなったことはなかったわね。』

B婦人『そうね。むかしは、貧しかった。でも、なんとか生活ができた。いまは、仕事がないよね。』

A婦人『そうなのよねぇ、どうして、こういう世の中にちゃったのかしらね。。。。』

およそ年金暮らしで、就職とは無関係なご婦人同士の会話の内容に、思わずうなずいてしまいました。。

その理由は、わたしは、身の回りを見れば、すぐわかるような気がします。
自動車は、ほとんど国産ですが・・・・
日用最寄品で、メイドインジャパンは、野菜とお米くらいでしょうか?

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もうすぐ、端午の節句も近い季節となりました。

明治時代の作品でしょう。
まだ、まだ江戸風な絵付けが残っており、明治も初めの頃ではないかと思っています。




梅・花菖蒲・鯉・南方の鳥?がベロ藍で丁寧に描かれております。
うろこなどの一部に墨はじき、の技法も見られますよね。




皿の裏側は、鳳凰・葡萄(武道=同音のために縁起かつぎ)





最大直径、31cmほど。  明治時代。



元禄時代の色絵大皿

2010年04月17日 19時40分26秒 | 古伊万里=色絵中皿
なんとなく不順な天気が続いていますよね。

もう、桜も散り掛かっています。
今朝おきたら、庭が真っ白で、びっくりしました。
いまから17~18年くらい前、冷夏で米の値段が高騰した事がありましたよね。
あの時も、前年あたりどこかの火山が爆発したした記憶があります。
今年の夏は、どうなるでしょうか?

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●友人の中で、骨董品が大嫌いという人がいました。

どうして嫌いなのかその友人にたずねると、中古の品物はダレが使ったかわからず気持ち悪いと言いました。
ですから、洋服も車も品物も中古は、使用しないといいます。
なるほど、それも一理あります。

ただ、骨董品のコレクターで、以前の所有者や使用者が判らないので、気持ちが悪いと思う人はいないでしょう。
その違いは、どこにあるのでしょうか?

○逆に、骨董品がどうして好きか?
という質問と回答は背中合わせのような気がしますが如何でしょうか。

けっきょく、物(骨董品)を介入した人と人の絆(きずな)の問題のような気がします。
絆を感じられなければ、ただ使い古した中古品でして、気持ちが悪い気がするかも知れません。
骨董コレクターは、過去の人が使い古したものでも、他人が使い古したとは思えない絆を感じてしまう。
そういう事では、ないでしょうか?

このことは、いかなる骨董品の教科書にも書いてあらず、
私、宮松里のかってな解釈です。(笑)

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これは、いわゆる元禄盛期の伊万里の大皿です。

いまから約300年くらい前に作られたことになります。
完品の大皿で、よく残っていたと思われます。




江戸前期や後期の丈夫に厚手でに作られた伊万里に比べると、かなり薄手で、独特な雰囲気があります。
磁器本体の色も、後期の純白に近い色に比べると、いくらかアイボリーがかるニアホワイトといえます。




私は、盛期伊万里のデザインは特に優れているとは思いませんが、
絵付けもこの時代独特の『艶』のあるもので、時代の感覚の不思議を思います。
中国で言うと、明朝時代の作風に似ておりまして、『粘り気』と『色気』を感じさせ、日本人好みと言えます。
後期の伊万里の作風は、逆に、『サッパリ』とした『硬質』な清朝磁器の作風の影響が強くなります。

いずれの時代の作風も、長所と欠点があり、どの時代が一番優れたデザインとは言いがたいと思います。




皿の裏も色絵で、この時代らしい装飾をしており、『色気』たっぷりと言えます。
おそらく山桜でしょう。




  直径約31cm   元禄時代



古銅水入れ?(江戸時代)

2010年04月10日 19時39分12秒 | 金属の骨董品
本日、さくらも満開となりました。

ぎっくり腰になって通院し始めたのが一年まえの三月末ですから、一年になります。
実は、いまも完治してはいないので、週に何回かリハビリに通院しております。

腰の痛みは、ほとんどなくなりましたが、左足の痛みとしびれが残ってしまいました。
なにも無いときは、健康が当たり前とおもっていましたが、
人間のからだの健康って、実に絶妙なバランスでなりったっているんですね。

ただ、健康であることのありがたみがわかっただけ、収穫はありました。(笑)
いくら骨董品や美術品があっても、健康でなければ楽しめないことも知りました。
なかなか難しいですが、いろいろな意味で足ること知るって、大切なことかも知れませんね。

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クイズですが・・
これ、何につかったかわかりますか?

一般家庭にも必需品でしょうが、当時、庶民の家庭に普通にあったとも思えません。
当時はおそらく高級品だったのではないでしょうか?
銅でできています。




江戸時代のものらしいです。
けっこう大きくて、高さ45cmくらいあります。




水道の蛇口の語源を連想させる、そそぎ口です。
龍の顔にみえますよね。

栓をひねれば液体がでるしくみですが、ただ、現代の蛇口のように完全なものではなく、
機密性は、あまりよくないようです。




持ち手は、象の顔をかたどっています。




  江戸時代、高さ約45cmほど



騎馬武将と桜図の壺

2010年04月03日 20時55分57秒 | 古伊万里=ふくろもの
北関東もやっと、ちらほらと桜が咲いてきました。

ここから、下は骨董蒐集家の方はあまり読まないでください(笑)。

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骨董品てお宝といいますが、本当にお宝なんでしょうか?
最近は、おおいに疑問を持っています。
換金の点で、思うような値段で買い手を見つけるのが、かなり難しいのではと思います。
二束三文の覚悟があるなら、買い手には苦労しないかもしれせんが・・

その点、金地金や株式、債券、などは換金性の点で優れています。
ただ、金地金や株券を毎日眺めて楽しむというのも、骨董蒐集家以上に変人と思われるでしょう。
けっきょく骨董蒐集は、お金の問題ではないという結論になります。
お金の問題と捉えると、けっきょく現在人気のある銘柄に追いかけることになります。
株式と同じようなもので、高値つかみとなるのが関の山でしょう。

ですから、骨董品はお宝という考えは、すっぱり捨てて、楽しむものと割り切った考え方がよいような気がします。
ただ、どんな些細なものでも文化遺産ですから、出来ればつぎの代まで伝えたい。
今出来の品物と同じ扱いはしてはいけないんだと思います。

『お宝、骨董市』という言葉は、売るほうにとって、お宝という意味でしょうね、きっと。





立派な装束をまとった武士が、桜の花の下をものすごいスピードで駆け抜けています。

  “咲いた桜になぜ駒つなぐ~♪、駒が勇めば~、花が散る♪”

などという、都都逸を思い出してしまいました。(笑)





幕末・明治・大正・昭和と駆け抜けた武人たち。

いったいこれから、どこへ行こうとしているのでしょうか?




画像では、わかりにくいかも知れませんが、しごく丁寧に描かれています。

高さ19cm、幅17cmほど、幕末のころと思われます。