骨董品って、集め始めるとキリがありませんよね。
獲得した瞬間、おそらく脳内麻薬のエンドルフィンが分泌されるんでしょうね。
しばらくは、その満足感からくる幸福感も得られるのですが・・
時期その快感も、時間とともに消失してしまいます。
すると、また快感を求めて、また新たな蒐集欲が生まれるわけです。
考えてみれば、当人は無自覚であっても、自家中毒を起こしているわけなんでしょうね(笑)。
これは、あらゆる趣味に通じる人間の業(ごう)かもしれませんね。
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弘化四年の共箱に入った錦手の鉢です。
弘化四年は1847年。天保の後、嘉永の一つ前の元号です。
これは、ほとんどベロ藍と見まごうほどの、あざやかな呉須で仕上げてありました。
ベロ藍と言うのは、普通、明治三年に入ってからと言うことになっていますが、
実際には、中国船や外国船などにより、文政年間には日本には、入って来ていたようです。
最初は、他の呉須と混ぜたり工夫しながら、使っていたのではないでしょうか?
ちなみに、おなじみの安藤広重の東海道五十三次の版画に使われている藍の顔料はすべて、
ベロ藍だそうです。
日本古来からの藍からとった顔料は、キメも粗く高価で、版画の絵の具には、
当時、不向きであったといわれています。
もちろん、絵画用顔料と呉須は、いく分違いますが、合成コバルト絵の具には違いありません。
直径約29㎝×5㎝