古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

弘化四年・ベロ藍の錦鉢

2007年08月25日 12時35分11秒 | 古伊万里=色絵中皿





骨董品って、集め始めるとキリがありませんよね。

獲得した瞬間、おそらく脳内麻薬のエンドルフィンが分泌されるんでしょうね。
しばらくは、その満足感からくる幸福感も得られるのですが・・
時期その快感も、時間とともに消失してしまいます。

すると、また快感を求めて、また新たな蒐集欲が生まれるわけです。
考えてみれば、当人は無自覚であっても、自家中毒を起こしているわけなんでしょうね(笑)。

これは、あらゆる趣味に通じる人間の業(ごう)かもしれませんね。


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弘化四年の共箱に入った錦手の鉢です。
弘化四年は1847年。天保の後、嘉永の一つ前の元号です。

これは、ほとんどベロ藍と見まごうほどの、あざやかな呉須で仕上げてありました。
ベロ藍と言うのは、普通、明治三年に入ってからと言うことになっていますが、
実際には、中国船や外国船などにより、文政年間には日本には、入って来ていたようです。
最初は、他の呉須と混ぜたり工夫しながら、使っていたのではないでしょうか?

ちなみに、おなじみの安藤広重の東海道五十三次の版画に使われている藍の顔料はすべて、
ベロ藍だそうです。
日本古来からの藍からとった顔料は、キメも粗く高価で、版画の絵の具には、
当時、不向きであったといわれています。

もちろん、絵画用顔料と呉須は、いく分違いますが、合成コバルト絵の具には違いありません。



   直径約29㎝×5㎝




残暑お見舞い申し上げます。

2007年08月14日 17時22分46秒 | ベロ藍



暑い日が続きますが、それでも、朝夕は、すこし涼しくなってきました。

思えば、わが少年時代は、
夏暑くとも、31℃~33℃くらいでした。
いまは、北関東名物の夕立も、ほとんど無くなりました。
むかしは、午後3時を過ぎると、毎日のように雷雨がありました。

いまは、確かに温暖化の影響でしょうか。

江戸時代は、墨田川に氷も張ったとか・・
以前ような、寒い冬は無くなりましたが、

ちょと、暑過ぎますね。



明治時代のアンブレラの鉢です。

  直径約27cm×9cm




古信楽焼

2007年08月11日 19時40分09秒 | 信楽・瀬戸・その他






安土桃山時代の古信楽焼だと思います。

以前16世紀の古信楽焼という事で、購入いたしました。

全体に、ろくろではなく、紐づくりで作ってあることが口のあたりにも見てとれました。
胴も、胴つぎで三段に継いであるような感じがします。
したがって、ちょっと形が悪いのが欠点でしょうか。

お尻には、約束の下駄印もありました。

胴の一部に自然釉が、ガラス状のビロード釉になって流れている部分もあります。

これは、茶壺などではなく、種を保存しておく為の壺でしょうか?


高さ約、24cm×約17cm




志田焼漢詩山水紋大皿

2007年08月05日 18時41分46秒 | 志田焼




 志田焼の山水紋の大皿です。

志田焼にしては、珍しい裏絵の漢詩山水紋で、最初は志田ではないのでは・・・
とおもいましたが、まぎれもなくエンゴベー(白化粧)が表のみに施してありました。

こういう、江戸期の山水図は、実に愉快で、味がありますし、飽きの来ない良さがありますが、
一般に人気がないので、安値で放置されている場合がほとんどではないでしょうか。

こういう山水文様は、おそらく専門の陶工さんがいて、山水専門に絵付けをしていたのでは、ないでしょうか?
手馴れた筆使いに、バランスを感じさせる呉須の濃淡が、全体を引き締めて、
見ているものに安心感を与えます。


時代は、幕末のころ

  直径約35㎝×高さ約6㎝




佐久間籐太郎(益子焼)

2007年08月02日 06時17分43秒 | 益子焼



  

   山百合をいただいたので、益子焼きの壺に活けて見ました。



よい匂いが素晴らしく、隣りの部屋まで、流れてきます。

濱田庄司氏とともに、民芸運動を推進した佐久間藤太郎さんの作品です。

むかし濱田氏や佐久間氏と親交の深かった叔母より、いただきました。

濱田さんの作品と同じく作品に銘を書き込まないのが特徴で、

その辺に、民芸運動のこだわりがあるのでしょうか。


 (ちょっと、百合を重視しすぎて、花瓶の映りが芳しくありません(笑))