古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

招き猫その②九谷焼

2015年09月02日 20時55分51秒 | 九谷焼
オリンピックのエンブレム撤回問題。
なんとも、残念な気持ちがしますよね。

しかし、あそこまで、
類似やの無断の引用がおおいと、
汚れたデザインというイメージがぬぐえない。
いたしかたないという感じですよね。

ただ、私が思うには・・
あの佐野研二郎というデザイナーの作品の
真相は、わかりませんが・・

彼の作った作品郡を見ると・・
オリジナルがあって、真似すれば、
誰にでも、いくらでも簡単に、作品が出来るとおもわれがちですが、
オリジナルがあって、真似たとしても、
オリジナルを超えるあれだけの作品郡は、
なかなか出来ないと思います。

少しでも、デザインや、絵画をやったことのある人なら、
わかると思いますが・・
真似て、元絵や、オリジナルデザインを超えることは、なかなか、かないません。
私が、知っているかぎりの、成功例は、
俵屋宗達の風神雷神図をまねた尾形光琳の風神雷神図くらいで、
あとは、真似ると、必ずといっていいほと、作品が低下してしまいます。
オリジナルを超えるような作品は、まず、見た事ありません。

彼を弁護するつもりは、ありませんが・・
そういう意味で、佐野研二郎とうデザイナーは、
ある意味、才能のある人なんだなぁ。。とつくづく関心してしまいました。

作品を造るプロセスを、間違え
モラルというルールをおろそかにすると、
世間をあざむく事になり、
他人を傷つけ、
自分も深く傷つくという、いい教訓ですね。

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沢山のご回答ありがとございました。
さて、お待ちかねの正解ですが、この日記に回答があります。

☆見事産地を当てた方、おめでとう御座います。(*^_^*)

☆はずれた方、すこし残念でした。m(__)m


これにこりずに、また、ご参加くださいね。




これは、九谷焼の招き猫です。
前垂れの文様がいかにも、九谷焼という感じでしょうか。
九谷焼は、耳の形に特徴があり、よりリアルな形になっています。
瀬戸の耳は、前を向いて、お狐さんみたいに赤く染まっていましたよね。


手の位置が、頭より高くなっていますよね。
常滑もこれに近いが、三頭身で、近世のものは、小判をもっているものが多い。


時代は、昭和後期~平成初期くらいでしょうか。
たかさ36センチとかなり大柄な猫です。




なぞの九谷焼

2008年05月24日 22時02分14秒 | 九谷焼
この戦闘機わかりますか?

平太さんから、ご指摘がありましたが、これは、『九六式艦上戦闘機』だそうです。

『零式戦闘機=いわゆるゼロ戦』との外見上の最大違いは、キャノピー(風防)のカタチのようです。

皇紀2600年に出来たので、いわゆるゼロ戦というそうです。






なぞというのは、このお茶碗のことですが、色々な説がり、なぞの多いお茶碗です。

この戦闘機と九谷の銘、その他の絵付けは印判ですが、昭和19年などの赤文字は手書きです。

当時のものであると言う説と、戦後まもなく輸出用に造られたのではないか言う説もあります。






戦闘機の間違えといい、謎のお茶碗ですが、汚れを落とし、釉キレのピンホールの汚れ滲みなど、
詳しく調べて見ましたが、時代はありそうです。




直径15cmの大ぶりなお茶碗です。



九谷焼羽のある虎の図

2007年07月14日 14時43分32秒 | 九谷焼



コレクションと言ふ不自由なもの

コレクションって、自分の自由意思で好きなものを選んで、集めているように感じていますが、
けして、そうでもなく、その時代の人気とか価値観とかにかなり左右されている現実があるのでは、
ないでしょうか。

たとえば、現在、伊万里を集めれば、初期伊万里や、李朝磁器に感心を持たざるえない現実があります。
しかし、明治、大正、昭和初期時代のコレクターは、いまほど感心がなかったのが現実ではないでしょうか。
ご案内のごとく、初期伊万里が本格的評価を高めたのは、昭和40年代からだと言います。

はたして、むかしのコレクターの目は、節穴だったのか?

そうでも、ないような気がします。

わたし達も、おそらく明治、大正時代に生まれていれば、
同じような、コレクション感覚を持ったハズでは・・・。




 大正時代くらいの九谷焼と思います。

  羽のある虎が、描かれています。
  (むかし、どこかの蚊取り線香はこの虎でしたっけ?)

  直径約19㎝位の小鉢です。




九谷焼菊花紋鉢

2007年04月19日 18時59分25秒 | 九谷焼




幕末期の九谷焼と思われます。

この鉢の絵付けは、まだ、磁器先進国、有田の影響をかなり受けているように感じます。

絵付けにも力強さがありますし、筋のよい品ではないかと思っています。

角福の銘はありますが、どこの窯で焼かれたかは、不明です。


  幕末のころ

        直径約19センチ×約10センチ