このこのお皿は、戦前のベルリンオリンピックの西田修平選手を記念して作られたといわれる作品です。
●友情のメダル
大江選手は昭和11年に開催された第11回ベルリンオリンピックの棒高跳びに出場し、決勝に残りました。
戦前1936年、ヒットラーが威信をかけて開いたベルリン・オリンピック、その大会の棒高跳びの試合でのことです。
決勝戦を争うのは大江選手と西田修平選手とアメリカのメドウス選手らの5人。
審判に要請。5時間にわたる激闘の末にアメリカのメドウス選手が4m35cmを跳んで優勝を確定し、
4m25cmを跳んでいた大江・西田の両選手もメダルが確定されました。
4m25cmを跳んでいた大江・西田の両選手もメダルが確定されました。
夜の9時を過ぎて2位を決める順位決定戦の際、大江・西田選手両名は競技を打ち切るように
↑の写真はネットより拝借しました。
しかし、審判の判断は
2位の西田選手は大江選手を2位の表彰台に登るように、
そっと送り出します。
4m25cmを1回目で跳んだ西田を2位、2回目で跳んだ大江を3位
表彰式で表彰台に登る際、これからの活躍を願うという想いから2位の西田選手は大江選手を2位の表彰台に登るように、
そっと送り出します。
こうして大江選手は胸に銀メダルを光らせて2位の表彰台に立って表彰されました。
オリンピックが終了し帰国した2人は、互いの健闘を讚え合い銀と銅のメダルを繋ぎ合わせました。
それが友情のメダルだそうです。
この美談は、そのご教科書にも載ったそうです。
直径約、20,5cm×約5,5cm
昭和初期の瀬戸焼と思われます。