明けましておめとうございます。 旧年中は、たいへんお世話になりました。
謡曲「竹生島」では・・・
『緑樹沈んで、魚木に上る気色あり。月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白の島の気色や』
と、その素晴らしさを愛でています。
『緑樹沈んで、魚木に上る気色あり。月海上に浮かんでは、兎も波を走るか、面白の島の気色や』
と、その素晴らしさを愛でています。
現代語訳では・・・
島を覆う緑の樹々が影を湖水に映している。魚が樹々の影をつたわって泳いでいる。
まるで木に登っているかのようにも見える。
月が湖面に映るときは、月に住む兎があたかも、波間を駆けていくように見える。
それほどに竹生島の景色は素晴らしい。
島を覆う緑の樹々が影を湖水に映している。魚が樹々の影をつたわって泳いでいる。
まるで木に登っているかのようにも見える。
月が湖面に映るときは、月に住む兎があたかも、波間を駆けていくように見える。
それほどに竹生島の景色は素晴らしい。
むかしの人は、うまい比ゆを言ったものですね。
竹生島には、弁財天と竜神を祭っているそうです。
本年も宜しくお願いいたします。
波乗り兎図盃洗 江戸後期のころ
直径15,5cm・高さ12cm
盃洗って、流行りだしたのは、江戸後期の文化文政以降と言われているみたいです。
それ以前は、あまり盃洗を使わなかったらしいです。
確かに、錦絵は当時の江戸みやげの代表の一つらかったみたいですね。
お詳しいですね。
西だと、本の挿絵としての木版画が、発達していましたか。
それは、存じませんでした。
いろいろと調べると面白そうですね。。
なかなか、盃洗までは手をまわさない、「どうせわかんないよ」
なのかもしれません。出てくる時代劇は本格派ということですね。
江戸時代後半で、東で流行するのは浮世絵もそうかも
しれません。1枚絵の刷り物のカバーガールが江戸土産の
有力商品になります。
西だと、本の挿絵としての木版画が発達してる気がします。
ポスターと、グラビアの違いなんでは?と思ったりします。
実際どうだったかは、ちゃんと調べないとわかりませんけども。
盃洗は、最近は使わなくなってきました。
日本酒の文化ですものね。
ビールで乾杯の習慣が多くなりました。
…この盃洗、すごくいいですね。藍の色も、構図もツボです。多分大きさもすごくいいのでしょうね…バランスというか… 盃洗というものがあるというのも初めて知りました。…今年も色々お勉強させてください…といっても、右から左に忘れてしまうのですが…(ノ_・。)
確かにフィンガーボールにもいいですよね。。。(笑)
そうですね。
この不況の荒波を乗り越えるには、単身さんの手料理が
一番良さそうですよ。
お金を使わないのが一番ですものね。(笑)
僕も、元単身さんを見習いたいと思っています。
…なんぞと戯言も言ってられない程、厳しい環境が待ってそうで恐々としていますが、
そんなとき、みやさんのブログで教えられ、且つ癒していただければ最高です。
今年も宜しくお願い致します<(_ _)>
本年も宜しくお願い致します。
ポチ♪ありがとうございます。
ピクさんの目がさらに丸くなるような珍品、まだまだでてきますよぉ。(笑)
これからは、珍品コレクターではなく、名品コレクターと呼んでくだいね。(自爆)
結局、商売にならない窯は、衰退の運命をたどるより仕方ないと思えるからです。
HPの「古伊万里随想34:古九谷の謎」いま一度拝見致しますね。
いずれにせよ、古九谷は、なぞが多いので・・・
みんなが色々な説をとなえて、ロマンがあるのかも知れませんね。
邪馬台国の畿内説と、九州説のようなものですね。。。(笑)
経済的な観点からの考察ではないですが、最近でも、荒川正明氏が「前田家が山辺田窯に作らせたのであろう」というようなことを言ってます(拙HPの「古伊万里随想34:古九谷の謎」参照)。
みやまつり説が加わりますと、古九谷論争はますます複雑になりますね、、、(笑)。
私が見た事がない品が次々と出てきてます(笑)
傑作☆します。
>みやまつりさん独自の見解であって、学会に発表する価値がありそうですね。
あははは・・・そうですかぁ。。(笑)
ところが、生産業ではそういう事が、よくあるんです。
実は、わが家業は、生産業ですので、そういう事が実際がよくありました。
いままで、長年内作でしていたものが、採算しだいで外注に出すことは、珍しいことではありません。
結局、採算が合えば良いわけです。
より経済的な方法の選択肢が、そのむかしにもあったとしても、なんら不自然なことは、ないような気がしますが・・・。
>ところが、何年か経つうちに、それなら、色絵付けも有田に発注する方がお徳ですよと、北前船の商人に薦められ、そうするようになった。したがって、九谷の窯場は衰退し、ここに古九谷の産地による混乱が生まれる所存であります。
ハハハ、、、この部分は、みやまつりさん独自の見解であって、学会に発表する価値がありそうですね(笑)。
そうですね。ある程度は成功したようですね。古い九谷の窯跡から沢山の色絵陶片が出土していますからね。
ただ、それは、現在言われている古九谷とは似て非なるものですから、その当時に九谷で作られたものは、現在言われている古九谷とは違うものだったようですね。
>北前船の商人に、有田から白磁のみを購入して色絵のみをおやりになったら、宜しいのでは・・と薦めらる。
それが素地移入説ですね。
現在、古九谷=九谷説を主張するにしても、主張する材料としては、それしかないようですね。
私も、有田から白磁を買ってきて絵付けのみをした物が残っているとは思うんですが、それがどのようなものでどのくらい残っているかが問題ですね。
これからの研究課題だと思います。
本年も宜しくお願い申しあげます。
日記の古九谷の色絵皿、時代の古格があり、さすが素敵でしたよ。
新年の古九谷焼と伊万里の論争の記事興味深く拝見しました。
わたしの説では・・・(笑)
おそらく当時、九谷で、色絵磁器の生産がこころみられ、ある程度は、成功したのではないか?と思うんです。
ところが、歩留まりが極端に悪いか、コストがかかり過ぎる。
とても、商品としては、採算性の点で問題があった。
そこで、北前船の商人に、有田から白磁のみを購入して色絵のみをおやりになったら、
宜しいのでは・・と薦めらる。
なるほど、それはグットアイデアと色絵付けだけをやっていた。
とことが、何年か経つうちに、それなら、色絵付けも有田に発注する
方がお徳ですよと、北前船の商人に薦められ、そうするよになった。
したがって、九谷の窯場は衰退し、
ここに古九谷の産地による混乱が生まれる所存であります。
以上、みやまつり説でした。(笑)
本年も宜しくお願い申しあげます。
波兎がちょと、可愛いですよね。ありがとう。
大きめの櫛高台、土台のグルグル模様なども愛らしいですね(@^▽^@)
最初、お皿かと思いましたら、杯洗でしたか。
杯洗にしては上品ですね!
図柄も珍しいですし、絵を描き過ぎず、すっきりしているのがいいですね(^_^)
ポチありがとうございます。
日本文化の礎は、西日本と言う感じがしますよね。
骨董品を集めているといつもそう思います。
今年も どうぞよろしくおねがいいたします。