古伊万里江戸後期物万歳

古伊万里江戸後期ものの魅力。

濱田庄司作の湯呑(益子焼)

2007年09月29日 19時48分37秒 | 益子焼




益子焼の湯呑です。

関東では、陶器と言えば益子焼と言うほど普及しています。
窯元も大小300軒を越すそうです。

すぐそばに、笠間焼もありますが、作風もいくぶん違いますので、区別がつきます。
土も、笠間のもの方が、よいようです。

益子の土は、もともと品質もあまりよくなく、最近は産出量もすくなく高価だと言います。
ですから、最近は、他の産地の土を益子の土にブレンドして使用しているそうです。
益子の作風は、民芸運動の濱田庄司氏の作風を踏襲したものがどうしても、多くなりますが、
最近は、いろいろな作風も見られるようになりました。

しかし、あまりに濱田の名前が有名なので、基本は、この掛釉の様な民芸調が基本でしょうか?


濱田庄司作
(かって濱田氏と親交のあった伯母より、頂戴したもので真作です。)

  口径約8,5cm×6,5cm



コメント (19)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 象の付いたお茶碗その② | トップ | 釉裏紅染付け皿 »
最新の画像もっと見る

19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
半泥子のこころさん。 (宮松里(みやまつり))
2007-09-30 15:54:00
何気ない形と色づかいですが、独特のセンスを感じさせますよね。
簡単のようで、なかなかマネできないそいうです。
返信する
66さん。 (宮松里(みやまつり))
2007-09-30 15:55:00
はい、伯母からもらいました、自分ではなかなか買えません(笑)。
返信する
No title (志維求堂)
2007-09-30 19:31:00
みやさん、みやさん、あたしんちにも濱田庄司と親交のあった人から譲ってもらった抹茶碗(骨董屋さん経由ですが・・・・)があるんです。
残念ながら箱を無くしてしまって、濱田庄司作を証明する物が何も無いんです。
箱が出てきたら、骨董屋さんがあたしの抹茶碗を買い戻すか、あたしがその箱を買うかの約束ができてるんですが、あれから5年、何の音沙汰もありません。
正真正銘の濱田庄司の茶碗が、本物の認定を受けられずに、宙ぶらりんで食器棚に潜んでいます。。。。。
返信する
わが故郷の益子焼き・・・いいですねー・・ (夢想miraishouta)
2007-09-30 20:04:00
でも何も持っていないのです・・
こんなの欲しいですねー
返信する
志維さん。 (宮松里(みやまつり))
2007-09-30 20:50:00
それなら、良い方法もあります。
息子の濱田晋作さんが、鑑定と箱書きをしてくださいますが、結構なお金が掛かるみたいです。
伯母が、ぼやいていましたから。。。
換金する時は、どうしても鑑定と箱描きが必要ですが、自分で楽しむには、特にいらないでしょう。
返信する
miraishouta さん。 (宮松里(みやまつり))
2007-09-30 20:53:00
栃木県出身だったんですか・・。
それじゃ同郷ですね。これからも宜しくお願いいたします。m(__)m
返信する
おぉ~!って感じです。お名前だけはよく聞きますが、実物は拝見した事がないです。 (かさね)
2007-09-30 22:53:00
お湯呑みも素晴らしいけど、すてきな伯母様をお持ちですね。羨ましい。。
返信する
こんばんわ。 (ちくわ)
2007-10-01 02:14:00
遅くなりましたが、見に来ました~
同じ益子焼でも、良い品をお持ちなんですね(汗)

この模様、浜田先生のパクリだったんですね、(指導かもしれませんが)
益子の焼物に多大な影響を与えた素晴らしいかただったんだと、改めて感じます。
本物の先生の品は、やっぱり同じ器、模様、にしても力強さが全然違いますね!!
返信する
かさねさん。 (宮松里(みやまつり))
2007-10-01 05:53:00
九州地方では、益子焼は、あまり見ないそうすね。
逆に伊万里と唐津が関東では、あまりみません。
まだ、まだ、日本は広いなぁと、思いました。
そうかんがえると・・お互いの地で、掘り出し物もあるかなぁ~と思いました。
返信する
はなくみちゃん。 (宮松里(みやまつり))
2007-10-01 06:03:00
これは、いただき物なので、その点僕も恥ずかしいです(笑)。

はなくみちゃん、の益子焼もなかなか素敵でしたよ。
益子にとって濱田氏は、救世主ですので、その影響は絶大かもしれませんよね。
いただき物まだ少しあるので、少しづつUPして見ますね(笑)。
返信する

コメントを投稿