アイヌ語って、
いがいに、知っているようで、知らないものですよね。
(カムイ)(イオマンテ)(コロボックル)くらいかなあ。。
イオマンテも、最近聞かない。
昔、あれをテレビで神聖なアイヌの儀式として、放映したのを見た。
今、あれをやると、動物虐待になりかねない。
いまでも、やっているんだろうか?
繋がれた熊の子に、至近距離から弓矢を打ち込む。
今の時代感覚からいえば、なんとも、痛ましい。
でも、当時は、それも伝統なら仕方ない大事な儀式に、思えた。
時代感覚って、不思議なものですね。
少し、興味があり、アイヌ語を調べてみたら、
日本語と共通の言葉が、いがいに少ないのに驚きました。
文法も、主語が複数形か単数かで、動詞が変化するという、
日本語や朝鮮語にありえない変化も、見逃せません。
語順は、ほぼ同じだけど、否定文や命令形だと、
主語ー動詞ー目的語。
と、なるらしい。。
結果、文法的に日本語によりちかいのは、
アイヌ語より、朝鮮半島語という印象を持ちました。
ご存知のかたも多いと思いますが、
朝鮮語と日本語は、うりふたつの言語です。
むかしアイヌは、西日本地方まで居ましたから、
まったく違う系統の言語を操る民族が、日本列島に二ついたなんて、
なんとも、不思議ですね。
なるほど、そうですか。
この
関東も、多いですよ。
江戸、鬼怒川、日光、草津も、もともとは、アイヌ語とか。。
名張なんか「なばる」、隠れるだったかな。面白いです。
共通語は、パダ『おおうなばら』クルム『雲』くらいですものね。
どうも朝鮮語と日本語が分岐したのは、一万年くらい前ではないか?
とおっしゃる人がいました。
さて、古事記については、詳しくないのでよく判りませんが、
ひょっとするとアイヌかもしれませんよね。
古事記、日本書紀に出てくる異民族と思われる『土蜘蛛』伝説ですが、
先住民族、アイヌだとうとう説は、根づよい支持がありあますよね。
確か古事記の神武天皇が熊野を通る時に見えたり見えなかったりする不思議な熊が現れて、皆その毒気に当てられ気絶するって話はあったはずです。多分、荒ぶる神々の一柱なのでしょうが、そのあと神武の剣のフツノミタマが勝手に抜き出て荒ぶる神々を斬り殺したと書かれているので熊も死んでしまったのでしょうか。
いま、ユーチューブで、見てしまいました。
そう、メノコはアイヌ語。
そうですね。そちらのほうが、アイヌゆかりの地名は、本場ですものね。
なんとかナイと付く地名は、たいがいそうでしょうね。
確か・・
盛岡出身のご老夫婦が、アイヌは、お金が溜まると、働きにこなくなる。
なくなるとまた働きに来る。
和人となじめないところもある。
なんて、おっしゃっていましたね。
最近は、縄文時代は、朝鮮半島にはほとんど人が棲んでいないことがわかってきました。逆に、人骨などから、九州地方の人が朝鮮半島の南側、海岸近くに棲み始めたことも分かって来ました。いままでの歴史観とは大きく違う事実ですね、びっくり。
ですから、邪馬台国は、九州と朝鮮半島の一部ではないか?という人もいます。
一方、韓国の国語学者に言わせると、文法は日本語と朝鮮語は酷似。
しかし、共通の単語がほとんどない。クルム=雲 パダ(海)=おおうなばら、くらい。
ところが、アイヌ語に古代朝鮮語と共通ではないかと思われる単語が多いと、
言っていました。
韓国の神話によると、韓国人の先祖は、「熊」だそうです。
アイヌも、「熊」は、神の御姿として特別に存在しています。
なんだか、関係ありそうですよね。
大和民族で、熊が神様なんて話は、聴いたことない。
神の使いとしての『鹿』や『きつね』はあるようだが(笑)。。
しかるに、九州地方にも、アイヌの先祖がきっと居たとしても不思議はないと思います。
まして
いま、おこなわれてないと聞いて、すこし安堵しました。
ずいぶんとアイヌの文化について、勉強されたんですね。
まあ、明治時代~戦前のアイヌを思うとき、とても悲しい民族の運命を思いますよね。
しかし、似たような運命は、アメリカインデアン、オーストラリアのアボリジニ。
あるいは、ハワイの原住民を思います。つらいですよね。
栃木は「下野=しもつけ」群馬は「上野=こうずけ」と書きますが、むかしは、「下毛」「上毛」と書いたそうです。いまでも、栃木~群馬をいく鉄道を、両毛線(りょうもうせん)といいます。民族学に詳しい先生がおっしゃるには、アイヌの多い土地であったと、いいます。
現代人が、アイヌの文化に学ぶとすれば、私は、『足ることを知る』という文化だとおもいます。アイヌは、自然界から、必要以上のものを搾取することを、厳しく、いましめてしますものね。「足るをしれ」あとは、自然の恵みに感謝する心ですね。わたしも、反省しておりますが、実行は、難しいですね。(笑)
むかしは、デパートにアイヌの人が来て、木彫りの実演なんか、やっていました。
顔の彫りが深くて、かっこよかったですよ。(笑)
テレビで、くちびるに刺青をしたおばあさんも出てきました。
むかしは、イヨマンテとか、文化について感心も深い時期もあった。
いまは、アイヌ文化については、ほとんどテレビなどの話題にものらなくなりました。
カムイは、日本語で神のことですから・・
古代史では、ぜったい繋がりは、あるのに違いでしょうね。。
イヨマンテ(熊祭り)メノコ(女性)なんですね!・・当地域の方にもなごりの地名あるみたいですね!?
http://www.asophoto.com/2006/180624a.html
ただ、多くのアイヌ語は日本語表記に変わっているところがほとんどで、なかなか見つけにくいのですけど、この「ヅーベット」という字は、漢字表記しづらかったのか、そのまんまなんですね。そういうのも面白いなぁと思ったものです。
ぽち!
現代ではそぐわない伝統行事も、現代のものの考え方で判断してはいけないですね。
当時は今のように選択肢はない時代なのだから、それを糾弾することは、むしろ現代のほうが野蛮なことかもしれないです^^;
ぽち^^
イヨマンテに使われる矢は神様にささげる装飾した「花矢」で先は深く刺さるものではなくトリカブトを塗った矢を少し刺さる程度にして痺れた所 首を圧死させます。その後 全てを人間が譲り受けます。血の1滴も無駄にしないように上手く捌きますしその血も飲みます。イヨマンテでほふられる熊は仔熊から2.3歳まで大事に育てられます。愛情を注ぎ育てた人々は祀りと言えど泣きっぱなしです。子供に話したとき可哀相、一緒に入られないの?聞かれました。熊は慣れると言いますが猛獣ですからね…。鶏や豚ウシ、される前にお礼やお別れをすることはありませんね。イヨマンテは食べるための最高の感謝だと思います。