骨董品や古伊万里を集めてみて、自分には、あまり古陶磁コレクターには向いていないではないか?
そんな疑問をときどき持ちます。
それは、わたしは、図録に出ているような名品とか、美術館にあるような名品には、ほとんど興味がありません。
休日に美術館めぐりとか、そういうこともめったにしません。
ただ、自分で見て感じて、よいと感じたもののみ買います。
そこそこの時代があるなら、デザイン対価格の満足度のみ重要視します。
それが社会的に人気がなかろうが、評価が低かろうが、いっこうに気になりません。
休日に美術館めぐりとか、そういうこともめったにしません。
ただ、自分で見て感じて、よいと感じたもののみ買います。
そこそこの時代があるなら、デザイン対価格の満足度のみ重要視します。
それが社会的に人気がなかろうが、評価が低かろうが、いっこうに気になりません。
図録に載っている偉い先生の作品に対する優劣の解説も、最初から鵜呑みにはしません。
しょせん古陶磁は、優劣ではなく好みの問題だと、思っているからです。
しょせん古陶磁は、優劣ではなく好みの問題だと、思っているからです。
まあ、ちょっと、ぼくは、変わり者かも知れませんね。(笑)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
一斗缶で、じゃがいもつくりです。
職場で、この一斗缶が、多量にでます。
最初は、業者にもっていっていただいたんですが、
去年たまたま、底に穴を開けてじゃがいもをつくったら、
ひどくよく出来ましので、ことしもチャレンジです。(笑)
去年たまたま、底に穴を開けてじゃがいもをつくったら、
ひどくよく出来ましので、ことしもチャレンジです。(笑)
ささ”お茶でも召し上がれ””
( ^^) _旦~~
その点がちょと残念です。
そうですよね。。。
現代陶磁器となると、骨董品などの民芸品の人気とやや違い・・・・・
人気があるということは、作品のレベルの一つのバロメーターであることは
ぼくも、間違えないような気がします。
人間国宝の作品は、あるレベルと類例ない個性を維持していますものね。
お値段もお高いので、古伊万里の様には、たくさん買えません。
現代陶磁器に関して言えば、お値段と美術的価値は、あるていど
正比例していると僕も認めざるおえないような気がします。
そうすると・・・
有名になる前の無名時代の新人を発掘する楽しみもあるのかなぁ?
と思いますが、どうでしょうか??
好きこそものの・・・の例えもあるように、芸術を真に理解していれば(とい言うより、本人に芸術家の精神があれば)、見えるんだと思いますね、本物が。
夫は変わり者ですが、長い間デザインやアートに関わって来て、見えるらしいですが、中国の現代絵画をいち早く収集したお陰で、お金に困った時には助かっています。
手放すこともそれほど苦にはならないようで、また次のプロジェクトへと移行して行きます。
趣味のものを買い集めるというのは、人間の面白い「癖」ですね。
やってみます。
それよりもなによりも、あれも好きこれも好きで、気が多過ぎるのが大きな問題点だと思っています。我ながら困ったものであります。。。
自分の好き嫌いは、自分でしか解らない。
一斗缶農耕にも、その考え、というか生き方が現れてますもんね。
ポチであります。
社会的にまだ、評価の少ないものをコレクションしていくには、
よほど本人の中に動かない価値基準がないと、途中で挫折してしまいます。
ご主人の審美眼は本物ですね。
中国の現代絵画ですか、それもよさそうですが、いまからでは遅いでしょうね。(笑)
うらやましいですね。
おそらく、土地が暖かくなり易い、水はけがよい、肥料が流れない、などの複合的な理由ではないかと思っています。
中国の明・元時代の官窯の陶磁器を買いあさるんじゃないでしょうか。(笑)
お金がないので、こういう性格になったのかも知れません。。(笑)
そんなにご無沙汰しておりましたか。。。(笑)
ご賛同ありがとうございます。
意外に世間の既成概念とかあまり気にしない正確なのかも知れません。(笑)