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体と対話しながら声を出す!

2017年05月17日 | O60→70(オーバー70歳)
▶︎3月15日、通勤途上で「熊本城」と「立山を望む」の吟詠を聴き、帰宅してから素読をしながら練習してみた。その際、先日、ゴルフ練習場で「スィングとパッティングの基本は、お尻をちょこんと後ろに突き出す感覚なんだな」という認識を得たことを思い出し、それはきっと詩吟でも応用できるのではないかと感じて、やってみた。

▶︎するとどうしたことだろう、丹田(お腹から声の出る臍の下付近)あたりからノドを通過して、自分の声が前へ前へと出てきたのである。息切れや声の滑りも見事に解消されていた。というわけで、今日練習した「立山を望む」のの詩文と語句、現代語訳等は次のとおりである。

【詩文】
夢に 名山を見ること 四十年(しじゅうねん)
暮に 山麓に投ずれば 只雲煙(ただうんえん)
天明 日出でて 驚き相揖(あいゆう)すれば
玉立(ぎょくりつ)せる 群仙(ぐんせん) 我が前に在り

【語句】
立山:富山県の飛騨山脈北部の高峰(3015メートル)、日本三霊山の1つに数えられる。
相揖:会釈することで、先方を敬う気持ちをあらわす。
玉立:清らかに美しく立つ様子。
群仙:多数の仙人。

【現代語訳】
私は40年来、名山とよばれる立山にあこがれ、夢にまで見てきた。
昨日の夕暮れ、山麓に着いて宿から眺めると、もやがかかり何も見えなかった。
今朝は、日が出て山の姿が現れ、私は思わず丁寧に会釈した。
清らかな雪に輝く山々が、まるで仙人たちが立ち並ぶように目前に迫ってきたのである。

☆ 作者の國分青厓(せいがい)は、1857年に仙台で生まれで1944年に88歳で没した。
明治、大正、昭和の漢詩人である。
名は高胤(こういん)、字は子美(しび)、青厓は号、別に太白山人と号した。
年少から藩学養賢堂(ようけんどう)教授国分松嶼(しょうしょ)に漢学、落合直亮(なおあき)に国学を学んだ。
大人になって高知新聞その他の記者として活躍し、のちに大東文化学院教授となり作詩の指導に当たった。
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