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神仏分離と廃仏毀釈、隠れ切支丹について

2021年04月20日 | O60→70(オーバー70歳)
4月15日の帰宅途中、近所のマンションの玄関脇で、福島県花でもあるシャクナゲ(咲いていたのはセイヨウシャクナケ)が満開でした。



その日の朝、大仏次郎さんの『天皇の世紀15』を読み終えましたが、神仏分離に伴う廃仏毀釈の凄まじさを知りました。徳川幕府に庇護されていた寺社の僧侶が、神仏分離によって次々と神官に成り代わっていった事実も、「終戦後の日本に通じるなぁ」と思いました。

破壊されたり、海外に転売されたりした国宝級の文化財がいかに多かったか、その流れをストップ(芸術品としての価値を発見・評価)させたのが、アメリカの美術史家・フェノロサ氏たちであったことも再認識しました。

幕末と明治維新は、王政復古による神社の台頭にくわえ、厳禁とされたキリスト教徒(隠れ切支丹)を勇気づけ、長崎では社会の表舞台に登場してくるのですね。



その時、浦上地区の隠れ切支丹の行動(仏式の葬儀を拒否)や、幕府のドタバタした対応と、奉行もろとも途中で江戸に引き上げてしまう顛末を知りました。『天皇の世紀16』を読み進めていますが、歴史は奥深く、今に続いていることを実感しました。
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