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札の辻再開発の奥に建つ遺跡について

2021年04月28日 | 三田だより
日本は明治維新で開国しましたが、王政復古でもあったことから、キリスト教布教の禁止は変わりませんでした。



長崎に協会が建てられ、それを見て、訪れた隠れキリシタンたちが公然と世に登場し、神道を国是とする新政府の弾圧は強まりました。



徳川時代の拷問、磔、斬首などの刑罰は、諸外国との関係で実行されなかったものの、数年に及ぶ過酷な集団隔離政策が執行されたのですね。



そんな史実を『天皇の世紀16』で知りましたが、江戸時代のキリシタン弾圧については、先日、札の辻から聖坂にわたる再開発エリア内・シバザクラの丘の上にある「都旧跡 元和キリシタン遺跡」を再訪してきました。




正式な所在地は、港区三田3丁目7番であり、昭和34年2月21日に都旧跡に指定されています。東京都教育委員会による説明書には、次のとおり記載されていました。
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徳川三代将軍家光が元和九年(一六二三)十月十三日、江戸でキリシタンを処刑したことは徳川実紀によって知られている。処刑された者はエ口ニモ、デアンゼルス神父、シモン、遠甫、ガルウエス神父、原主水ら五十人で、京都に通ずる東海道の入口にある丘が選ばれたと、パジェスの「日本キリシタン史」にあるが、その他は恐らくもとの智福寺のあった西の丘の中腹の辺であろうと考えられる。
その傍証としては智福寺開山一空上人略伝記にこの地が以前処刑地で長い間空地となっていたが、そこに寺を建てることは罪人が浮かばれると考えたとあることなどがあげられる。
なお寛永十五年(一六三八)士二月三日にも同じ場所でキリシタンらが処刑されている。
昭和43年3月1日 建設
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咲き始めたシンビジウムについて

2021年04月28日 | 気ままな横浜ライフ
ベランダのシンビジウムが一輪咲きました。



次々と花開く時を待つ花芽も膨らんでいます。満開になったら、さぞや綺麗なことでしょう。
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