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抜き書き帳『正岡子規』(その7)

2016年05月01日 | O60→70(オーバー70歳)
【156ページ】墨汁一滴 抄(明治34年1月~7月)
----試験だから俳句をやめて準備に取りかかろうと思うと、俳句がしきりに浮かんで来るので、試験があるといつでも俳句がたくさん出来るという事になった。

【158ページ】
我俳句仲間において俳句に滑稽趣味を発揮して成功したる者は漱石なり。漱石最もまじめの性質にて学校にありて生徒を率いるにも厳格を主として不規律に流るるを許さず。--------真の滑稽は真面目なる人にして始めてなし能う者にやあるべき。

[ken]一高から東京大学に進学したものの、正岡子規さんは試験のたびに学問への集中力を欠き、156ページのような逡巡を重ねた結果退学することになります。レベルは異なりますが、私にも同じような経験として「仕事が忙しいくて時間がないときに限って、無性に本を読みたくなる」ことがありました。158ページの「漱石」に関する記述について、正岡子規さんは友人である夏目漱石の俳句を高く評価しており、子規作の「柿くへば鐘がなるなり法隆寺」の名句は、療養生活の世話や奈良旅行を工面してくれた漱石作の「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」という句に対する返礼の句とされています。今さらながらではありますが、正岡子規さんがもう少し長生きしてくれたら、夏目漱石さんとの友情と文学への想いとによって、日本文化へのさらなる偉業を残されたと信じます。(つづく)
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