ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

趣味(落語と本)の話と大好きなうどんを中心に、ごまめになってもいちょかみで幅広くお届け

ごまめ自家製パスタ・390~2021.08.17

2021-08-17 16:33:11 | パスタ・焼きそば・皿うどん


ごまめ自家製パスタ・390~2021.08.17

“ミートボールスパゲッティ”

昨晩の煮込みハンバーグを多く作り過ぎたので、少し残しておいて昼食に、嫁さんはごはんが食べたいと一人分だけスパゲティを茹でて食べる。たっぷりかけても少し余りましたトマトソース、硬めの麺とパルメザンチーズで美味しくいただきました。

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よつ葉のエッセイ~俵万智

2021-08-17 07:07:07 | 本の少し
よつ葉のエッセイ (河出文庫)
クリエーター情報なし
河出書房新社

☆☆☆☆

ふたたび短歌に親しもうと、積読の中から俵万智さんの本を引っ張り出す。

俵万智さんが「サラダ日記」で注目され始めたころで、まだ高校教師をされていた時代のエッセイ。そこには歌壇とは違う一般の世の中でうけいれられていく嬉しさ、喜びに、初々しく満ちている。

短歌について、改めて読むと、身の引き締まる箇所があったので抜き書きしておきます。

さて、五七五七七というこの型は、万葉の昔、1300年前から受け継がれてきた、魔法の杖である。五音七音のリズムの快さは、日本語を表現手段とするとき、たいへんな武器であることは間違いないだろう。自分の思いを、この定型に収束してゆくこと、それが短歌による表現ということである。定型のリズムを獲得した言葉は、生き生きと動きはじめ、私の手から泳ぎ出し、うまくすれば、読む人の心までたどりつく。
自分の中のごちゃごちゃを切り捨てて、表現のぜい肉をそぎ落とし、最後に残った何かを捕まえる。その時の〈網〉の役割を、定型は担ってくれる。そこには、切り捨ててゆく緊張感がみなぎっている。あるいは、切り取ってくる充実感、ともいえよう。

短歌は、短い。短いが、歌である。そして短いがゆえに、短歌なのである。

短歌の原点ですな・・・五七五七七という定型のリズムを活かした歌。
肝に銘じて、詠みたいですな。

 

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