記録的な豪雨に見舞われてから3週間が経ちました。報道では安佐北区の湯坂ではまだ断水が続いているとのことです。豪雨の日の愛媛からの帰路に湯坂峠を越えて帰宅しようとしましたが、山から鉄砲水が噴出しており断念した経緯がありました。あの日以降あの峠越えの道はどうなっているのかと気になっていたこともあって、ちょっと湯坂を訪ねる気持ちになりました。結果から言うと、豪雨による水害の爪痕痛ましく気持ちの重い訪問となりました。しかし、湯坂の人々は後片付けなども殆ど終えて、道路の整理などの生活環境もきれいに整えておられとても健気に生活されている様子が伺えました。〔7月27日(土)〕
↓ 湯坂の集落の奥まったところにある水車小屋は志和越川の氾濫で水に浸かったようですが、水車はいつものように動いていました。
↓ 県道37号線の「湯坂口」交差点には湯坂峠越えの道が通行止め旨の掲出がありました。車を近くの広場に置かせてもらって、徒歩で集落へと向かいました。

↓ 湯坂集落へと続く車道を辿りながら民家の裏手に回り込んでみると、谷間を流れる湯坂川の護岸が大きく削られた現場に行き当たりました。当日ここを轟音と共に濁流が流れたのでしょう。

↓ 更に車道を遡って行くと、車道と並行して流れていた湯坂川が荒れ狂うた痕跡に出合いました。小川のようであった川の幅が異常に広くなっていることに驚きました。

↓ 川岸にあった筈の電柱が川の中に立っていました。川岸が削られて後退したようです。

↓ 更に遡って行くと、車道のガードレールの土台の周りが濁流に削られて土台が宙ぶらりんになっていました。

↓ 車道から対岸に渡る生活道路の橋が護岸が削られて落下していました。

↓ 車も通れる生活道路の橋がここでも湯坂川に落下していました。

↓ 湯坂川沿いの道から湯坂峠へと上り行く道に入り集落の中を抜けて行きました。この辺りでは水害の爪痕はあまり見られませんでした。

↓ 集落を過ぎて谷が奥まってくると湯坂川の支流の志和越川が溢れた痕跡が見られるようになりました。

↓ 志和越川の縁に建てられた水車小屋は健在でこの日も規則正しく回転していました。菜種油を搾る水車を再現したものです。

↓ 水車小屋を背後から見ると、明らかに豪雨の際に小屋も志和越川の濁流に洗われたことが容易に推察出来ました。

↓ 辿ってきた車道と志和と小河原を結ぶ巻道の合流点に出ました。道路上にはまだ洪水で流れ出たゴミ類が堆積していました。
↓ 交差点から小河原方面への道路を見ると、洪水後一切手付かずのまま瓦礫やゴミが放置されているようでした。

↓ 志和方面への道路には瓦礫やゴミはありませんでしたが、「全面通行止」の看板が立てられていました。
↓ 志和と小河原を結ぶ巻道との交差点から来た道に引き返しました。湯坂集落の棚田にも濁流が一部流れ込んだようですが、田圃全体を壊滅する規模ではなかったようです。

↓ 帰りは集落の高みを巻く道を採りました。集落の生活道路や家の周囲はどこも綺麗に片付けられとても落ち着いた雰囲気でした。湯坂川沿いまで下ってくると、洪水の爪痕が濃く感じられました。床上浸水や玄関先まで激流に迫られたご家庭もありました。断水は仮設道路が完成次第解消する手筈になっているようです。