吉賀町藏木の「ひがん花の里」を訪ねた脚で同じ吉賀町柿木村にある大井谷棚田までその脚を延ばしました。日本の棚田百選の一つに選ばれている棚田です。標高350メートルから450メートルの南向きの谷間に広がっており、案内板に記されているところでは室町時代から幕政時代に築かれたもので、水田面積は30年前には17ヘクタールあったものが現在では8ヘクタールになっており、域内の戸数は21戸(うち農家は18戸)、人口は80人弱とのことです。初めて訪ねた大井谷棚田を歩いて周回してみました。〔9月26日(水)〕
↓ 入口近くにある展望公園に上がって大井谷棚田を見渡してみました。
↓ 稲の採り入れは終わっていましたが、休耕田や耕作放棄された田圃が多いことに驚きました。展望公園にベンチを備え付けておられた地元の若者のお話では来年は代わりの人が耕作出来るべく相談してこれらを減らしたいとのことでした。農家の高齢化が大きな課題のようです。
↓ 大井谷棚田の集落への入口にはループ橋が架けられて棚田への幹線道路が確保されていました。
↓ 採り入れの終わった田圃の上からループ橋の架かる棚田入口を見下ろしてみました。
↓ 棚田の中ほどから石積みの棚田の中に散らばる集落を見上げてみました。
↓ 数えきれない程の石積みの段々の田畑の間に民家や道路が築かれています。
↓ 民家の上に更に天に至るような石積みの段々の田圃が広がっているのが見て取れます。
↓ 立ち昇る煙は田圃に散らばっている稲藁や稲株を焼いてのもののようです。段々の下から上に向けて焼却の作業が進んでいる模様です。
↓ 最上部の田圃にはまだ刈り取った稲のはざ掛けが残っているようです。
↓ 焼却作業が続く段々の田圃が俯瞰出来ました。
↓ 焼却作業をする農家の方の姿も見えました。
↓ 棚田の上部に登って行くともう茶の木に花が咲いていました。
↓ 棚田の最上部にある「助(たすけ)はんどう」。棚田の水源で、かつて干ばつの年にここにだけ溜まる僅かな水を飲んで住人が生き延びることが出来たことからそう呼ばれるそうです。「はんどう」とはこの地方の方言で「水瓶」のことだそうです。
↓ 「助はんどう」の先にもまだ段々の田圃が広がっていました。ここが棚田の最上部のようでした。
↓ 石積みの美しい段々の棚田の最上部にアプローチ中!石垣の段々が実に美しく感じられました。
↓ 棚田の最上部から大井谷棚田を俯瞰しました。
↓ 棚田の最上部を下から見上げてみました。圧倒される程の規模の石積みです!
↓ まだ残っていた稲のはざ掛けの周りでは脱穀作業が行われていました。の
↓ もういちど棚田の上部から集落を俯瞰しました。
↓ 谷の左岸側の巻道を採ってこの日最初に立ち寄って展望公園に下りました。