蜂に刺されて腫れたところもやっと治ったので、久々に山へ。息子達が除草してくれたところを念入りに刈っておきました。小さな葛の根をきっていると、目の前に突然スズメバチが。ホバリングして狙っています。透明なゴーグルをしているので狙いが定めにくいのでしょう。咄嗟に姿勢を低くしてから一目散に坂を駆け下りて車の陰へ。恐る恐る見ると、スズメバチは車の上まで追いかけてきていました。
蜂は目の前にくるとホバリングしながら左右に動きます。こちらとの間合いを計っているのです。この時、横に逃げるのは最悪です。蜂は横の動きに敏感なのです。しゃがみ込んで姿勢を低くして視界から消える。その後素早く逃げる。が正解。出来れば真後ろがいいのですが。今回は真横しか退路がなかったので追われました。それでも、まだカチカチという警戒音を発していなかったのが幸いしました。この時期は、花も餌となる昆虫も真夏より減るので蜂も気が立ってくるので大変危険です。
蜂は森の入り口付近に営巣するので、今日は森の中の除伐をしました。チチアワタケが出ていました。夏の始まりと終わりに出るキノコです。セミの抜け殻がいくつもありました。抜けていったセミ達は、もうこの世にいないかもしれません。彼らにとっては極短い夏です。
ゲンノショウコが風に揺れていました。淡い赤紫の小花を咲かせていたヤブランは、小さな緑の実をつけていました。ミズヒキの蕾があちこちに見られるようになりました。上が赤、下が白の小花を咲かせます。林道沿いには、アキノキリンソウが黄色の花穂(かすい)を揺らせています。まだ数は少ないのですが、アキアカネも下りてきました。
週末、長野県立歴史館で、「信州知の遺産の系譜」信濃史料編纂のあゆみという展覧会を見てきました。地味な企画なので人はまばらでしたが、おかげでゆっくりと鑑賞できました。戦前から完成まで40年以上の歳月がかかったそうで、全国のこういった史料のモデルになったともいわれています。その礎を築いた栗岩英治の草鞋(わらじ)史学の足跡も興味深いものでした。また、一巻につき半年かけて内校から一校、二校、三校(本組)、四校、念校を行うというように、編纂の進行も非常に厚みのあるものでした。
興味深かったのは、各村から提出された元原稿や原画です。埴科郡誌などで活字になったものは、知っているのですが、元原稿を見たのは初めてでした。明治政府が、発足の当初より国家の歴史と地誌を編纂するべく、各県にその材料を提出するように求め、明治18年に長野県の村誌、郡誌が完成したのです。歴史学的には里俗伝も多く、同じ地理名や史跡でも境にあるものは、村によって記述が異なることもあったり、郡誌を編纂する際に地理名をやや強引に決めてしまったりとかもあるのですが、郷土の史料をまとめる作業が全国で行われたのは、非常に意義深いことでした。
小さなコーナーでしたが、直江兼続と信濃侍のコーナーも非常に興味深いものでした。歴期館は、千曲市の森将軍塚古墳の麓にあります。古墳館と共に訪れてみてはどうでしょう。たまには郷土の歴史に触れるのもいいものです。
★妻女山については、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、粘菌、夏の花、昆虫、樹木、蝶などを更新しました。トレッキング・フォトルポにない写真も掲載してあります。