何だか重たい題を書いてしまったなと思いながら、今朝友達から来た
メールを思い出していました。
22日に54歳で亡くなった、知人のお墓参りに行った時
近くに25歳で亡くなった女の子のお墓があり、墓石には
「ありがとう」と書いてあり、近くに行くと涙がでました。という
メールでした。
その情景を心に描いただけで、私も胸が一杯になりました。
遺された人達が、墓石にありがとうという言葉を刻みたいと思う
この女性は、どんなに尊い生き方をされたのでしょう…
息子を亡くした後、死ぬとはどういうことなのか、あの子は
どこへ行ったのか、その答えが見つからないと、自分は前に
進めない気がして、先ず読んだのがダライ・ラマの「死の謎を解く」
でした。
それには、死とは古い着物を脱ぐようなものだと書いてあり、
私にはまったく理解できませんでした。
でも、今あの時とは違い、分からないながらもダライ・ラマの
言葉が体に沈んでくるのです。
「死」が終わりではないと確かに思えるからです。
私は交通事故で亡くなった、風見さんのお嬢さんのえみるちゃんに
会ったこともありません、でも私の心の中にえみるちゃんは
いるのです。
うちの創(つくる)も、創が出会ってない人の心の中に
ちゃんといるのです。
創もえみるちゃんも、亡くなった人達は生きていた時以上に
人と人を繋げ、みんなの心の中で生きているのです。
魂と魂の関係においては、死はないのかもしれません。
そして、生きている者と亡くなった人との新しい関係が
そこに生れていくような気がします。
森のイスキアにある「小さな森」は、初女先生が亡くなった人と
生きてる人が交われる場所として、造られたと聞いています。
小さな森の木々の間から、ぽっかり見える丸い空は
こちらとあちらを行き来きする、天空の途かもしれません。
ありがとうと言える別れは、ありがとうという出会いになって
繋がっていくのですね。
ありがとう 創
ありがとう えみるちゃん
ありがとう お父さん
ありがとう たくさんの魂(いのち)達…
メールを思い出していました。
22日に54歳で亡くなった、知人のお墓参りに行った時
近くに25歳で亡くなった女の子のお墓があり、墓石には
「ありがとう」と書いてあり、近くに行くと涙がでました。という
メールでした。
その情景を心に描いただけで、私も胸が一杯になりました。
遺された人達が、墓石にありがとうという言葉を刻みたいと思う
この女性は、どんなに尊い生き方をされたのでしょう…
息子を亡くした後、死ぬとはどういうことなのか、あの子は
どこへ行ったのか、その答えが見つからないと、自分は前に
進めない気がして、先ず読んだのがダライ・ラマの「死の謎を解く」
でした。
それには、死とは古い着物を脱ぐようなものだと書いてあり、
私にはまったく理解できませんでした。
でも、今あの時とは違い、分からないながらもダライ・ラマの
言葉が体に沈んでくるのです。
「死」が終わりではないと確かに思えるからです。
私は交通事故で亡くなった、風見さんのお嬢さんのえみるちゃんに
会ったこともありません、でも私の心の中にえみるちゃんは
いるのです。
うちの創(つくる)も、創が出会ってない人の心の中に
ちゃんといるのです。
創もえみるちゃんも、亡くなった人達は生きていた時以上に
人と人を繋げ、みんなの心の中で生きているのです。
魂と魂の関係においては、死はないのかもしれません。
そして、生きている者と亡くなった人との新しい関係が
そこに生れていくような気がします。
森のイスキアにある「小さな森」は、初女先生が亡くなった人と
生きてる人が交われる場所として、造られたと聞いています。
小さな森の木々の間から、ぽっかり見える丸い空は
こちらとあちらを行き来きする、天空の途かもしれません。
ありがとうと言える別れは、ありがとうという出会いになって
繋がっていくのですね。
ありがとう 創
ありがとう えみるちゃん
ありがとう お父さん
ありがとう たくさんの魂(いのち)達…