暖かい横須賀でも雪が舞いました。
何と寒い春分の日
昨日、弘前の知り合いから電話があり、「弘前は
すっかり雪が無くなったよ」と聞いたばかりです。
初女さんのお墓は、お寺の中にある教会墓地で
墓石は土の上にプレートのように置いてある
ちょっと洋風のお墓です。
雪の季節は、すっぽり雪の中に埋まっていると
思います。
春になり雪が融けると、ふきのとうのように
お墓も現れるのかな…
目の前には岩木山が見えるし、最高の場所です。
今日、友人から「春の歌を歌っていると
体の中に春がくるよ」って教えてもらったので
寒いけれど、春の童謡を歌っていました。
そうしたら、春を待ち焦がれる歌が、いくつも
あるのに、ちょっと感動しました。
春を待つ心を私たちは、いつの間にか忘れて
しまったのかもしれないと思いました。
初女さんが「食はいのち」に気づいたのも
春のようです。
『春、ようやく雪が解け始めたイスキアの森では
長く厳しい冬を耐えてきた植物たちが
”待ってました”とばかりにいっせいに
芽吹きます。
苦みや香りが強く生命力にあふれた春の山菜たち
その個性を生かしながら調理するのは
春一番の楽しみです。
ふきのとうやたらの芽のてんぷら
せりやみずのおひたし
つくしの卵とじ、ぼんなやこごみの胡麻和え
春のいのちをいただくと
寒さで縮こまっていた細胞ものびのびして
全身に力がみなぎってきます。
結核で喀血を繰り返していた女学生のころ
お見舞いに、桜鯛の潮汁をいただきました。
ひとくち食べた瞬間に鯛のお出しがすーっと
指先までにしみわたって
春のエネルギーに細胞が小踊りしているようで
それは薬や注射では得られないかった感覚で
”食べたい””生きたい”という思いが
からだの奥底からむくむくと湧いてきました。
食べることはいのちをいただくこと。
おいしくいただくことで食材のいのちが生かされ
人も行かされるのです。』
初女さんの喜びが伝わって来ます。
春の歌を歌って、体の中に春を呼びませんか。
どこかで「春」が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 啼いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月
そよ風吹いて
どこかで「春」が 生まれてる