~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

ワンピースが伝える原爆

2013-08-18 21:57:32 | 日記
今日は映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』を

観てきました。

写真家である石内さんが、被曝した人の来ていた服を撮った

「ひろしま」という写真集が出た時、何度も手に取ったのに、

写真を見た時の緊張感に戸惑い、本を買う事が出来ませんでした。

でも、ずーっと気になっていて沖縄で石内さんの「ひろしま」の

写真展があると知った時は、何とかして行きたいと思ったほどです。

その「ひろしま」のバンクバーでの写真展のドキュメント映画の

上映と石内さんのトークがあるというので、息子と二人で

出掛けました。

この写真集が出た時、私は戦時中は暗い色のもんぺ姿の写真

しか見ていなかったので、パススリーブのブラウスや

ウスバカゲロウのような透けたワンピースを見た時、

これを戦時中に着ていた人がいたの?と、驚きました。

若い女性たちは、暗いもんぺの下に、艶やかな色の服や

おしゃれなデザインの洋服をまとっていたのです。

服だけの写真は、その服を着ていた少女たちの生が

突然奪われていくことの、残酷さ理不尽さが沈黙の中で

静かに深く心に迫ってくるのです。

それはある意味、ヒロシマ・ナガサキの写真にアレルギーを

持っている外国人にも、緊張感を持って伝わってくるものの

ようです。

本当にすごい写真です。

私が今まで観て来た原爆の写真は、原子爆弾の破壊力の

すごさと、むごたらしさに言葉を失いましたが

石内さんの写真は、それを着ていた少女たちの日常や

青春にまで思い描くことができるのです。

着る人を失った物たちの深い叫びのように、心に響いて

くるものがあるのです。

これはきっと世界中の人に届くと思いました。

石内さんは「福島の原発事故が起き、ヒロシマと何も

変わってないと思い、だから今またヒロシマを見つめ

なくてはと思った」と、言われていました。

そんな石内さんのトークを楽しみにしていたのですが、

残念な事に、急に体調を崩されトークは24日に延期に

なってしまいました。

息子はトークを聴きに行くと言っていますが…

戦争を語る人達がどんどん少なくなっていく中、

遺された物たちの声に耳を傾け、一人ひとりの

イマジンを深くしなければ…

石内さんの写真集「ひろしま」を手元に置きたいと思いました。
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風立ちぬ

2013-08-16 11:04:25 | 日記
昨日、ジブリの「風立ちぬ」を観に行きました。

小さな映画館が、ほぼ満席で私の隣はおばあちゃんと孫でした。

孫が買ってきたポップコーンを、一緒に頬張るおばあちゃんが

「映画館に来てこういうの食べるっていいよね」と、嬉しそうに

言っていたのを聞いて、孫と観られる映画を作ったジブリは

凄いぞ!と、私も微笑ましくおばあちゃんと孫を見てました。

映画は、ゼロ戦を設計した堀越次郎の物語ですが、

実在の人物をモデルにしたのは、ジブリ映画にとって

初めてのことだったそうです。

戦闘の場面もなく、何か大きな盛り上がりがあるというのでも

ないのです。

戦中という時代の今この時を、精一杯生きている主人公の姿に

観ている者に、平和を考えさせる、そんな映画のような気が

しました。

宮崎駿氏も、「彼らが無罪だなんて思っていません。

しかし、人間はそれぞれの時代を、力を尽くして生きて

居るんだと思う」と言われています。

戦争とは個人の意志とは関係のない処で始められ、個々の

人生が容赦なく立ち切られていくものです。

日本が、68年間戦争をしてこなかったという事は、

数えきれぬ命の犠牲の上に、この平和がもたらせて

きたのです。

決して、当たり前のことではないのです。

それは、憲法第9条に守られていたからなのです。

宮崎駿氏も「憲法9条は守るべきです。平和憲法があったから

自衛隊はイラクで一発も打たずに帰って来られた。

平和憲法の理想主義が守ってくれているんです。」と

憲法改正への異議を、はっきりと言っています。

今の憲法は時代に合ってないと言って、改憲への動きに

持っていこうという力のありますが、戦争放棄という

普遍的な理想が、私たちを戦争から守ってくれているのです。

風立ちぬは、観終わった後に深いものが静かに押し寄せて

きます。

今ある私たちの生活が、決して当たり前の日常ではなく

平和であるという大きなバックグランドがあってのことだと

いうこと…

あの戦争に勝ったアメリカは、この68年間にどれほど戦争を

してきたでしょう。

偶然にも8月15日に観た、「風立ちぬ」で平和がいかに

掛け外のないもので有るかを、改めて感じました。

映画好きだった父が生きていたら、真っ先に孫を連れて

観に行っただろうに…

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暑さに負けないおむすび

2013-08-15 09:54:19 | 日記
お盆休みに、Yさんのところに初女先生の作られる棒だらと

おむすびを教わりに行ってきました。

棒だらは、以前先生から頂いて、先生のお料理の本を見ながら

作ったことがありますが、自分の作った味が先生の味に

近いのかも分からず作ってしまいました。

何しろ、棒だらは初めてだったもので…

実際にYさんがお料理されるのを見ると、乾燥した棒だらを

水につけ、絞るという作業だけでも10回以上されるのです。

お料理の本にも、絞ってアクを除き、出る水が透明になるまで

繰り返すと、書いてありますが、ここまでとは…

弱火でゆっくり煮詰めるとあるので、私は1時間ぐらい煮たの

ですが、Yさんは「そんなんじゃ全然たらないわよ」と

2時間以上煮ていました。

そして、煮ている間にマンツーマンのおむすび講習

Yさんの作るおむすびはとっても美味しいのです。

私は、「初女先生のおむすびを、まるまる1個なんて

ほとんど食べたことがないの。みんな食べたいと思って

いるから、分けて分けて頂くから…」と言うと、

いつも先生のお側にいるYさんも、実は私もそうなのと

言われたので、やっぱりね!と、二人で納得してしまいました。

始めて食べた時の先生のおむすびの記憶が、Yさんの

おむすびに重なるのです。

とっても美味しいおむすびを作るYさんも、とても先生の

おむすびとは言えないから、先生のに似たおむすびって

言うのよと言われたので、私も「イスキアもどきですが」

って言うのと、笑ってしまいました。

そんなおしゃべりをしながら作ったら、Yさんに「直さん

おむすびは、話しながら作ったらダメよ」と言われ、大いに

反省しました。

初女先生は、調理に向かわれる時は神聖とも思えるくらい

集中してるのに、いけません、いけません。

おむすびと棒だらをお土産にもらって帰ってきました。

今朝は、お味噌汁と昨日のおむすびと棒だらを朝食に

食べたら、タオルにくるんだおむすびは、少しも堅くならず

美味しいのです。

棒だらもしっかり味がしみ込んでいて、先生のお父さんが

好物だった棒だらの味に、感激してしまいました。

この暑さの中、冷蔵庫に入れず出したまんまだったおむすびは

なんともないのです。

よく、手で握ると菌が付くからとラップにくるんで握ったり

する人が多いですが、そんなことはないとはっきり

分かりました。

手から出るエネルギーも、おむすびはとり込んでいるのかも

しれません。

作る人の祈りも、おむすびは包み込んでくれるのかもしれません。

ここにもまた、おむすびの祈りがあるような気がしました。

今日も先生は、誰かの為におむすびを結んでいるのでしょう…





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おむすびの祈り

2013-08-13 22:50:01 | 日記
初女先生の本で、あなたの好きな本は?と聞かれたら、私は

真っ先に「おむすびの祈り」をあげるでしょう。

11月の宿泊講演会の演題が「おむすびの祈り」と決まり、私は

スタッフのみんなに、もう一度「おむすびの祈り」を読み返して

下さいとお願いしました。

「おむすびの祈り」は初女先生の原点だからです。

そして、私も読み返しています。

何度も読んでいるのに、とても新鮮な思いで読めるのは

なぜでしょう…

文中の先生の旧姓を目にした時、「神 初女(じん はつめ)を

かみ はつめと、読んでしまい初女先生はやっぱり、神から

遣わされた方なんだと、ごく自然に思えました。

先生のならることは、すべて祈りの中にあるんだと改めて

思いました。

初女先生を知らない人に、私は「日本のマザーテレサのような方

です」と、言うのですが、そのことを確かにするような

文章に、やっぱりこの地球の上には神から遣わされた人が

いるんだと、嬉しくなりました。

 『あるときに神父さまから「あなたにとって祈りとは

  なんですか」と訊ねられ、とっさに「私の場合は生活です」

  と、答えました。

  私は傍から見ていると、めったに座って祈らないと

  言われます。

  でも、今ここに本当に食べられないでいる人、

  病んでいる人がいたときに、いくら手をあわせて祈っても

  思いはその人にすぐには伝わりません。

  手をあわせて祈るのは「静の祈り」、同じことを心に

  抱きながら、行動するのが「動の祈り」だと思います。

  私は、この生きている瞬間瞬間が祈りだと思ってます。

  だから、お茶をいれて、おいしく一緒に飲みましょうと

  いうのも祈り。

  私にとっては、生活すべてが祈りです

                    佐藤 初女』

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魂に響くということ

2013-08-12 22:48:30 | 日記
文芸春秋の9月号に、初女先生と辰巳芳子さんの対談が載って

いました。

「いのちを守り、心を救う食卓」というタイトルが、お二人の

食に対する姿勢を端的に表しているようでした。

その中で、初女先生が語られていた養護施設の女子高生の一言に

ハッとさせられました。

イスキアでは毎年、夏休みに養護施設の女子高生を3泊4日で

お預かりして一緒にご飯を作って、少しでも家庭的な雰囲気を

味わってもらおうということを続けて、今年で10年になる

そうです。

初女先生は「そういう苦労をしている子は、他人の気持ちを

思いやることができるんですね。

昨年、ある子が『初女先生が生まれてよかった』と、感想文の

中に書いて来たんです。驚きました。

苦しみを通った子供さんというのは、やはりなにか違いますね」

と、語っていたのを読んで、私は衝撃を受けました。

私は、今まで初女先生に出会えてよかったと、言い続けて

来ましたが、初女先生が生まれてよかったと、言ったことは

ありませんでした。

初女先生が大好で、心の底から敬愛してますが、

この少女の思いの深さに、ひざまずく思いがしました。

先生は、言葉を超えた行動が魂に響くと言われていますが

まさに、この言葉の通り、先生の行動が少女の魂に響き、

「初女先生が生まれてよかった」という言葉になったの

でしょう。

初女先生も少女もすごい!

暑い夏の日に、涼やかな風に吹かれたような気持ちに

なりました。

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祈りの時代に…

2013-08-11 12:43:53 | 日記
今日から、11月の初女先生の宿泊講演会の申し込みを開始しました。

今回ほど、演題を決めるのに時間がかかったことはありません。

最初、「母の心はすべてに」で先生にお聞きしたのですが、

お返事がなく、今年の先生の講演会は「食がいのち」が多いので

こちらの演題でと伺ったのですが、それもお返事がなく、

これは何か別のものだと、もう一度ゼロから考え直してみました。

去年の「今を生きる」の時は、まさにぴったりです。と直ぐに

お返事を頂いたのに…

そして、真っ白にした私の中に浮かんできたのが

「おむすびの祈り」だったのです。

早速、先生にお手紙を書き、切手まで貼って出す段階に

なった時、これはちゃんと先生の目をみてお伺いしなければと

イスキアで直接お聞きすることにしました。

先生のお心はやっぱり「おむすびの祈り」だったのです。

私は、今年の初めから時代は、愛を・母性を求める時代に

入ったと思い、先生から頂いた愛を自分のところで留めず、

愛のリレーをしていきましょうと、スタッフの皆に話して

いました。

しかし、時代はもっと深くなり祈りの時代に入ったように

思うのです。

祈らずにはいられない時代に…

それは、宗教ということではなく宗教を超えた祈りかも

しれません。

今朝の新聞で聴覚を失った作曲家佐村河内守さんの記事を

読んで、祈りの時代を強く感じました。

まだ、言葉に置き換えられるほど私の中で発酵してないの

ですが、これからの時代は初女先生の「おむすびの祈」が

私たちの羅針盤になって行ってくれる気がするのです。

もう一度、おむすびの祈りを読み返してと、スタッフに

メールを送りました。

「おむすびの祈り」は初女先生の原点です。

毎年、講演会の演題を筆で書かせて頂いているのですが

「書」の先生に「祈り」と言う字が私に書けるでしょうか

と、お聞きしたら「いろんな祈りがあるから…

でも、簡単には書けない字よ。稽古しなさい」と言われ

ました。

祈りの時代に与えられた「おむすびの祈り」

講演会のお申し込みを開始した今日11日は、3・11から

2年5カ月目にあたる祈りの日でした。

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ありがとうイスキア

2013-08-10 23:23:19 | 日記
朝ごはんのおかずに、主人が好きなすき昆布と油揚げと人参の

炒め煮があり、私が思わず「これ、主人が好きなんです」と言うと

先生が「よく見ていなさい」と言われ、その丁寧な調理をずっと

見ていたのですが、一時も先生は料理から心を離さないのに

改めて驚きました。

その昆布の美味しかったこと、忘れられません。

お料理のことを書きだしたら止まらなくなります。

みなさん、お料理の写真を撮られるのですが、私の知り合いは

空っぽになった器まで撮った人がいます。

もう、その気持ち分かるなー

さてさて、初女先生による、たった8人のためのおむすび講習会

いやーこんなに緊張しておむすびを結んだのは、初めてかも…

みんな、緊張の極みの中でおむすびを結ぶのですが、

まるで、お母さんに見てもらっているような嬉しさが

心の底にあるのです。

私も、緊張して普段のように出来ないのです。

おむすび講習会の時、参加者のみなさんが「こんな

緊張しておむすび結んだの初めて」と言っていたのが

よくわかりました。

今回の参加者で唯一の男性は、先生からちょっと離れた

ところにいつもいたのに、おむすびですっかり打ち解けた

ようで、先生のお隣に座られたらと言うと、隣に座って

自然に話されていました。

やっぱりおむすびは、心を繋ぐと思いました。

おむすびの後、私がイスキアの畑が見たいと言うと

初女先生まで一緒に来て下さり、畑の小屋(りっぱな

小さなお家です)に案内して下さいました。

みんな、すごーい、すごーいを連発してました。

先生は、お茶も出さなくてと、申し訳なさそうでしたが…

イスキアに戻り、先生とベンチに座って友人と3人で

深い話をしていたら、あっという間に帰る時間が

来てしまいました。

それぞれが、イスキアの鐘を鳴らしました。

昔はスタッフが鳴らしてくれる鐘に見送られるように

帰っていったのですが、自分で鐘を鳴らすと、

「さあ、ここから自分の足で歩いていくぞ!」という

自分自身へのエールの鐘となるような気がしました

帰る途中、立ち寄るところがあり車から降りると

何と、太陽が真ん中にあり、その周りにぐるっと虹が

円を描いているのです。

生れて初めて見た、虹の輪でした。

初めてイスキアを訪れた帰りにも、虹がかかりました。

この自然の不思議の中に、息子の存在を感じていました。

1泊のイスキア滞在でしたが、すごく充実していて

もっと長くいた気がしました。

人間は充実した時間は、長く感じると聞いたことが

ことがありますが、その通りでした。

夜は初めてのねぷたに感激し、東北の夏を満喫

した2泊3日でした。

「ありがとう イスキア」

「ありがとう 初女先生」


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進化する初女先生

2013-08-09 23:41:18 | 日記
次の朝、私は寝ている同室の人を起こさぬように、そっと台所へ

行きました。

イスキアに来た時の楽しみは、朝食の準備に加わらせて頂くこと

なんです。

先ずは、お掃除!

なぜか、掃除機までもが静かなイスキアです。

岩木山の方から真っ直ぐに、イスキアの玄関を通り廊下まで

射しこんでくる朝日は、神々しさえ覚えます。

しばらくすると、初女先生がエプロンをして、

「おはようございます」と、静かに登場するのです。

スタッフさんが「先生、カボチャはこのお鍋でいいかしら?」

と言ったので、私は心の中で「ヤッターカボチャだよ」と

叫んでました。

初女先生の名人芸のような、カボチャの並べ方に

「おみごと!」と、またしても心の中で拍手!

味付けはザラメと醤油と水だけ、こんなにもシンプルなのに

食べると、カボチャってこんなに美味しかったっけと、

思わず笑顔になってしまうほどの、美味しさなんです。

今回、ご飯の水加減はしっかり見ようと心に決めて来ました。

初女先生の横にぴったり坐って、目を皿の様にして

みてました。

先生のあまりの真剣さに、私も息を止めて見ていました。

だけど、分からないのです。

イスキアのスタッフさんに聞いたことがあるのですが、

答えは「私らだってわからないよ。先生しかわからないよ」

でした。

20年以上先生のご飯炊きを見て来た人が、そういうのですから

私なんか、分かるはずがないのです。

全てのお料理の味付けは、先生がなさっていました。

一人ひとりに、イスキアの梅干しが添えられていました。

それなのに、こともあろうに私は「先生、今年漬けた

私の梅の味見て下さい」なんて先生に梅干しを差し出して

しましました。

一昨年は、味はいいけれど色がさえないのは、紫蘇が

足らないからです。と言われ、去年はよく干して味は

いいけれど、堅いのは塩が多くてしまったから。と

言われたのです。

今年はと、ドキドキしていると「最高です(あまり嬉しくて

よく覚えてないのですが)」本当に大変なお褒めのお言葉を

頂きました。

やっぱり、時間と心を掛けたから、梅干しさんも美味しく

なってくれたんだなーと梅干しに感謝しました。

一番若い女性に、先生のお隣に座ったらと、声をかけると

パットお顔が明るくなり、嬉しそうにちょこんとお隣に

坐られました。

今回、とっても驚いたことは、「直さん、通訳ね」と

言われたのですが、先生のお耳が聴こえているのです。

私は思わず「ねえ、先生聴こえているよね」と言うと

先生はこくんと頷くのです。

「えーどうして!」と大声をあげてしまいました。

すると先生は「ある日突然、ポンと聴こえるように

なったの」と…

もう、びっくりでした。

90歳を過ぎて白内障の手術をしたら、よく見えるように

なって、メガネがいらなくなったし…

先生は、お体のことを自然のながれでと、言われますが

「初女先生、進化している!」とまたまた大きな声で

言ってしまいました。

さあ、お食事の後は、待ちに待った初女先生の

おむすびの時間です!!

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丸いちゃぶ台が四角いテーブルでも

2013-08-07 11:47:53 | 日記
イスキアに戻り、さっそくイスキアの温泉に入ると、まだ外は明るく

小さな森の緑が目にも心にも優しく感じました。

「あーしあわせ!」という言葉が突然口からこぼれました。

今年の冬は雪が多く、大変だったと聞いていましたが、そんな

過酷な季節を通って来たとは思えない、穏やかな自然の中に

イスキアはいつもと変わらず、ひっそりと在るのです。

先生の息子さんが命名した「小さな森」は、小さなという

言葉では現わせないくらい、どの木も大きくなっていました。

それは、まるで亡くなった方々の魂の成長の姿のようです。

「小さな森」を亡くなった方と、生きている者の交われる

場所として造って下さった先生の尊いお気持ちに、感謝

しないでは、いられません。

見上げると、木々の間に見える丸い空は、

まるで天国からの光の道のよう…

いくら見ても飽きないイスキアの自然を堪能していたら

気がつけば夕食の時間になっていました。

さあ、待ちに待ったご飯です。

食事を知らせる鐘が鳴り、お泊りの8人が集まりました。

この時は、皆さんどことなく緊張していて、先生が私に

隣に座ってと合図して下さり、私は初女先生の隣へ…

初めての人ばかりの食卓の緊張感は、先生のお料理を

口にした途端、ほわーっとほぐれていくのです。

どれもこれも美味しくて、素材の味が充分に生きている

優しい味付けに、心まで満たされて行くのです。

食べ終わってお茶を飲みながら、いつの間にか

自然に分かち合いとなりました。

一人一人が心の奥底に抱えて来たものを、初めて出会った

人の前でぽつりぽつりと語り出したのです。

初女先生がいらしているだけで、場が浄化されるのか

誰にも話せないような辛いことも、無理をせず

自然に話せるのです。

イスキアの丸いちゃぶ台は、椅子とテーブルに替わって

いましたが、心を分かち合うのは

丸いちゃぶ台を囲んでいた時と同じでした。

ゆったりとした時が流れ、私達は今ある幸せを

深く静かに感じていました。

イスキアの夜が暮れていきます。

「おやすみ イスキア」

「ありがとう、初女先生」





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イスキア時間

2013-08-06 22:08:16 | 日記
イスキアに着くと、私達が一番乗りで、初女先生とのお茶の時間と

なりました。

ゆったりと流れるイスキアの時間、そしてそこに初女先生が

いらっしゃる…もう、それだけで「今 ここが天国」でした。

Mさんは、抱えて来た胸のうちを初女先生にお話しながら、

溢れる涙が止まりませんでした。

でも、話し終わった時、昔ながらのMさんの笑顔が戻ってきて

いました。

お茶の時間が、いつの間にか分かち合いの時間になっていました。

イスキアの祭壇には、去年の講演会でイスキア20周年を

お祝いした時に先生にお贈りした、写真立てが飾ってありました。

先生のおむすびを結ぶ写真と、刻まれた「神の計らいは限りなく

生涯わたしはその中に生きる」というお言葉がぴったりと合い

見ているだけで、胸が一杯になっていたら、先生が両手で

私の手を握り「この言葉の通りです。有り難う」と言って

下さったのです。

イスキアのこのゆったりした時間は、何処から来るのかと

思っていましたが、初女先生の祈りを感じられるからだと

その時思いました。

 夕方、岩木山を見ながらあの水芭蕉が咲く池までお散歩に

行きました。

そうしたら、何と黄色い蝶々が何処からともなく飛んで来て

私の周りをひらひらと舞うのです。

私は思わず「あ!この蝶々創だよ。やっぱり創が来て

くれたんだ!」と、叫んでしまいました。

家を出る時、「創も一緒にイスキアに行こうね」と言って

祭壇に手を合わせて出て来たのです。

創は約束を守って、一緒に来てくれたのです。

イスキアは魂が触れ合うところのようです。

心が満たされたら、急に先生のご飯が呼んでるような

気がして、私達は足取り軽くイスキアに戻りました。

「ただいま イスキア」

「ただいま 初女先生」



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