~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

「限りなく透明に凛として生きる」を読んで

2015-03-16 22:52:29 | 日記

出版社から初女先生の新刊『限りなく透明に

凛として生きる』が届き、今日読み終えました。

初女先生の本を読むと、いつも「生きるってそんなに

難しいことじゃないんだ」と、思うのですが

この本は、ことにそれを感じました。

『何かになろうとしなくても、それはすでに自分の中に

あるものです。

透明になって真実に生きていれば、それがいつか

必ず真実となって表れます。

だからわたしたちに今できることは、ただ精一杯

毎日を真面目にていねいに生きていく

これだけだと思うのです。』

この先生のお言葉にあるように、何に対しても

丁寧に真面目に生きる積み重ねが、初女先生の

人生そのものなんですね。

透明という難しいと思われるテーマが、

少しもぶれることなく、この本を貫いているのですが、

それは難しいことではなく、とても身近なこととして

自然に心に入ってくるのです。

例えば『自分の考えを出さずに、こちらは透明で

いること。そのために大切なことは「はい」という

言葉ではないかと思います。

「はい」と相手を受け入れることが自分をも

受け入れることになるのです。

わたしが今日、何回「はい」と言ったか数えて

みてください。』とか…

読んでいるだけで、自分が清められていく気が

しました。

また一冊、新たなるバイブルが与えられた気が

しました。

初女先生、有難うございます!

 

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佐藤初女先生の新刊と講演会

2015-03-14 21:59:17 | 日記

ニュースを観ていたら、国の震災慰霊祭が映し出され

その時聞いた、19歳の女性の言葉が忘れられません。

津波にのまれ、もう駄目だと思い学校に向かって

泳ぎ出した時、お母さんの「行かないで」という声が

聞こえたと…

15才の私には受けとめられない悲しみや苦しみ

だったと…

でも、前を向いて進んで行こう、あの悲しみや

苦しみを超えるものを見つけたい…

正確には覚えてませんが、こういう言葉だったと

思います。

初女先生のよく言われますが、過去は

変えられないし、未来はわからない

確かなのは、今なんです。

初女先生は、今を生きて下さい。と言われます。

その今をどう生きるか

そのことを明確に記した初女先生の新刊がでます。

初女先生と長いお付き合いをされているⅠさんが

先生の集大成にしたいと、心を込めて作られた本です

出版記念会も行われます。

心静かに、初女先生のお言葉に耳を傾けたいと

思います。

初女先生新刊

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3・11 東京慰霊祭

2015-03-12 20:01:55 | 日記

昨日、初めて田口ランディさんたちが行っている

東日本大震災で亡くなられた方たちを悼む集い

アノニマス・エイド「東京慰霊祭」に行って来ました。

今年で5回目だそうです。

ランディさんたちは、2011年4月にこの慰霊祭を

行っているのです。

震災からひと月で、慰霊祭をやろうと決断し

実際にやられたランディさんは、すごい!

やはり行動の人だと思いました。

昨日は、ランディさんが「この映画いいんだよ

観てよ!」と言われていた『んで、全部、海さ流した』の

上映がありました。

今までの被災地をテーマにした映画とは、ひと味違う

もので、身近なこととして感じられたのは私達の

中にある不確かな感情が、不確かなまま素直に

描かれているからでしょうか…

監督が石巻の方でした。

監督のお父さんが「絆は強まり、そして弱まる」と

言ったそうです。

絆の中に格差が生まれ、本音は語れないと…

震災から4年が経ち、「頑張ろう日本!」では

どうにもならない、複雑な問題が深刻化しています。

この映画は、頑張ろうに乗り切れなかった人が

主人公となっています。

結論も何もないけれど、希望がもてるのは

最後に流れる、中川五郎さんの歌が、歌詞は

すごいのに、なぜか希望を感じさせてくれからです。

映画上映の後には、ウォン・ウィンツァンさんと

上畑正和さんとランディさんの追悼音楽会

亡くなった人も生きてる人も、元気になるような

慰霊祭でした。

アノニマス・エイドのチラシに「希望はどこか外にはない

それぞれの心のなかにしかありません」と書いて

ありました。

そして、読経や音楽を通して、死者を追悼・鎮魂し

死者と私たちの明日への希望につなげたいと思いますと…

 

 

 

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今日と言う日

2015-03-11 12:50:16 | 日記

3月11日が巡ってきました。

朝、息子の「あの日お母さん何してた」という質問に

4年前の3月11日がくっきりと甦ってきました。

関東に住む私達でさえ、記憶が細胞に刻まれて

いるのですから、被災地の人達はどれほどでしょう

苦しみも置き場所を変えると、土台になるという事

このことをこれからも信じていきたいと思います。

4年前のあの日も、今日のように青空がひろがって

いました。

夕方、ランディさんたちの行っている追悼の集いに

初めて参加してみようと思います。

この4年間の自分自身を見つめながら…

 

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松谷みよ子さんを想うとき

2015-03-09 23:05:05 | 日記

暖かかったり寒かったり、春になるのは大変なんだと

そんなことを思わせる、冷たい雨が降っています。

家に帰り、冷えた体を温めながら夕刊に目をやると

「松谷みよ子さん死去」の文字が、いきなり目に

飛び込んで来ました。

あ~、松谷みよ子さんも亡くなってしまったか…

何だか、力が抜けてしまうほどがっくりしました。

そういえば、父のお通夜も、雨でした。

5月にもかかわらず、冷たい雨が容赦なく

降っていました。

その雨の中を、松谷みよ子さんが駆けつけて

くれたのです。

悲しみの中で、有難くて嬉しくて、松谷先生に

有難うございます!しか言えなかった私です。

それから、しばらくして「お父様と創さん

きっとあの世でごいっしょですよ」というお手紙を

添えて『異界からのサイン』というご著書が

送られてきました。

それは、魂の存在を伝えるお話で埋め尽くされて

いました。

いつか松谷先生とお会いして、お話したいと

思っていましたが…

冷たい雨の夜に松谷みよ子さんの訃報を知り

父のことが思い出されました。

今頃、天国で「松谷さん、来るのが遅いよ」と言って

嬉しそうに出迎えている父がいるかもしれません。

「松谷みよ子さーん

創にも会ってやってくださいね~」

頂いた「異界からのサイン」を、今再び

読み返してみようと思いました。

 

 

 

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重荷から土台に

2015-03-07 21:54:46 | 日記

100分de読む名著という番組の「アンネの日記」の

テキストを読み、そうか!という気づきがありました。

テキストの著者小川洋子さんが、河合隼雄先生と

対談したときに『押し潰されそうに耐え難い、大きな

岩石のような苦しみが、言葉というかたちをとることで

頭の上から足元へ移動し、重荷から、その人自身の

土台へと変わる。

悲しみや苦しみはけっして消えないけれども

置き場所を変えるこはできる』と言う河合先生の

発言にもっとも深く共感しましたと、書いてありました。

これを読んで、私もあの深い悲しみと苦しみが

今の自分の土台になっていると感じました。

悲しみ、苦しみを取り除こうと必死になりますが

置き場所を変えれば、土台になるのだということ、

これは、すごいことです!

あれこれ考えると、脳はあまり賢くないので

どんどん、底なし沼にはまっていきますが

「この悲しみや苦しみを、自分の土台にするの」

と、脳に切り替えを言えばいいんだ!

初女先生は、自由な心でいなくちゃねと

言われていたけれど、不自由な心でいたら

こういう切り替えも出来ないっていうこと

ですね。

いや~人間ってすごいな~

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息子の手のひら~ランディさんの短編を読んで

2015-03-06 19:34:56 | 日記

春秋社で出している、冊子「春秋」が届きました。

この冊子に毎月、田口ランディさんが短編を書いて

いるのです。

佐藤初女さんのことを書いた文章に、私が衝撃を受け

そのことが、初女さんとランディさんの対談へと

繋がったのですが、今月は「不器用な手」という

短編でした。

お年玉で手相の本を買った主人公の「私」が友達の

手相をみるということから始まる短編小説です。

読んでいて、突然記憶のかなたに消えていたことが

鮮やかに立ち上がってきたのです。

子供が2~3歳の時だったでしょうか、私は何気なく

子供の手相をみたのです。

自分が手相が分かるわけでもないのに…

唯一知っていた生命線があまりに短く、びっくり

したのです。

そして、その後にきた不安な気持ちを、

小さいからまだ生命線が出ていないんだという事で

自分に言い聞かせていましたが、私は

息子の小さな手に爪で線を書くようにして

「この線が長くないといけないの」と言いました。

それから息子は度々「つっ君の短いの」と言って

自分の爪で手のひらに線を書いていました。

手相がどんなものかわかりませんが、

13歳で亡くなった息子を想うと、手相が

当たったのか、私があんなことをしたからかと、

不意に立ち上がった思い出に、悲しみが

押し寄せてきました。

親の愚かさでしょうか…

 

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健康に生きるには

2015-03-05 18:01:44 | 日記

一昨日、昨日と「書」の作品書きに取り組んでいましたが

書けども、書けどもちっとも書けず、落ち込みました。

帰りには悪寒がしてきて、タクシーでやっとのことで

家にたどり着きました。

今日は朝一で、Y先生のところに飛んで行きました。

そしたら、体の軸を整え呼吸を丹田に落とすと

いうのをやったら、昨日は鼻の皮が擦り剝けるほど

鼻をかんでいたのが止まり、喉の痛みも完璧

取れたのです。

人間の体って凄いです!もうびっくり!

先生に「これだけ軸がずれていて、いい字が書ける

訳なない!」と言われ納得しました。

そして、不安が一番体に悪いのよと…

「人間、確実にどんな人でも死ぬことは決まって

いるんだから、お任せで生きるのよ、あれこれ

心配しない!」と、けらけら笑っている先生の顔を

見たら、書けないかもしれないという不安を

吹き飛ばして、書きたいという思いで一杯に

しようと思いました。

いくら体を整えても、不安になるとすべてマイナスの

方向に体はいってしまうのだそうです。

本当に、病気って自分でつくりだしているのかも

しれないと、思いました。

そういえば、初女先生はすべてを神様にゆだねて

いらっしゃるし、ことが上手く運ばなくなったときは

自然に任せましょと、言われます。

これが健康の秘訣であり、未来がひらける

生き方なのかもしれません。

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映画「夜と霧」

2015-03-02 22:08:40 | 日記

あっという間に3月になってしまいました。

昨日は、おばちゃんひな祭りで手作りの美味しい

お食事と楽しい語らいの時間を過ごしました。

5時過ぎに横浜に着いたのですが、家には帰らず

神保町の岩波ホールに行きました。

実は、昨日はアラン・レネ監督の命日で1回のみの

「夜と霧」の上映があったのです。

19時からなので、この雨だし1時間前に行けば

大丈夫と思っていたのが甘かったのです。

朝からチケットを求め行列が出来、2時には完売に

なったとか。

そのため、特別に20時15分の追加上映となり

私も、何とか観られることになったのです。

なぜ、この映画を観たいと思ったかというと

フランクルの「夜と霧」があったからです。

ナチスの強制収容所を描いたこの映画を観ることは

フランクルを知ることに繋がる気がしたからです。

映画が始まるとき、実に緊張しいている自分が

いました。

強制収容所の映像や写真は今まで、観てきては

いるのですが、この映画で私は言葉を失いました。

1955年に作られた、たった32分の映画に

人間とは何かを問われた気がしました。

そして、これほど過酷な状況を生き抜いた

フランクルの言葉を

自分は、なんと軽く受け止めていたのかということに

愕然ときました。

フランクルの「夜と霧」に、今までの人生を逆転

させられるくらいのショックをうけたのですが、

それでも、それはまだまだ表面のところでの

理解だったと知らされました。

映画を観た後、受けたショックに体がついていけず

具合が悪くなり、やっとの思いで家にたどり着きました

でも、この映画を観て本当によかったと思いました。

フランクルの言葉を自分の体に落として行く為には

この映画を観なければ、気づけなかったことです。

春の嵐のような雨に叩きつけられながら

たった1日、2回だけのこの映画に出会えたことに

感謝しないではいられませんでした。

再び、フランクルの「夜と霧」を読もうと思いました。

    人間は、人生から問われている存在である。

  人間は、生きる意味を求めて人生に問いを

  発するのでなく、人生からの問いに答えなくては

  ならない。

  そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに

  対する具体的な答えでなくてはならない。

           ビクトール・フランクル

あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうが

あなたに絶望することはないと、フランクルは言って

いるということ…

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