昨日、敬愛するkさんと話していて
「終わりは始まりなのよ」と、言われました。
終わりは始まり…
そうか、終わりは新たなる始まりに繋がっていくと
いうことだろうか…
終わりは、無くなることではない
終わりは絶望ではない
それは又、いのちに対しても同じこと
死が終わりではなく、始まりだということ
息子の死は、新たなるいのちの始まりだった…
終りが始まり
深い言葉だな~
昨日、敬愛するkさんと話していて
「終わりは始まりなのよ」と、言われました。
終わりは始まり…
そうか、終わりは新たなる始まりに繋がっていくと
いうことだろうか…
終わりは、無くなることではない
終わりは絶望ではない
それは又、いのちに対しても同じこと
死が終わりではなく、始まりだということ
息子の死は、新たなるいのちの始まりだった…
終りが始まり
深い言葉だな~
北海道で秋を満喫して来ました。
紅葉真っ盛り、四季のある国に生まれた幸せを
感じました。
白樺の紅葉は初めてで、葉を落とした白樺しか
知りませんでしたが、黄色い葉がとても可愛く
雪の中に静かに佇む白樺になる前に、こんな
チャーミングな姿をしてい
るのかと、嬉しくなりました。
紅葉だけではなく、北海道にいる間に3回も大きな虹が
出たのです。
虹を見ると、生きていることを祝福されている気持ちに
なるのはなぜでしょう…
天と繋がっていることが、じかに感じられるような…
初めてイスキアに行ったとき、帰りの列車の中から
観た虹が忘れられません。
あの時、虹を見ながら「私は子供の死を、いつの日か
感謝と喜びを持って受け入れられる日が来る」と
何の根拠もないのに、確信を持って思えたのです。
虹の持っているパワーでしょうか…
そして、夜には雪を見たのです。
初雪は、新たなるスタートと聞きました。
紅葉と虹と雪
この自然からのメッセージだけでも充分に力を
頂いたのに、空港では初女先生から「直さん、
落ち着いていなさい」と、何もお話していないのに、
私の心のうちがみんな解っていて下さる様な
お言葉を頂きました。
私、頑張りま~す!
昨日、『「いのちのエール」を少し読んだら胸が
一杯になって、涙が溢れてきました。』というメールが
届きました。
編集者のYさんが、思い出しただけで涙がでるんですと
涙を拭っていたのが、思い出されます。
初女先生の深さが、静かに伝わってくるのです。
静けさをたたえた人が、本当に少なくなって
私たちは、その静けさに包まれたいと心のどこかで
思っているのです。
初女先生の静けさが、魂が求めている静けさかも
しれません。
明日、この波立った私の魂を静めるために
初女先生に会いに行ってきます。
息子の机の上に、フランクルの「夜と霧」のテキストが
置いてありました。
何だか、私に読みなさいと言っている気がしました。
表紙には「絶望の果てに光がある」と書いてあり
次のページには、「どんな時にも人生には意味がある」
と、記してあります。
ランディさんは、悩みがあるとき、あ~というものが
出てきて、初めて掴む藁が仏教と、言ってました。
悩みがないときは、ただの学問になってしまうと
フランクルもそうかもしれません。
悩み苦しんでいるからこそ、求めている光に
フランクル言葉の深さ、そしてそのことが真実で
あると、感じることが出来るのだと思います。
『人間が人生の意味は何かと問うに先立って
人生のほうが人間に問いを発してきている。
だから人間は、ほんとうは生きる意味を
問い求める必要なんかないのだ。
人間は、人生から問われている存在である。
人間は、生きる意味を求めて人生に問いを
発するのでなく、人生からの問いに答えなくては
ならない。
そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに
対する具体的な答えでなくてはならない
ビクトール・フランクル』
フランクルは深いな~
今、再びフランクル…です。
初女先生が、分かち合いの時に「先を考えるから
不安になるの、今ここを生きて下さい。」と
言われているのを何度聞いたことでしょう。
私は、その度に「そうなんだよ、今を生きるなんだよ」と
思っていたのに…
自分のことになったら、先生のお言葉は
すっかり忘れて、先のことばかり考えて不安に
なっているのです。
初女先生のお言葉は、素朴だから何だか
分かった気になってしまうのですが、
「先を考えるから不安になる、今を生きる」
この言葉は、腹をくくってないと出来ないことです。
人間はああでもない、こうでもないとつい先の
ことを考えてしまうのもです。
今を生きる
当たり前のようですが、なかなか今を生き切れて
いません。
だから、先を考えてしまうのです。
あんなに聴いていた先生のお言葉が、私の
体の中心を貫いてなかったことに、今頃
気がつきました。
先生のお言葉は全て体験から出てきているので
初女先生の歩いてこられた道は、どれほど
深く険しいものだったか…
今私は、この言葉としっかり向き合わなくては!
昨日は、御茶ノ水で行われたランディさんのイベントに
行ってきました。
そこで、先行販売となった
「いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ」を
http://www.chuko.co.jp/tanko/2015/10/004773.html
手にしました。
私の好きな緑色が目に鮮やかに飛び込んできます。
表紙の写真を見ていると、8月にランディさんと
イスキアを訪れた時の、あの日あの時が立ち上がって
来るようです。
初女先生が、ランディさんに書いてほしいと言われ
ランディさんが、長い間温めて来た思いが、この本に
溢れています。
そして、二部には去年の逗子の対談と分かち合い
『深き森の語らい』が収められているのです。
感謝と感動で胸が一杯になりました。
本の奥付の初版発行がお二人のお誕生日
10月3日になっています。
94歳になられた初女先生に、ランディさんからの
お誕生プレゼントです。
そして、それはランディさんと初女先生からの
今を生きる私達へのプレゼントであり
本当に「いのち」へのエールです。
生きていることを、こんなにも深く温かく
「それでいいんだよ」と言ってくれる本…
読み終わった後の溢れる涙は、母の心に
包まれたからでしょうか
一人でも多くの人に手渡して行きたいと
思いました。
ランディさん、感謝で一杯です。
私のいのちが嬉しくて震えています。
生きていると、私の人生に何でこんなことが…という
ことが、何度かあります。
その最大級は、息子の死でしたが
今日は、その次ぐらいの「何で」がありました。
でも、大きな「何で」は、すぐに答えがやってこないの
です。
その「何で」に押しつぶされそうになりながら
ふらふらと鎌倉へ行き、気がついたら八幡宮に
いました。
やっぱり日本人のDNAでしょうか…
帰りに、鎌倉の江ノ電側の小さな本屋さんに
行ってみました。
一日1軒町の本屋がつぶれるという時代が来た
と、聞いているので気になって見に行くと
平日なのに、お客さんが結構いて、みんな熱心に
本をみてました。
本のセレクトに本屋のポリシーが感じられる
最近では珍しい本屋さんなので…
町の本屋さんは、土地の人に愛されているようです。
ほっとする風景がそこにあり、私の「何で」は
一瞬小さくなりました。
今日も又「祈」を書いていました。
書いても書いても、書けません。
もう、かれこれ100枚以上は書いてますが…
「祈」とは、そんなに簡単には書けない字なんですね。
筆を持って必死に「祈」を書いていたら、ふと亡くなった
息子が一緒にいるような気がしたのです。
そうか、私はあの子に祈られているんだ
息子の祈りに包まれている…
そんな気がしたのです。
「祈」を書いていたからかな~
亡くなった人は、生きている人のことを
いつも祈っているんですね
祈り、祈られ そして繋がっている
消えて無くなったわけでもないし、遠くへ行って
しまったわけでもない
すごく近くにいて、祈りながらエールを送って
くれているんですね。
初女先生の「祈りのうちに今を生きる」という
お言葉は、自分ひとりの祈りではないのかも
しれません…
あ~「祈」は深いな~
いつになったら書けるかな
私と息子の「祈」
10月3日、今日は佐藤初女さんと田口ランディさんの
お誕生日です。
お誕生日おめでとうございます。
初女先生は94歳になられました。
ランディさんと初女先生は、お誕生日が同じなんて
ご縁が深いんですね。
そうか、ランディさんは初女先生に「娘になりなさい」
って言われたんですものね。
先生の94歳のお誕生日に、ランディさんが
書き下ろした、「いのちのエール 初女おかあさんから
娘たちへ」が出ます。
心の深くに下りて来て「大丈夫だよ」と言ってくれる
本です。。http://www.chuko.co.jp/tanko/2015/10
是非、手にとって見て下さい。
『魂は細部に宿る』
昨日、出会った言葉です。
初女先生のお姿が、この言葉に重なり心に
響いてきます。
初女先生、ランディさん
この広い世界で、お二人に巡り合えたことに
言葉に出来ない幸せを感じています。
有難うございます!
感謝一杯です。
初女先生がいてくださるだけで、私たちは
励まされます。
どうぞ元気でいて下さいね。
ランディさんの魂の言葉に、生きてるっていいな~
って実感できます。
これからも、ランディさんの送り出す本を待って
います。
お二人のお誕生日に乾杯!
シールズの中心メンバーの奥田さんとその家族に
「殺害予告」の脅迫状が届いたことを知り、胸が痛んで
仕方ありません。
脅迫状は、どこの誰が出したかわかりません。
こういう一歩的な暴力に、何ができるでしょう…
安保法案が通ってからの憂鬱が、一層深くなって
いましたが、新聞に載っていたの奥田さんの
お父さんの言葉が、私の憂鬱を晴らしてくれました。
お父さんは脅迫状の送り主に対して、「言葉、対話が
ないことが怖い。しかし黙るわけにはいかない。
会って話がしたい」と呼びかけ
「意見は違っても、対話は出来ると信じている。
言葉は人を動かす。議論は必要だ」と語りかけて
いました。
私は、これが民主主義なんだよ、数の力で強引に
押し通すのは民主主義じゃないよ。
シールズの奥田さんの言葉が心響くのは
こういうお父さんのもとで育てられ、民主主義とは
何かが、本当に分かっている人だからだと
思いました。
民主主義って家庭の中から育てていくものなの
ですね。
戦争を体験した私の父も、夕ご飯の時に
小学生の私に、民主主義を語っていたな~
奥田さんのお父さんは北九州の牧師だそうです