日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

黒澤明監督作品「7人の侍」弱者同士の戦い

2007年09月04日 | Weblog
 日本映画専門チャンネルで、黒澤明監督の「7人の侍」を見た。素晴らしい娯楽作品である。3時間半とちょっと長かったが、それを感じることは無かった。
 時は戦国時代、野盗化した野武士の略奪に苦しむ百姓たちは侍を雇って村を守ろうとする。かくして集められた7人の男たち(志村喬、加藤大介、宮口精二、千秋実、三船敏郎、木村功、稲葉義男)の活躍をダイナミックに描く。しかし襲いかかった野武士達を皆殺しにしたものの、7人のうち4人(三船敏郎、千秋実、稲葉義男、宮口精二)は死んでいく。戦いとはこう言うものである。一人のスーパースターが何十人もの人間をバッタ、バッタと切り捨ててしまう時代劇とは一味違う。添え物ではあるが、津島恵子と木村功との恋、妻(島崎雪子)を野盗に拉致され慰めもにされた男の悲しさ、淋しさも描かれる。女の描き方は下手だと言われている黒澤明だがそれなりには納得できる。
 この映画は、勧善懲悪の作品であるが、7人の侍も、百姓も、野盗達もみんな弱者である。野盗と言っても食い詰め浪人の集まりであろう。7人の侍も浪人であり、報酬と言っても住まいと食事が提供されるだけである。百姓たちはもちろん水飲み百姓であり、侍たちには白い米の飯を与えながらも、自分たちは粟とひえで生活している。今NHKで「風林火山」が放映されているが、強者の裏には戦いに敗れ領地を失い、浪人になり、用心棒にならざるを得なかった武士や、野盗にまで成り下がった野武士や、そんな武士たちに、常にビクビクしながら食を提供する貧しい百姓=弱者がいることを忘れてはなるまい(戦国時代の百姓は基本的には武装集団であり、状況に応じて領主の命により兵士に早代わりした半武士であったとする説=藤木久志もある)。
 黒澤は7人の侍、百姓たちの貧しさを描きながらも、野盗の生活までは言及していない。野盗にまで成り下がらなければならなかった野武士の悲しさ、淋しさも書いて欲しかった。それがあれば、作品により一層の深みを増したであろう。野盗と言えども人間である。完全な悪党などいない。彼らだって時代の犠牲者である。
 野盗との戦いに勝ったあと、志村喬が加藤大介に言った言葉は印象的である。「私たちはまた負けた、勝ったのはあの百姓たちだ」と。
 どんなに厳しく、苦しい状況の中でも、生活の知恵を働かして必死に生きる、地にはいつくばり、そこに根を生やして穀物や野菜を作り、たくましく生きる百姓たち(生産者)。彼らこそ最後の勝利者である。