エズラ記(第2神殿の再建とエズラの改革)
はじめに
エズラ記に入る前に、これまでのイスラエルの歴史を振り返ってみよう。モーセによる出エジプト、放浪、律法の授与、約束の地カナンの征服とイスラエルの民は幾多の試練を乗り越え神との契約を果たしていく。しかし、カナンの征服は未完成な征服であって、周辺地域には多くの敵国が残存していたし、征服地には多くの異邦人、異教徒が先住民として残存していた。しかし、イスラエルの民はこの内外の敵とある時は戦い、ある時は共生し、士師の時代を経て、王国を造り上げて行く。この王国は、サウル、ダビデ、ソロモンと続く。ダビデ、ソロモンの時代はイスラエル王国の最盛期であった。ダビデは、国の基礎固めをし、ソロモンはそれを更に発展させた。ソロモンはダビデの命を受けて神殿(第Ⅰ神殿)を建設する。しかし、この繁栄の陰には財政の危機があり、過酷な労働と、重税があった。ソロモンの時代の末期には政治的にも経済的にも、さらに宗教的にも、綻びが生じていた。ソロモンの死後イスラエルは南(ユダ族、ベニヤミン族)と北(残りの十部族)に分裂する。その後両者ともしばらく続くが、先に北イスラエルが、アッシリアに滅ぼされ、そのアイデンティティ―を失い(雑婚、異教信仰)、失われた10部族として歴史の彼方に消えて行く。この時残った、ユダ王国が実質的にはイスラエル王国となり、ここからユダヤ教が生まれる。しかし、このユダ王国も、バビロニアによって滅ぼされ、民はバビロニアにつれて行かれる(バビロンの捕囚)。彼らはバビロニアの人口減少を補い、更に、建設工事に必要な技術者、労働者としてバビロニアの発展に貢献した。必ずしも奴隷状態にあったわけではない。
神によって選ばれた民、イスラエル。
エズラ記、ネヘミヤ記、はこれより始まる。
ここで問題になるのは、何故、南のユダ王国が北と異なって失われた民として歴史のかなたに消えていかなかったのか、と云う事である。神は、北の滅亡に対しては目をつぶったが、ユダ王国に対しては、自らの正義を実現させ、広めていくためには必要不可欠な民として聖別したのである。彼らも北と同じく、神の前で悪を行ったが、罪、あるがままになお許されてしかるべき民、あくまでも相対的であるが肯定されてしかるべき民、と神は認めた。それが南ユダの民であった。彼らはあくまでも選ばれた民であり、神との契約の民であった。滅亡しては神にとっても困るのである。
神は、この為に、バビロニアを滅ぼしたペルシャの王クロスを僕(しもべ)として用いて「捕囚の民を開放して、故国エルサレムに帰国させること」「彼らに神殿を再建させること」を命じたのである。
ここからエズラ記は始まる。エズラ記は前半と後半に分かれる。前半は神殿建設について描かれる。ここには、エズラは登場しない。彼は、神殿建設には関与していない。彼は、神殿建設完了から60年目に第2次帰還を果たしている。第一次帰還はヨシュヤとゼルバベルを中心に行われ、神殿の建設も彼らによって行われた。後半はエズラを中心に話は進められる。ついで、ほぼ同時期にネヘミヤも祖国エルサレムの惨状を聞き、クロス王に願い、ペルシャよりユダヤ属州の総督としてエルサレムに派遣された。
エズラ記においては、神殿建設が、ネヘミヤ記においては、城壁の建設が行われている。神殿は主なる神によって、民心を統一して、異教から民を守るため、城壁建設は、民を外敵から守るために必要不可欠な事であった。
第一次帰還と神殿建設
ペルシャの王クロスの命に拠ってイスラエルの民の第一次帰還が為された。それを指導したのが、大祭司のヨシヤとダビデの子孫ゼルバベルであった。彼らは帰還し、早速、神殿の建設を始める。しかし、それは、決して順調にはいかなかった。神殿の基礎が固められた時、思わぬ妨害が入り中断を余儀なくされる。ユダとベニヤミンの敵が神殿建設への参加を要求し、イスラエルの民がこれを拒否した時、彼らの妨害工作が始まる。王に対して讒言があったのである。イスラエルの民の過去における悪を告発し、王国に対する危険性をあげつらう。王は調査し、これを認め、武力を持って、建設を中止させる。しかし、預言者ハガイとゼカリヤの働きにより、神殿建設の正当性が認められ(クロス王の神殿建設の命令書の発見)、神殿建設は再開し、無事完成する。イスラエルの民は喜び神を祝福する(エズラ記6章16節)。
ユダとベニヤミンの敵とは誰か
さて、ユダとベニヤミンの敵とは誰を指すのであろうか。神殿を造られて一番困るのは誰であろうか。それは、まず第一に、イスラエルの民が捕囚として連れ去られた後、その空間に移住させられた人々であり、また、捕囚されずに残存した人々である。全てのイスラエル人が捕囚にあったわけではない。彼らは土地の所有者となった。捕囚民の帰還は、捕囚後、半世紀もたっており、彼らにとって捕囚の民の帰還は迷惑な話であった。彼らは既得権を主張したのである。それがトラブルの原因となったのである。更に、移住された民はともかくとして、残存した民もイスラエルの神に対し不信仰であった。彼らは移住してきた異教徒と交わり、異教を信じ、そのアイデンティティーを失おうとしていた。
神が神殿建設を命じた理由
バビロン捕囚という出来事ゆえに神とイスラエルの民との間の契約は、まさに破棄寸前にあった。長期にわたってバビロニアに捕囚となったユダヤ人たちは、当然その地の社会的習慣や宗教に囲まれての生活を余儀なくされた。その影響は大きかった。更に、2代目となると、エルサレムでの生活を知らない者が大半であった。異邦人の中で異邦人と結婚し、異教の神を信じるものが出るのはやむを得ない事であった。エルサレムの民は、神の前で汚れていた。
神はこれを阻止する為にバビロニアを滅ぼしたペルシャ王クロスを使って、捕囚にあったイスラエルの民をエルサレムに帰還させ、神殿建設を命じたのである。神殿建設を命じた真意は、あくまでも「神の民としての信仰姿勢」であり、建物は、その手段に過ぎなかった。エルサレムの民は、神の前で従順であらねばならなかった。
祭司エズラの登場
「エズラ」という名前は「エズラ記」の後半部分第7章に入って初めて出てくる。
エズラが歴史の舞台に登場するのは、神殿建設完了の60年後である。神殿は建設されたものの民の心は堕落の一途を辿っていた。彼らは汚れていた。彼らは異教の神を信じ、異教徒の習慣に従い、偶像を敬い、異教徒との混淆を繰り返していた。当然、子を成したものもいた。これを放置したならば滅亡した北イスラエルと同じ運命をたどったであろう。ユダヤ人は神によって聖別された民である。その純粋性は保たれねばならなかった。この状況を見たアルタシャスタ王はエズラ(大祭司アロンを祖に持つ祭司、ペルシャ王アルタシャスタ王の信頼厚い書記官、律法学者であり、教師)を呼び、第二次エルサレム帰還を命じ、次のように言う「エズラよ、ゆだねられた神の智慧によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方の全ての民、あなたの神の律法を知る全てのものを治めさせ、律法を知らない者にはあなた達は教えを授けよ(エズラ記7章25節)」と。エルサレムに帰還したエズラは各家族の長を選び、調査を開始した。異民族の嫁を迎えた者の数が数えられた。彼らの中には祭司たち指導的立場にあるものも含まれていた。異教の嫁を迎えた者は、離縁を誓わされた。その数は膨大であった(エズラ記(10章18~37節)勿論これに抵抗するものもいた。しかし、これは滞りなく行われた。このようにして、エズラは律法を中心にして民の意識改革を行い、その信仰姿勢をただしたのである。
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