ネヘミヤ記
はじめに
ネヘミヤ記は、キリスト教では『歴史書』として、「エズラ記」の後におかれ、ユダヤ教では『諸書』の一つとして扱われている。
ネヘミヤ記は、連続した一つの書物と見なされている。扱われた時代が連続しており、同一人物エズラ、ネヘミヤ、アルタシャスタ王などが登場するからである。この書の特徴は、第一人称(私=ネヘミヤ)で語られている事である。ネヘミヤの自伝と見なされている。
ネヘミヤは、ユダの部族に属するレビ人であり、捕囚民の一人であった。にも拘らず、アルタシャスタ王の献酌官(給仕役、主な仕事は毒味)という高い地位にあった。この事から判断して捕囚民は、必ずしも奴隷状態にあったわけでは無かったことが分かる。
彼は総督としてエルサレムに派遣され、城壁を再建し、当時、神の前で堕落していた民の信仰の再確立という困難な課題をエズラと共に成し遂げた。
城壁と、神殿の再建は、肉と霊の再建を意味している。人においてはどちらも単独で存在することは出来ない。霊の受け皿としての肉を必要としている。三位一体の神(イエス・キリスト)が、それを表しており、新約聖書へと繋がっていく。
ネヘミヤ記は前半と後半に分けることが出来る。
1.1章~7章4節 ネヘミヤによる城壁の再建
2.7章5節~13章 エズラ、ネヘミヤによる民の再建
城壁の再建
アルタシャスタ王の治世下、彼の献酌官であったネヘミヤは、エルサレムより下って来た親族からエルサレムの惨状を聞く。彼は声をあげて泣いた。神との契約を盾に主に救いを求める。彼は王に願い出て、当時ペルシャの属州であったエルサレムへ総督として、期限付きで、派遣される。エルサレムに上った彼は、早速、城壁の再建に取り掛かる。破壊された城壁と城門の調査が行われ、城壁再建の計画が立てられ、それに基づいて労働力と資材が調達され、各工事現場に配分された。工事は着々と進められた。しかし、ここでも、神殿建設と同様に妨害工作が行われた。イスラエルの内外の敵たちは、共同して謀議を行い、再建中の城壁を破壊しようと試みた。攻撃の準備がなされた。これを知ったイスラエルの民は、身に剣、槍、弓を帯び、工事を行った。氏族ごとに、工事現場に散り、内外の敵に対応した。神の臨在を信じ、士気は上がっていた。敵は怯み、攻撃を止める。しかし、イスラエルの民は油断することなく、昼夜を分かつこと無く警備に当たり、敵の攻撃に備えた。このような万全の備えの中、城壁の再建は52日間という驚異的な速さで完成したのである。ここに神の恵みがあったことを忘れてはなるまい。
城壁の再建はあくまでも自衛のためであり、決して一部の敵が云うように反乱のためでは無かった。完成された城壁は、門衛、歌手、レビ人によって厳重に警護された。
城壁の落成式は、華々しく行われた。祭司とレビ人たちは自らの身を清め、民と城門と城壁を清め、更に、レビ人たちは、シンバル、琴、立て琴による音楽をもって喜びを現した。二組の賛美隊が組織され町中を練り歩いた。楽隊は賛美と感謝の合唱を聴かせた。多くの生贄が捧げられた。エルサレムの喜びは、はるか彼方まで聞こえた。
家計調査
次に必要な事は社会システムを整備することであり、その為には、家系調査をする必要があった。その準備中に、第一次帰還者の家系調査書が発見された。そこには、イスラエルの民の男子の数が各氏族ごとに集計されており、更に歌手、門衛、神殿職員、ソロモンの使用人の一族、祭司、等々が名を連ねていた(ネヘミヤ記7章6~72節、さらにエズラ記2章も参照のこと。人名、数字などに食い違いがある)。興味のある方は、ネヘミヤ記、エズラ記の当該個所を読んでください。
民の貧困(社会問題)
イスラエルの民の、第一次の帰還によって、破壊された神殿は再建された。エズラの第二次帰還によって、神の前でのイスラエルの民の信仰姿勢は正された。更に、ネヘミヤによる第三次帰還によって、破壊された城壁と城門は再建された。霊と肉の再建がなったのである。しかし、帰還は許され、神殿、城壁は再建されたものの、エルサレムはあくまでもペルシャ王国の属州の一つであり、王国の再建が許されたわけでは無かった。エルサレムはペルシャから派遣された総督によって支配されていた。この時イスラエルの民は貧しかった。貧富の差は拡大していた。異国民の支配の中、レビ人を中心とする祭司階級、官吏、事業者などの支配階級は富んでいた。しかし、下層の民は、貧しさにあえいでいた(哀歌5章)。借金に苦しみ、利子は払えず、土地は担保に取られ、子を奴隷として売る始末であった。飢饉に襲われた時、飢えに苦しむ民は、死肉を喰らい、赤子を煮て食うという悲惨さであった(カニバリズム)。更に、王と、総督への二重の貢納はこれに拍車をかけていた。この状況は「哀歌」の中に克明に描かれている(哀歌4章10節)。
ネヘミヤはこんな状況の中、エルサレムに上ったのである。城壁を再建し、行政官として民の悲惨な状況に対処した。
徳政令を発して、取り上げられた土地を、元の持ち主に無償で返還させ、抵当に取ったものの返還を命じ、奴隷の解放も行った。そしてこれに違反するものを、神の名において厳しく罰した。更に、総督としては、前任者のような過酷な徴税を慎み、自らも厳しく処した。このようにして、ネヘミヤは城壁の再建だけでなく、民の福利厚生の為にも力を注ぎ、民の正しい信仰姿勢を作るための条件を整えた。衣食足って礼節を知る。この為、ネヘミヤは、名君として称賛されたのである。
契約の再確認
かくして、神殿と城壁の再建は成り、ネヘミヤの善政により民の生活は安定し、平穏な生活が、保障された。しかし、これはあくまでも外枠の再建であった。主が真に望んだものはイスラエルの民の内側の霊的再建であった。この時イスラエルの民の主にたいする信仰は決して完全では無かった。いな、真の信仰とは何かすら知らなかった。異教徒と交わり異教の神を信じていた。ネヘミヤとエズラが最初に行った事は、神とイスラエルの民との間の契約の再確認であった。
エズラは、城門の一つ「水の門」の前の広場に、彼の言葉を理解出来るものを集めて、モーセの律法を読み聞かせた。祭司及びレビ人はこれを判り易く解説し、民はこれを理解した。理解するという事は、神の真意を知り、悟るという事である。悟るとは、本質を理解するという事である。エズラは、毎日のようにモーセの律法を読み聞かせ、民を教育した。民は恵みの契約を思い起こす。主の前で完全でありたいと思う。仮庵の祭りを思い出し、祭りを行い、その期間中ここに住んだ。神と民との良好な関係が築かれ、神は喜ぶ。律法が朗読されることにより、信仰の復興が起きたのである。
罪の告白
イスラエルの民は神との契約を思い起こし、再確認した。しかし神の下に立ち帰るには、過去の罪を懺悔し、悔い改め、霊的生活に戻らねばならなかった。ネヘミヤ記の9章では創世記から始まって族長時代、士師記、王国時代、分裂国家を経て、滅亡にいたるまでのイスラエルの罪の歴史が回顧されている。罪と罰、神の憐れみによる救い。この繰り返しがイスラエルの歴史であった。神は、罰は与えても契約の民を滅ぼしはしなかった。そして今、天地を創造した唯一神=主に選ばれたイスラエルは、ペルシャの属領となり、その支配下にある。当然、行政権は持たなかった。大部分の民は奴隷状態にあり蔑まれていた。これが9章の内容である。こんな時ネヘミヤはエルサレムの総督として帰還したのである。城壁を再建し、エルサレムの守りを固め、その上でエズラと共に民の教育に乗り出したのである。当然その目的は、イスラエルの民の救いにあった。その為には過去の罪を贖い、悔い改めを必要としていた。ネヘミヤとエズラは、イスラエルの民を、神自身が望む信仰と従順に導いたのである。文書を作成し、記録し、イスラエルの司(族長、家長)、レビ人、祭司たちはこれに署名した。
ネヘミヤの改革
安息日の厳守、異教の民との婚姻の禁止、異教信仰の禁止、全ての初物の神への献進、生産物の十分の一をレビ人へ献進(レビ人は嗣業の地を持たなかったため)。等。
この時、安息日は守られていなかった。生産者は、生産し、商売人は、商売をし、運送業者は商売人の商品を市場に運んでいた。そこでネヘミヤはこれを禁じ、安息日には城門を閉じ、安息日が終わるまでこれを開かなかった。商人、運送業の城門への入場を阻止したのである。更に城門には警護の兵士を立て、見張りに着かせた。
このようにして、エズラ、ネヘミヤ、祭司、レビ人たちによって律法に回帰する改革が行われたのである。それは一言で言うと聖書(律法)を民のものにしたという事である。
平成27年9月8日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会
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