これから紹介するヘミングウエイ短編集2はヘミングウエイが最初の妻ハドリーと分かれて、第二の妻ポーリーンと共にパリを去り、『海流の中の島々』『老人と海』の中で紹介した、フロリダ半島の先端から細い弧を描いて延びている一連のサンゴ礁の島(キー):キー・ウェストに居を移し、ポーリーンと分かれて、第三の妻マーサー・ゲルホーンと結婚するまでの12年間(1928年~1940年)にヘミングウエイによって書かれた短編の数々(17編)が掲載されている。
この間、ポーリーンの叔父で、富豪のガスファファーの資金援助を受け1933年にアフリカのナイロビに出かけサファリ(狩猟のための冒険旅行)を楽しんでいる。この経験がもとになってこれから紹介する中編小説『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」、『キリマンジャロの雪』が生まれている。さらに1934年には海釣り用の大型クルーザー『ピラール号』を建造、その生活の幅を広げている。先に紹介した『海流の中の島々』『老人と海』は、この経験がもとになって描かれている。
ヘミングウエイは若いころからボクシングに闘牛、スキーに興じ、キー・ウェストに移ってからはアフリカの大草原にライオンやサイを追い、パリ時代の渓流釣りから大海原での大魚釣りへと行動の範囲を広げている。第一次世界大戦には自ら志願し、衛生兵としてイタリア戦線に参加している。その体験が長編小説『武器よさらば』の中に反映している。このようにヘミングウエイは行動派の作家と看做されているが、行動的なヘミングウエイの人柄はあくまでも人間ヘミングウエイの一面であって、その反面には繊細で、感じやすい、心優しい一面を見ることが出来る。彼の作品の多くを読んで感じることは、この面こそ彼の本質ではなかったかと思うのである。
潜在的な愛
それは愛の表現においても見ることが出来る。そこには好いた惚れたという一般的な愛はない。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』『海の変化』に出て来る愛は、時間が関係している。。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』においては、憎み、さげすみ、離婚すら考えていたマカンバー夫人=マーゴットは、バッハローの角で突き殺されそうになった夫を助けるために銃を発射している。不幸にしてその銃弾は夫にあたり、彼は死ぬ。夫人の行為を夫殺しとみる見方が通説だが、果してそうであろうか?訳者高見浩も云っているが放っておけば、彼はバッハローの角に突かれて死んでいたのである。わざわざ殺人の罪を犯す必要はない。『海の変化』では倒錯の愛に一時的に溺れた妻を憎み『せめて相手が男なら』とと許せないと思いながらも、その夫は最終的には『その倒錯した愛(レスビアン)』を許している。そこには倒錯した愛に対する偏見と、それからの解放がある。そこには一般的な愛とは異なる、それを超えた愛がある。そこには二人が過ごした時間の重みがある。そこには現実の憎しみ、さげすみ、軽蔑、偏見を超えた愛がある。長い時間の経過中に培われた潜在的な愛。最終的にはそれが決定する。そこには恋多きヘミングウエイの人生経験から得た鋭くかつ繊細な観察眼がある。
オカマ
ヘミングウエイには倒錯した愛(レスビアン、オカマ)に対する関心が終生あったようである。この短編集には倒錯を扱った作品にはほかに『オカマ野郎の母親』がある。ここには不誠実で、借金は返さず、充分に金がありながら、母親の墓すら管理せず、無縁仏にしてしまう、見栄っ張りで、自分を飾ることしか考えない。「オカマ野郎」が登場する。この場合、この人物をオカマ野郎にする必然性はない。一般人にもこの種の人間は多く存在するからである。わざわざオカマ野郎にした所にヘミングウエイのオカマに対する偏見がある。おそらくヘミングウエイの近辺に同じようなオカマがいたのであろう。女性の倒錯は許せても、男性の倒錯は許せなかったのであろう。このような倒錯を神と救い主に対する罪と看做す考えがその基本にあり、それが偏見を生む。さらに、激しい肉欲を純血に対する罪と考え、去勢を願う青年がいた。医者はその肉欲は、若い男が持つ、当然の現象であり、それを罪と考える必要はないと説き、去勢手術を拒否する。その青年は自ら局部を切断し、病院に運び込まれる。この話は「神よ男たちを楽しく憩わしたまえ」の中で語られている。人間には『あらゆる願望が備わっている』のである。
人生に対する虚無感 絶望感
さらにヘミングウエイの短編集を特徴づけるものに人生に対する虚無感、絶望感がある。それは彼の戦争体験から描かれた作品の中に見ることが出来る。「最前線」、「死者の博物誌」、「ある新聞記者の手紙」には戦争の持つ悲惨さ、恐ろしさが、より具体的に描かれている。砲弾の炸裂によって、飛び散り、散乱した肉片、みるみる醜く変色し腐敗して行く屍、その死体にうごめく蛆虫、あらわにされた女の局部、異臭を放ち、顔をそむけざるを得ない死体の数々。そんな死体に見慣れた兵士たちは、洋服のポケットから貴重品を奪い取る。それはまさに地獄絵図といってよい。脳が潰され、それでも生きている文字通りの生きた屍。そんな肉体を楽にしてやるために射殺することを拒否する軍医「わたしは殺すためにいるのではない」。生きて帰ってきたものの、戦地で梅毒を移され、その夫とセックスができず悩む人妻。これらの体験の中からヘミングウエイは悩む。生とは何か死とは何か、人とは何か?人間の罪=戦争を目の前にして虚無感にさいなまれ、人間に絶望する。 この絶望感、虚無感をさらに推し進めたものが「世界の首都」であり「ギャンブラーと尼僧とラジオ」である「世界の首都」では努力が報われることのない、決して一流になれない二流の闘牛士の生活が描かれている。それでも彼らは幻想の中に生きている。自分は違うのだと思う。一流になれると思う。そんな闘牛士のたまり場である、あるカフェで闘牛士にあこがれ、それになることを夢見るウエイターにパコがいる。彼は闘牛のまねをして、牛の角に見立てた包丁に刺されて死んでいく。しかし世の中は何事もなかったかのように過ぎて行く。幻想に埋もれて死んでいった人間など誰も顧みようともしない。夢や希望は幻想の中に消えて行く。
「ギャンブラーと尼僧とラジオ」はヘミングウエイが自動車事故で負傷し入院した病院での出来事がもとになっている。ここでは「人民の阿片」とは何かが問題となる。時は、1929年から10年にわたって続いた大不況の時代。左翼の台頭を許していた。患者の一人フレイザー氏は言う「パンは人民の阿片だ」と。阿片とは一見人間に快楽をもたらすが継続的に使用されることにより最終的には人を破滅に追い込む麻薬である。しかし使い方によっては良薬にもなる。重症患者の苦痛を軽減する鎮痛剤でもある。しかし医者の処方を必要とする。人はパンを求めて闘う。戦争である。まさに阿片である。しかし人はパンなしには生きられない。麻薬であると同時に良薬でもある。では阿片でないものは何か?いや真の阿片(良薬)とは何か?「革命は阿片ではない」とフレイザー氏は思う「革命とはカタルシス(浄化:抑圧からの解放)だ。暴政によってのみ長引かせることのできるエクスタシー(忘我体験)だ」と。ヘミングウエイは革命に希望を託す。スターリン時代のソ連に希望を見出し、キューバ革命に資金援助で協力する。しかし革命が阿片であったことは後の歴史が証明している。革命は新たな抑圧を生みだした。革命も「人民の阿片」なのだ。夢や希望は幻想の中に消えて行く。残るものは何か、虚無と絶望である。
「清潔で、とても明るいところ」には一人の人生に絶望し、自殺まで図った老人が登場する。彼は清潔でとても明るい一軒のカフェで、たった一人で酒を飲むことを唯一の楽しみにしている。何に絶望したのかそれはわからない。それだけにその絶望の深さが推測される。お金はたんまり持っているらしい。世の享楽も、神も、彼をいやしてくれない。しかし、威厳を保ってカフェを去っていく。その後姿は孤独と虚無感に満ちていた。その姿を見て、ウエイターの一人はつぶやく。「すべては無だ」と。この老人の持つ虚無感、絶望感はそのままヘミングウエイの姿だったのではなかろうか。あらゆるスポーツに興じ、ハードボイルドな作家といわれながらも、悲惨な戦争体験、様々な事故による後遺症に悩むヘミングウエイの実存は虚無感、絶望感に満たされていたのかもしれない。人生の後半、絶望感、虚無感から解放されたかに見えた(「キリマンジャロの雪」)ヘミングウエイであったが、華やかな人生の奥に潜む潜在意識と事故の後遺症が、彼を苦しめ、うつ病を発症させ、自殺にまで追い込んだのであろう。
静=虚無感、絶望感 動=冒険
このように、ヘミングウエイの本質は人生に対する絶望感や、虚無感であるが、これを静とすれば、動の部分も存在する。この短編集ではそれは、「フランシス・マカンバーの短い、幸福な生涯」「嵐の後に」に描かれている。
「フランシス・マカンバーの短い、幸福な生涯」では、サファリにおける「勇気」と「臆病」が扱われている。サファリは恐怖に満ちている。ライオンや、バッハローなどの猛獣に接した時、サファリ初心者は、恐怖におののくという。思わず逃げ出してしまう。猛獣には逃げる相手を追う習性がある。だからベテランのガイドを必要とする。この作品はそんなガイドの話である。フランシス・マカンバーは臆病な狩人の一人であった。猛獣を前にして絶えず逃げ出していた。そんな臆病な夫を見てマカンバー夫人=マーゴットは夫を軽蔑し、その他の理由(夫人の浮気など)もあって離婚すら考えていた。しかしあるきっかけから彼は勇気を取り戻す。恐怖感は薄れ、猛獣に対する自信がつく。しかし夫人は「もう遅い」という。そんなある日、彼はバッハローと対決することになった。バッファローは彼めがけて突進してきた。ほっておけば彼はバッファローの角に突かれて殺されるであろう。周りには緊張感が走る。その時一発の銃声が轟く。マカンバー夫人が銃を発射したのである。その弾丸はマカンバー氏に当たる。彼は死ぬ。事故か殺人か?議論の分かれるところである。しかしこの作品の題名「フランシス・マカンバーの幸福な生涯」から判断して私は事故説を取りたい。マカンバー夫人は最終的には彼を愛していたのである。不幸にして弾丸はマカンバー氏に当たるが、これはあくまでも事故だったのである。これはいわゆるヘミングウエイの「氷山の理論」であって、肝心のことは隠されている。事故か殺人か、ヘミングウエイはこれについては何も語っていない。何かを示唆しているのみである。真相の解明はは、読者の判断に任している。
「嵐の後に」は、嵐の後に、難破船に接近し船内の遺留品を略奪しようとした男の物語である。しかし、彼はスパナ一つで孤軍奮闘したが、失敗に終わる。船は堅固で、守りが堅かったからである。結局いろいろと装備したギリシャの大型船によって難破船は爆破され、船内の金銀財宝は奪われ、漁夫の利をしめられる。この男は言う「ともかくギリシャ人がみんなかっさらってしまった。何もかもだ。連中も早々と駆けつけたんだろうさ。そしてきれいさっぱりとかっさらっていっちまった。最初に鳥、ついでおれが駆けつけ、その次がギリシャ人だった。そして、あの鳥ですら、おれよりははるかにたくさんのものを、あの船からせしめたんだ」。強力な装備を持たない無力の人間の努力のはかなさ、虚しさがここには描かれている。世は強者の世界である。弱者は金銀財宝を目の前にしても何もできない。人生における絶望感、虚無感がここにも現れている。
その他の作品
このほかの作品には「世の光」、「スイス賛歌」、「死ぬかと思って」、「ワイオミングのワイン」、「父と子」がある。「世の光」では夜の女のはかない恋心が、「スイス賛歌」ではスイスのある停留所での待ち時間をカフェで過ごす客とウエイトレス、ウエイター、客同士の罪のない会話がのどかな雰囲気のなかで交わされる。そんな雰囲気をヘミングウエイは好んだのであろう。それを賛美して書かれたのがこの三様(「モントールにおけるウィーラー氏の肖像」、「ジョンソン氏、ヴヴェーにて語る」、「テリテットにおける協会員の息子」)のスケッチである。「死ぬかと思って」は体温の測定がアメリカとフランスでは異なるということを知らない9歳の少年が、自分の高熱に驚愕して、死ぬのではないかと思う、たわいのない話である。「ワイオミングのワイン」では禁酒法の時代に密造酒をふるまわれて感動する夫妻の話。(禁酒法は実際には有名無実で、密造は堂々と行われ、取り締まりは抜け穴だらけであり、ギャングの資金源にもなった悪法といわれている)。「父と子」では祖父、子、孫の三代にわたる生活が描かれている。ヘミングウエイ自身の人生がここにある。
これらの5つの作品はいずれも実験作であり、習作であって、取り立てて語るべき内容はない。
これで、この短編集2に掲載されている16全ての作品紹介を終える。これらの作品はヘミングウエイによってまとめられたものではなく、個々に発行されたものを編集者(訳者か?) が編纂したものである。
キリマンジャロの雪
キリマンジャロはタンザニア北部にある独立峰で、標高5895メートル。アフリカ大陸の最高峰。その頂にある大平原に1933年ヘミングウエイは第二の妻ポーリーンの叔父で大富豪のガス・ファイファーの資金援助(総額2万5千ドル)を受けてアフリカのナイロビにサファリ(狩猟のための冒険旅行)に出かける。ポーリーン、親友のチャールズ・トンプソン等が同行する。翌年1月、アメーバ赤痢にかかり入院する。しかし病状は軽く、サファリは無事に終了する。この時の体験がもとになって「キリマンジャロの雪」、「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」が生まれた。
この作品には、当時36歳のヘミングウエイが自分の安逸な生活を反省し、それからの脱却を図るべく、過去を振り返って抱いた感想のすべてが注ぎ込まれている。
キーウエスト時代(1928年~1940年)はまさにアメリカは大恐慌の時代。失業者は巷にあふれていた。そんな時代にアフリカにサファリに出かけ、さらに海釣り用のクルーザー「ピラール号」を建造しその行動範囲を広げている。さらに、プール付きの邸宅に住み、華麗な生活を謳歌していた。しかし、作家活動は停滞し、短編小説を多く書いたとはいえ、見るべき長編小説はない。そんなリッチ・ピープルとしてのヘミングウエイを見る世間の目は冷たい。そんな自分にヘミングウエイはイライラする。そんな状況がこの作品に反映している。
あらすじ
アフリカへサファリに向かう途中、作家のハリーとヘンリーの夫妻は、トラックの故障と、ハリーが負った傷の為、野営地の一隅で動けなくなる。ハリーの足は傷の処理を誤ったため壊疽にかかり、その痛みと、苦しみに耐えかね、彼は絶望的になり死を予感する。その恐怖とそれを忘れるために、やけ酒を煽り、ヘンリーに罵詈雑言を浴びせ、彼女を悲しませる。一方、ヘンリーは救援を信じて挫けそうになる夫に「あなたは絶対に死なない」と励まし、大きな心で彼を包み込む。悲観と楽観が2人を分ける。次第に彼の痛みは和らぎ、心も落ち着く。ハリーは自分の罵詈雑言にヘンリーが傷ついたことを反省し、彼女に謝る。彼女は快くそれを受け入れる。良い女だと思う。そこには夫婦愛がある。そうこうしているうちに救援機が現れ、彼らは救われる。座席が一つしかないのでまずハリーが飛行機で出発し、ヘンリーは残る。飛行機は飛び立つ。窓からハリーはキリマンジャロの勇姿を眺め感動する。「前方の視界いっぱいに、さながら全世界のように広く、大きく高々と、信じがたいほど真っ白に陽光に輝いて、キリマンジャロの四角い頂上がそびえていた。その瞬間、自分が向かいつつあるのはあそこなのだと彼は覚った。」
このようにこの作品は、負傷から救援までの物語なのであるが、この間ハリーは、ヨーロッパ各地で過ごした出来事の数々を回想する。
ヘンリーは金持ちである。その金で贅沢三昧をし、射撃や、乗馬を楽しみ、そのうえ大酒飲みだった。大の読書家で、夫の死後、二人の息子が成人した後は自由奔放に生きていた。男漁りも激しく、多くの男性と付き合いながらも、夫以上の男性にめぐり合うことがなく、満足することはなかった。そんなとき彼女の前に現れたのがハリーだった。彼女は彼の魅力に取りつかれ、あらゆる権謀術数を用いて彼をわがものにする。ヘンリーはハリーをこよなく愛した。そして作家として、パートナーとして、ご自慢の所有物として彼をとても大切にした。他方ハリーはヘンリーの美しさ、セックスアッピールしたボディー、閨の巧みさに魅せられ夢中になる。何よりも彼女は金持ちだった。ヘンリーの持つ財産に支えられて安逸な生活にのめりこんでいく。作家としての努力をしなくとも経済的には充実した生活を送ることが出来た。しかし、ハリーは何も書かず、いや書けず、安楽に溺れ、自らが軽蔑しているリッチ・ピープルの一員に「なり下がった」ことに、ある日、愕然とする。ヘンリーは自分の才能の心優しき保護者にして、破壊者なのだと思う。しかしそれはあくまでも甘えであり、すべての責任は自分にあると思う。そんな生活からの脱却を計って計画されたのがこのサファリだった。そしてこの事故だった。瀕死の重傷を負い、救援を待つ間、彼の心の中に、まだ真剣に生きていた時代の思い出がよみがえってくる。
まず彼の心をしめたのは記者としてギリシャ・トルコ戦争を取材したときの思い出だった。その時の悲喜劇を彼は描く。捕虜交換で解放された捕虜が雪の中で遭難する事件。雪に閉じ込められその無聊を慰めるために兵士たちと行ったギャンブルで全財産をすってしまう男の話。戦争の合間に行われるスキーの楽しさ等が描かれる。ついで彼が過ごしたヨーロッパ各地での女性関係の複雑さが彼の生活に影響を与えた話。ヘンリーと過ごしたパリでの生活の思い出が書かれる。これはヘミングウエイ自身の体験がもとになっている。ヘミングウエイにとっては最初の妻ハドリーと過ごしたパリ時代が精神的には一番充実していたようだ。それは後に発表された彼の作品「移動祝祭日」の中で如実に示されている。さらにハリーは「神は人間が耐えられないような試練をお与えになるであろうか」と、傷の苦しさに耐えかねて自問する。それは戦争中に砲撃を受けて、内臓が飛び出しそれでも生きている砲兵将校が「殺してくれ」と叫ぶ姿と自分をダブらせている。そして死こそ、人間のすべての苦痛から解放するのだと結論する。そこにはかれ特有の虚無感があり人生に対する絶望感がある。それは傷に苦しむハリーの死の予感の中に現れている。しかしその苦痛は次第に和らいでいく。死神はきっと別の通りに折れて行ったのであろう。
この作品には現実と過去が交互に現れる。過去によって、現実の安逸に流れる自分の生活を否定し、未来へつなげて行こうとする。そこにはヘミングウエイの未来に託する明るい展望がある。ヘミングウエイは自分の化身であるハリーを決して殺さなかった。そこには自分に対する肯定がある。虚無感や絶望感は姿を消している。ハリーは救援されて、救援機で運ばれる。その窓外に広がる雪で真白に雪化粧した独立峰キリマンジャロの勇姿を見て感動する。そして「自分の進むべき道はあそこなのだと」と覚ったのである。
ヘミングウエイ短編集2 掲載作品の発行年
(死後発行された未発表作品は発行年は不明である)
1930年 8月 ワイオミングのワイン
1931年 12月 海の変化
1932年 5月 最前線(執筆開始)、嵐の後に
8月 世の光
1933年 3月 清潔でとても明るいところ
4月 スイス賛歌
5月 ギャンブラーと尼僧とラジオ
1936年 6月 世界の首都
8月 キリマンジャロの雪
9月 「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」
1937年 5月 父と子 シルビアビーチで朗読(発行年は不明)
発行年不明 死者の博物誌、死ぬかと思って、神よ男たちを楽しく憩したまえ
ある新聞記者の手紙、オカマ野郎の母親
ヘミングウエイ全短編2『勝者に報酬なし・キリマンジャロの雪』高見 浩訳 新潮文庫
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます