日常一般

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エステル記(神の守りは永遠なり)

2015年10月04日 | Weblog


   エステル記  (神の守りは永遠なり

  始めに
 ペルシャ王アハシェエロスの妃となったユダヤ人女性エステルは、その智慧と活躍によって時の宰相ハマンが画策したユダヤ人絶滅の陰謀を養父モルデカイと共に、これを打ち砕き、ユダヤの民を滅亡から救う。聖書中、女性の名が書名として用いられているのは「ルツ記」と「エステル記」のみである。両者ともその記載される量はわずかであるが、旧約聖書の中では重要な役割を担っている。ルツが居なければダビデは存在しないし、エステルがいなければ、その後のユダヤの歴史は無い。「ルツ記」「エステル記」の主要なテーマは神による「選びの民=契約の民=イスラエル」の守りと、保護にある。これは一連の神のご計画を示す一つの物語である。神は契約の民を決して滅ぼさない。
 その内容を要約すると
1.アハシュエロス王の妃ワシュティの退位(1章)
2.ユダヤ人モルデガイの養女エステル、アハシュエロス王の妃となる(2章)
3.時の宰相ハマンとモルデカイの対立。(3章)
4.ハマンによるユダヤ人絶滅の画策、王の絶滅の勅令が発令される(3~4章)
5.モルデカイとユダヤ人の悲しみと希望(4章)
6.エステルの智慧と活躍により、ハマンの陰謀の打破、ハマンの処刑(5~7章)。
7.ユダヤ人絶滅の命令書の撤回。(8章)
8.ユダヤ人の復讐(9章1~16節)
9.悩みが喜びに、嘆きが祭りに。プリム祭の制定、(9~10章)

 梗  概 
 ペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス)の時代、エステル(ユダヤ捕囚民の子孫モルデカイの養女)が王の指示に従わず、王の怒りによって離別された王妃ワシュティの後添えとして数多くの候補者を制して王妃に選ばれる。旧約聖書におけるシンデレラ物語である。この選びは神のご計画の一つであった事がその後の物語の展開から判る。
 時の宰相にはハマンと言う者がおり、王の信任が厚く、多くの高官の上に位し、王は配下の者に、彼にひれ伏せと命令する。しかし、モルデカイはこれを拒否し、ひれ伏そうとはしなかった。彼の信仰は神と王以外にひれ伏す対象はいなかったからである。ハマンは怒る、その怒りをモルデカイ一人に向けるのではなく、彼の所属するユダヤの民、全てに向け、この民族の抹殺をはかる。ハマンは王に云う「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他の全ての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それ故、彼らを許しておくことは王のためになりません。もし王がよしとされるなら、彼らを滅ぼせと詔をお書き下さい(エステル記3章8~9節)」と。王はこれを認め、その民をあなたの自由にせよとハマンに応える。その詔は王の諸州に送られ、法令として発布された。ユダヤの民は危機存亡の縁に立たされた。これを知ったユダヤ人には大きな悲しみがあり、断食、嘆き、叫びが起り、また、荒布をまとい、灰の上に座するものが多かった。モルデカイも例外では無かった。しかし、ここから歴史は反転する。王妃エステルは、モルデカイからユダヤ人絶滅の計画のあることを聞かされ、対処を迫られる。王しか救いの出来る者はいなかったのである。モルデカイは言う「あなたもユダヤ人だから例外なく殺されるであろう」「あなたはこの為に王妃に選ばれたのだ」と。王への直訴を要求する。それは一種の強迫であった。王国の法令では王妃といえども、お召の無い限り、直接、王に会う事は出来なかった。これを犯せば死刑であった。王妃エステルは死をかけて直接王に会う。王は殊の外エステルを愛していた。王国の半分を与えても良いくらいに思っていた。王は金の笏(しゃく)をエステルの頭に乗せ、その罪を許したのである。王国の法律ではその禁を犯した者でも王が笏を伸べれば、その罪は許されたのである。王は問う、「あなたの願いは何か」と。エステルは、自分の主催するパーティーにハマンを呼ぶように要請する。王はこれを承知した。その前に王は眠れぬまま、記録の書、年代記を読みモルデカイが王の暗殺計画を未然に防いだことを知る。しかし、その為の栄誉も昇進もされていないことを知り、何らかの恵みの処置を考えねばならぬと感じた。後にモルデカイは、ハマンの没落後、彼に代って、宰相の地位に就く。
 パーティーの席上、王の前で、エステルはハマンに向かって、ユダヤ人絶滅の陰謀を暴露する。王は「私の愛妻ユダヤ人エステルも殺すつもりか」と怒りをぶつける。ハマンはエステルがユダヤ人であることを知らなかったのであろうか?ハマンは王の前にひれ伏す。しかし許されること無く、皮肉な事にモルデカイを吊るすために作った柱に吊るされて殺される。
 後は、ユダヤ人絶滅の勅令を撤回させる事である。事は急を要する。一人でもユダヤ人は殺されてはならない。急使が各州に送られ、法令は撤回される。万々歳である。
 これよりユダヤ人の復讐が始まる。
 王妃エステルの願いを聞き入れたアハシュエロス王は、1日だけユダヤ人の敵に対して報復することを許可した。ペルシャ王国内の首都シュシャンでは更にもう1日報復することが許された。かくして、ハマンの家族のみならず、ユダヤ人に敵するものを、ユダヤ人は,皆、剣で撃ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分達を憎むものを思いのまま処分した。これを指揮したものこそ、ハマンに代わって宰相にまでなりあがったモルデカイであった。ハマンによるユダヤ人絶滅の計画は未然に防がれたが、モルデカイはこれをユダヤ人に敵対するものに対して実行したのである。7万5千人余りのユダヤに敵するものは虐殺された。
 恐らく、これも神のご計画の一つだったのであろう。
 神が契約の民ユダヤを保護し、守り、その子孫の増大繁栄のためには、この措置は必要不可欠であったのかもしれない。旧約の神はあくまでもユダヤ人の神であり、ユダヤ人に敵対する異教の民は殺されなければならない。ユダヤの民は勝利に酔い、この日を祝った。この日に行われる祭りを「プリム祭」と呼ぶ。永遠に守らなくてはならない祭りとなる。

  用語解説
 プリム祭:時の宰相ハマンのユダヤ人絶滅の策謀をユダヤ人の王妃エステルがその才覚と活躍によって、これを阻止し、ユダヤの民を救った故事にちなんで、祝われる祭り。
 プリとは「くじ(プリムは複数)」を意味する。ハマンはくじを引いて、ユダヤ人の絶滅の日を決めたのである。その日がアダルの月の13日であった。しかし歴史の皮肉は、ハマンの没落によって「くじ(プル)の日」は、大転換して、呪われた日から、祝福の日に代わるのである。プリムの日はアダル月14日と15日である。この両日は、ユダヤ人の存続と、増大繁栄を祝う祭りとして、今日まで、ユダヤ人社会に定着している。

 女権の拡大:アハシュエロス王は、大宴会の席に王妃ワシュティを呼び、その美しさと、あでやかさを披露しようとした。しかし、何故か彼女は、その席への出席を拒否し、王の怒りを買った。王は高官たちに相談し、そのうちの一人メムカンの進言を受け入れ、ワシュティを離別する。メムカンの進言は、女権の拡大を阻止するものであった。当時は、男尊女卑の時代、ワシュティの拒否は全く想定外の事であったろう。そこには女権の主張が見られる。メムカンは言う「王妃を離別しなければ、世の女房たちは夫に対し、権利を主張するようになるであろう」と。それは世間の女房たちに対する警告でもあった。王妃の離別は、女性の権利の主張を阻止するものであった。いつの時代でも、男は女を恐れている。ワシュティは離別されたが、次の王妃エステルは、その愛によってアハシュエロス王を自家薬籠中の物とする。その主張はユダヤの民を滅亡から救う。ここには王をも動かす女の力を感じる。この時、当時の女権は拡大されたであろう。しかし、聖書にはそんなこと何も書いていない。あくまでも余談である。

  登場人物
 アハシュエロス王:クロス王からか数えて4代目のペルシャの王。127州を統治。王妃ワシュティを離別、エステルを後添えに向かえる。エステルの進言を受け入れ、ユダヤの民を滅亡から救ったエステルに並ぶ立役者。彼の存在なしには、ユダヤの民の存続は無い。
 王妃ワシュティ:上記「女権の拡大」参照。
 メムカン:王の7人の側近の一人。彼の進言により王妃ワシュティは離別される。
 ヘガイ:婦人部屋(後宮)の監督官。ワシュティ王妃の退位後、婦人部屋に娘(妃の候補者、エステルもその一人)を集めその世話役を務める。エステルには特別に配慮する。
 モルデカイ:ユダヤ人、捕囚民を先祖に持つ。エステルのおじで養い親。王妃となったエステルと共に、ユダヤ人の敵ハマンを倒し、ユダヤの民を滅亡から救う。ハマン没落後、王アハシュエロスの暗殺計画を未然に防いだ功績(ビグダンとテレシュの項参照)等が評価され、王の次の位にまで上り詰める。彼は「ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語った(エステル記10章3節)」のである。
 エステル(ハダサ):この書の主人公。おじモルデカイの養女。王妃ワシュティの後を継いで王妃となる。モルデカイと共に、ユダヤ民族絶滅を図った宰相ハマンを倒し、ユダヤの民を救う。エステルとは「星」を意味する。異教の地ペルシャで輝く星となる。
 ビグダンとテレシュ:王の護衛官。何らかの理由から王を憎み、王の暗殺を計画。モルデカイの活躍で未然に終わる。その罪により死刑。宦官。
 ハマンとゼレシュ:ハマンは王に次ぐ高官。宰相。モルデカイの自分に対する無礼を怒り、ユダヤ人の絶滅を図る。エステルの活躍により、未然に終わる。木に吊るされて死刑。ゼレシュはハマンの妻。
 ハタク:王が任命、エステルに仕える宦官。エステルとモルデカイの連絡役をする。この連絡により、王妃エステルは、ハマンによるユダヤ人絶滅の計画を知る。この時、モルデカイは荒布を纏っていたので「王の門」の中に入ることは出来ず、エステルは着物を送るが、彼はこれを拒否する。そのため、直接、王妃に面会できず、連絡役を必要とした。

  終わりに
 エステル記には、ユダヤの民がエステルの力によって絶滅から救われたこと、これによってユダヤ人はその後の増大、繁栄が可能になった事の2つが描かれている。
 この事によって、神のみ業が選ばれた民ユダヤ人に及んだことを知ることが出来る。しかし、エステル記には、神と言う言葉も、主と言う言葉も一切出てこない。それにも拘らず、神の存在(摂理)を常に感じさせる物語が、エステル記である。
平成27年10月13日(火)
報告者 守武 戢 
楽庵会

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