世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2007-06-10 07:25:39 | 画集・ウェヌスたちよ

旧ブログに習作を発表したことがあります。小品ですが、一時、女性の裸体を描くことに凝っていて、何点か制作したうちの中で、いちばん気にいっているものです。

女性の裸体は美しいけれど、苦しいものだなって感じますね。微妙なラインの美しさを出すのが、すごく楽しいんだけど、ちょっとつらい。なぜかしら。

ボッティチェリのヴィーナスとかもそうなんですが、女性の裸体には、魂を感じさせる個性的な顔をつけると、苦しくなりますね。絵画の世界のヴィーナスの顔は、たいてい、心がぐっと奥に隠されていて、人間の魂の個性を絶対出さないようにしている。出てきたら困るからでしょう。

実際のところ、よく知っている女性の裸体なんか、絶対みたくないって思いませんか。女性は、首から上と下で、苦しい境界ができている。顔には、個性あるすばらしい人格が見えるのに、首から下は、まるでセックス専用のものとしか思えないようなものになっている。

美しい。ほんとうに美しいけれど、苦しい。これを見ると、むごい性的衝動の影がうごめく。いじめたいという生物的エゴの気配が、狂おしく頭をもたげてくる。

だから女性の裸体を描くとき、画家はたいてい、顔を隠したりそむけたり、うまく処理したりして、個性を感じさせないようにします。(そこらへんの違反をして、ヒンシュクをかったのが、マネの「草上の昼食」です。)

人間には、恋とセックスは不可欠と言っていいほどのものです。それがなくては、生きていけないでしょう。けれど、すべてが生物的エゴによる衝動で行われては、あまりにも苦しい。女性はすべてセックスの道具になってしまう。正直に言って、そんなセックスは、いやです。女はね。

愛がなければ、とてもできない。女にとってもセックスは、男よりもずっと苦しいもの。リスクの大きすぎるもの。

美しい女性の裸体画は、恋の矛盾を、苦しいくらい語っている。恋は、愛とエゴのせめぎあいなのだ。きしるような矛盾の叫び、生と死の、ねじるようなかみつきあい。男と女の戦い。苦しすぎる。

恋は、苦しすぎる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする