今日は不眠症にいじめられています。コーヒー飲んでカフェイン摂取したけど眠くてしょうがない。頭もぼおっとしています。
いつもの不眠体操しながら、時々家事をしてすごす毎日。よくがんばれてるなと自分でも思います。
夜は八時頃に睡眠薬飲んで床に入るんですが、時によって薬の効き方がちがって、昨日はなかなか利きませんでした。眠ったのは眠ったけど。目が覚めたのは何時かわからないけど、しばらくして夫が目を覚ましてスタンドの灯をつけた時の時計は三時頃でした。それからずっとフトンのなかで目を閉じて横になっていました。寝ようと思っても眠れません。
羊数えたりして少し眠れる時もあるんですけれど。
まあ、慣れですな。今の状況に文句垂れてもしょうがない。できることをやって、耐えるだけです。
忍耐だけはいつも、わたしの人生にはりついている。
忍耐ってなんでしょう? それは、自分が誰であるか何であるかわからないってことに耐えるってことなんじゃないかな、なんて思ったりします。自分自身の存在に疑問をもったこと、だれにでもあるでしょう。わたしはわたしだけど、わたしはだれ? なぜここにいる? これは永遠に解けない命題。これに耐える力。これが忍耐力。人生というのは、その忍耐力を養っていくためにあるんではないかな、なんてこと考えたりします。
自分が自分であることに耐える力。
詩も絵もスランプに入って、毎日不眠と戦いながら簡単な家事だけやってる私とはどんなやつなんだ。何も役に立たない馬鹿なのか。いや違う。違う。わたしはわたしだ。わたしは、わたしなんだ。
立っている場所がどこであろうと、忍耐の棒が鉄のボルトのようにわたしに突き刺さる。わたしは、わたしなんだ。
この苦しい日々は絶対に、わたしという存在の糧になる。そしてもっと大きく成長できる。なにもかもはよくなっていく。
そう考えよう。
苦しいことがいくつあっても、とにかく、なんでもないさってうそぶいてでも、がんばっていこう。
なんだかこればかりだな、わたしは。。。(苦笑)