世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

イエス様

2012-11-16 02:28:04 | 薔薇のオルゴール

小鳥がお空でちりちり鳴いていました。そよ風に、すみれの花が揺れていました。小さな緑のなだらかな丘のてっぺんで、木でできたイエス様が、十字架に打たれて、半分眠ったまま、小鳥の声や、すみれの歌を、聴いていました。

イエス様は、体も頭もみんな木でできていました。もちろん、十字架も木でできていました。けれども、イエス様の手と足を打つ、釘だけは、鉄でできていました。イエス様の手や足には、血の流れたあとが、ありました。

もうずいぶんと長く、イエス様は、緑の丘のてっぺんに、ひとりで立ってうつらうつらと、眠っていました。時々、ほんの少し目を開けて、足元の、緑の草を見ました。草は、風に揺れて、露を落とし、かすかに土をたたいて、イエス様に慰めの声をかけるのです。

「イエス様、痛くはありませんか」

そうすると、イエス様は、目を細めて、小さく笑い、やさしく言うのです。

「もう、そんなに痛くは、ないよ」

草は、心配そうに、イエス様を見あげます。けれども、イエス様の傷は、本当に長い間、風の神様が、なでたり、なめたりしてくださって、だいぶなおってきていたので、本当にもう、あまり痛くはなくなっていたのでした。

空高く、雲が流れています。イエス様は、それを感じると、おっしゃるのです。

「ああ、天に、お父様が、いらっしゃる。今、わたしを、見ていてくださる」

そう言うと、イエス様は、心が本当に幸せになって、まだ少し痛い傷も、すっかりと消えてなくなってしまうようなのでした。

タンポポが光り、イエス様を、たたえます。

「うつくしい、イエス様、あなたを、愛しています」

イエス様は微笑んで、タンポポに、答えます。

「ああ、うつくしいタンポポ、わたしも、あなたを、愛している」

そうすると、緑の丘に、愛が満ちて、光が満ちて、世界がそのまま、すべて幸福になってしまうのでした。

「ああ、もうお父様の国は、きているのだなあ」

イエス様は、おっしゃいました。するとそのとき、イエス様の、右手の釘が外れて、落ちました。ずいぶんと長い間、雨や風にさらされていたので、釘もすっかり錆びて、朽ちていたのです。

イエス様は、右手が自由になったので、少し首をかしげて、右手を動かしてみました。右手は、十字架から離れて、イエス様の目の前に、そっと踊り出て来ました。イエス様は自分の右手を見るのは、ずいぶんとひさしぶりでしたから、本当に驚きました。

「ああ、右手が動く。不思議なことだ。わたしは、木でできていると、言うのに」

イエス様は、右手を動かし、ためしに、左手の方にやってみました。そして、左手の釘に触ってみました。するとそれだけで、左手の釘も、落ちてしまいました。釘はすっかり朽ちていて、草の上に落ちると、砂のように崩れて、消えてしまいまいした。

イエス様は、次に、足の方にも手を伸ばし、足の釘も外しました。これで、足も、動くようになりました。

「やあ、なんということだろう。自分の足で、歩けるかな」

イエス様はそうおっしゃりながら、おそるおそる、足を草の上に落としました。イエス様の足を受け止めた草は、一生懸命、柔らかくなって、イエス様の足をいたわりました。

「ああ、十字架から離れるのは、何千年振りだろうか。ああ、足が自由だ。手も自由だ。わたしは、丘を歩いて、降りてゆこう。どこにゆくだろう。ああ、お父様の国は、どこにあるだろう。探しにゆこう。きっとこの地上の、どこかにあるに、違いない」

イエス様は、そうおっしゃると、丘の上に、十字架を残して、ひとりで歩いて、丘を降りて行ったのです。一足、歩くと、その足のそばにいた、タンポポが、イエス様に言いました。

「イエス様、ばんざい!歩けるようになったのですね!」

「ああ、そうだよ」

イエス様は笑ってタンポポに答えます。タンポポは、イエス様を祝福して、愛の歌を歌いました。すると、イエス様の右足の傷が、消えてなくなりました。

もう一足歩くと、今度はすみれが、イエス様を祝福しました。

「おやさしい、イエス様、うつくしい、イエス様、正しくも、清らかな、イエス様」

そうすみれが言うと、イエス様の、左足の傷が、消えて、なくなりました。

もう一足、歩くと、今度は、紅のカラスノエンドウが、イエス様を、祝福しました。

「偉大なる、イエス様、気高き、イエス様」

そうすると、イエス様の、右手の傷が、なくなりました。

もう一足、歩くと、今度は青いツユクサが、イエス様を祝福しました。

「なにもかもを、たえてこられた、うつくしい愛の姿なる、イエス様」

そうすると、イエス様の、左手の傷が、なくなりました。このようにして、一足一足歩くたびに、イエス様の傷は、花々の祝福の歌に癒されて、消えてゆきました。風が、白い絹の服を持ってきて、イエス様の体に着せました。イエス様は、服を着るなど、何千年振りだろうと、おっしゃいました。すると、足元の白いキクの花が、言ったのです。

「ああ、イエス様、何で今まで、だれもあなたに、服を着せなかったのですか?」

するとイエス様は、微笑んでキクを見下ろし、おっしゃいました。

「もういいんだよ。そんなことは。ああ、幸せだ。お父様の国は、どこにあるだろう。誰か知っているかい?」
イエス様は、緑の丘の花々に尋ねられました。けれども、誰も知らないと、言うのです。
「ああそれなら、探しにゆこう。お父様の国を、わたしは、これから、探しにゆこう。どんな遠い道も、歩いてゆこう。もう傷は癒えた。ああ。足がある。手がある。わたしの心がある。歩いてゆこう。すべては、お父様が与えて下さる。導いて下さる」

イエス様は歌うように言いながら、丘を下っていったのです。

丘のふもとに、おりていくと、ひとすじの、清らかな川が、ありました。水音に混じって、どこからか、きれいな歌声が聞こえます。イエス様が、その声をたどって、川に沿って歩いていくと、しばらくして、川の向こう岸で、一人の少女が、洗いものをしているのに、出会いました。少女は、茶色の髪を、破れかけた古いスカーフでしばり、粗末な茶色の服を着ていました。少女は、うつむいて、川に手をつけて、一心に、汚れた器を洗っていました。木のお皿や、欠けた陶器の茶わんや、ナイフに、フォーク、大きな銅のおなべなど。食器はみな、腐った食べ物で汚れていて、とても汚いのだけど、少女は次々とそれを水に入れて洗っていきます。そして食器は、きれいになって水の中から出てくると、少女の手の中で、とたんに水色の小さな鳥になって、ぴりりと鳴き、空に飛び出していくのです。

イエス様は驚いて、しばらくじっと、少女の様子を見ていました。

少女が食器を洗うたびに、小鳥は空に飛んでいき、空に美しい声が満ちて行き、それは風に乗ってどこかに飛んで行くのです。でも、洗っても洗っても、汚れた食器はなくならず、次から次と増えてきて、少女の傍らに積もるのです。しかし少女は倦むことなく、一心に、楽しそうに、歌いながら、食器を洗っているのでした。あまりに一生懸命なので、少女は、イエス様がそっと近寄ってくることにも、気付かないようでした。

「あ」

突然、イエス様が、声をあげて、下を見ました。イエス様は、左の足に、少し痛みを感じられたのです。何かを踏んだようだと、そっと足をのけてみると、そこに、小さな野薔薇の古枝が落ちていました。その小さな刺は、イエス様の足の裏を刺して、小さな血を、浴びていました。

「ああ」とイエス様が声をあげているうちに、足の傷から赤い血がたらたらと流れ、川に落ちてゆきました。すると川は、いっぺんに赤く染まり、たちまちのうちに、真っ赤な薔薇の咲く垣根に、姿を変えたのです。その薔薇の垣根は、壁のように、さっきまで川の流れていたあとをたどって、どこまでも続き、イエス様の行く手を、さえぎっているのでした。

イエス様はこまってしまって、薔薇に言いました。

「ああ、薔薇よ。どうかわたしを通しておくれ、お父様の国を、わたしは探しにいくのだから」

すると薔薇は、きびしく、言うのです。

「イエス様、いけません。あなたは、行っては、なりません」

「なぜだい?お父様の国を、探さなくては、そして、人々に、それを教えてあげなくては。ああ、わたしなら、わかるのだ。お父様の、声が。そして、香りが。心が満ちている、光が」

イエス様はおっしゃいました。けれども薔薇は、痛い刺のつるを一層硬くからませて、行く手をさえぎりつつ、強い香りを放ちながら、言うのです。

「いけません。もう、あなたがやっては、いけないのです。イエス様」

「それはどうしてだい?」イエス様は、赤い薔薇の、強い香りに、めまいを起こしそうになりながら、尋ねました。すると、薔薇の代わりに、小鳥のようにかわいい、少女の声が、答えました。

「ああ、イエス様。わたしがかわりに、まいりましょう」

イエス様はびっくりして、薔薇の垣根の向こうを見ました。するとそこに、茶色の髪のさっきの少女が立っていて、まっすぐなきれいな瞳で、イエス様を見つめていたのです。少女は、イエス様に、丁寧に、お辞儀をして、賢く、美しいことばで、言うのです。

「もう、何千年と、イエス様は、ずっと耐えていらっしゃいましたから。わたしがかわりに、まいります。イエス様の、かわりに、まいります。天の国の、お父様の国を、探しにまいります」

「少女よ」とイエス様は、おっしゃいました。
「知っているのだろうか。それがどんな道かを。どんなにあなたを、あなたを…、ああ」イエス様はそれ以上言うことができず、涙をお流しになり、少女の方に手をのべました。薔薇の垣根をはさんで、少女はイエス様の白い手をとり、それに小さくキスをして、言いました。

「わかっています。何もかも。だから、まいります。あなたのかわりに。どうか、ゆけと、おっしゃってくださりませ。わたしに、ゆけと」
「ああ、少女よ。あなたは、わたしを、苦しめるのか」
「ごぞんぶんに、せめてくださりませ。おっしゃってくださらないのなら、わたしは、自ら、まいります」

そう言うと、少女は、イエス様の手を、そっと離し、イエス様の透きとおった目を見つめ、しばし吸い込まれるようにそれに見とれたあと、目を伏せて涙を頬に一筋ながし、もう一度、ゆっくりと、ていねいに、お辞儀をしました。

「では、行ってまいります」そう言って、少女は、イエス様に背を向けて、彼方に向かって、歩き始めたのです。イエス様は、少女の後を追おうとしました。でも、ゆこうとすると、薔薇は一層濃い赤に燃えて、イエス様のゆく手をさえぎるのでした。

「ああ、わかった。もうわたしは、行ってはいけないのだね。少女よ。あなたを愛している。ゆきなさい。道は、つらく、きびしく、そして長い。ゆきなさい。愛している。いつまでも、愛している、少女よ」

イエス様は、遠ざかっていく少女の背中に向かって、叫びました。少女は振りかえらず、彼方への道を、ゆっくりと歩いて、だんだんと遠ざかってゆき、やがてその姿は、霞の向こうに消えて、見えなくなりました。

イエス様は、薔薇の垣根のそばに立ちつくし、いつまでも、少女の消えて行った方を、見ていました。

やがて、青い空の向こうから、鳥の声が降ってきました。イエス様は、ふと気付きました。
「ああ、お父様の国は、もうきているね。ああ、ここが、そうだったのだね」
「そうですとも」
薔薇が、言いました。
「イエス様、ここで待っておいでなさい。あの娘が、やがて、あなたの元に、人々を、呼んできますから。それは、大勢の人々を、つれてきますから」

イエス様は、薔薇の言葉に従い、ずっと、この緑の丘で、みなを、待っていることにしました。ですから、イエス様は、今も、待っていらっしゃいます。あの少女が、大勢の人々を連れて、自分のところに、きてくれるのを。人々が、お父様の国に、帰ってきてくれることを。

ずっと、ずっと、待っていて下さいます。

(おわり)



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