★本当の実力
今日はマジシャンの世界大会の日だった。力高い魔法使いが集まるこの日、町は夢のような気分に浸る。
ダニエル・ジェンキンズは、舞台の裾から、カツラギヒカルの演技を見ていた。ジェンキンズは、道化の化粧をし、派手な赤と白と紺の道化の衣装を着ていた。見た目はかわいらしく、頭の少し足りないドジな道化という感じだが、厚塗りの化粧の下には、鋭く他人の弱みや欠点を探す目がしきりに動いている。
マジックの終盤に、ヒカルは大きなボックスを出してくる。いつもの予定なら、何もないボックスの中に花束と指輪を入れて一回りすると、箱の中から妖精のような花嫁衣装を着たセレスティーヌが現れるはずだった。だがそうはならない。なぜなら、ボックスの外面にある、見えないスイッチのようなものを押すと、ボックス全体が崩れて、中の仕掛けが丸見えになるように、ネジをいくつか抜かれているからだ。
舞台を流れる音楽が変わった。ジェンキンズはにやりと笑う。あのパーフェクトと言われるヒカルの、大慌ての顔を見たくてたまらないと、彼は思っていた。
カツラギヒカルが、舞台の上で踊るように歩くたび、花が咲き、蝶が舞い、観客がその魔法に酔いしれる。今日の舞台のテーマはメルヘンだ。イメージのもとは詩人さんの詩集だった。青い蝶がひらひらと舞い降りてきて、手品師さんのステッキの先にとまる。手品師さんは愛おしそうに蝶を右手にとると、ふっと息を吹きかけて手を握り、また開くと、そこには小さな箱に入った婚約指輪があった。サファイヤの輝きを持つ、すばらしい宝物だ。手品師さんが左手から火花を咲かせてくるりと体を回すと、衣装が微妙に変わっていて、手品師さんは銀色の古風な花婿のスーツを着ていた。さああとは花嫁を待つばかり。
観客の興奮は最高潮だ。手品師さんの華麗な動きから目が離せない。さて、手品師さんは指輪の箱を握りしめると、ステッキを振りながら、何か不思議な言葉を言った。魔法の呪文だ。「アイヨ、オマエハイク!」
大きな箱が、舞台に運ばれてきた。ジェンキンズは、歯を見せてにやりと、歪んだ笑いを見せた。これでカツラギヒカルも終わりだ。
マジックは予定通りに進んでいく。いつの間にかアシスタントのセレスティーヌの姿が消えていた。よおし、予定通りだ。そう、そこだ、今お前が手をやったところにある、小さなスイッチ。それを押せ!
ジェンキンズは目に力をこめて、ヒカルの指先の微妙な動きを見つめる。かすかに、中指が動いた。その時、箱の上の板がぐらりと揺れた。
やった!! と、ジェンキンズが胸の中で叫んだ、その時だった。
箱は見る間に崩れていき、舞台の上に板の山を作った。予定ならそこで、花嫁衣装に着替える途中のセレスティーヌの姿があらわになるはずだった。だがそこにセレスティーヌの姿はない。ジェンキンズは驚き、息を呑んだ。
「ハーイ」と後ろから女の声がした。振り向くとそこにセレスティーヌがいて、にっこりと彼に笑いかけて、横を通り過ぎていく。ジェンキンズは呆然として彼女の姿を目で追った。いつの間にか、崩れた箱の中から大きな白い炎が燃え上がっていた。手品師さんがその炎に、指輪を入れると、炎は奇跡のように六羽の鳩に姿を変え、舞台の闇を星のように飛んで、手品師さんとその後ろにきたセレスティーヌの腕に止まった。
観客は大歓声をあげた。
ジェンキンズは息を呑んだ。こんな、こんなはずはない。だが目の前で、カツラギヒカルはにやりと笑い、勝ち誇ったように大げさなポーズで、舞台の裾にいるジェンキンズをステッキで鋭く指し、口をゆがめてにやりと笑った。
残念だったな! ばかやろう!!
手品師さんの心の声を、ジェンキンズは聞いたような気がした。ジェンキンズの頭の中を、言葉にならないものが渦を巻いている。まさか、こんなはずは…
現れた六羽の鳩は、手品師さんの呪文でもう一度白い炎に戻り、腕の一振りで炎は消えた。
観客が喝采した。
舞台は手品師さんが両手でふしぎな所作をして、まるで蝶を呼び込むように手の中に一枚のカードを出すところで、終わる。ハートの6だ。
「アイヨ、オマエハイク!」
もう一度呪文を唱えるとカードは消え、舞台は暗くなり、音楽がゆっくりと消えていった。
「はあい、お疲れ様!」セレスティーヌの声が聞こえる。ジェンキンズはぼうっと突っ立っていた。その横をカツラギヒカルが通り過ぎた。
手品師さんの舞台は大成功に終わった。ダニエル・ジェンキンズはまだ信じられないと言うように、舞台の裾で立ち尽くしていた。
「やあ、すばらしかったよ!」楽屋にいくとボブが訪ねてきた。手品師さんは手早く化粧を落としながら、にやりと笑って言った。「ボブ」
「なんだい?」
「正真正銘本当の自分の実力で、馬鹿をぶっ殺すってのは、たまらなく快感だね!!」そう言って笑う手品師さんを、ボブは驚きの表情で見た。
ダニエル・ジェンキンズが脳梗塞で倒れたのは、この日から約十日後だったそうだ。
(つづく)