どんなときにも、なにがあっても、あしただけは無尽蔵にある。
それは人間にとって大きな恵みであるような気がします。
目の前に、超え難い壁があって、何度チャレンジしても超えられなくて、失敗ばかりして、おちこんで。でもしばらくすると、何、あしたがあるさって、そう思うと、肩の荷もふと軽くなる。
たいしたことじゃあないさ。あしたになればまた状況も変わるだろう。そしてひとのきもちもかわってゆく。自分だって変わってゆく。時は日々流れて行く。いつまでもこの悲しみが続くわけじゃない。
だから今、今のこの痛みを、涙や歌に流してしまえば。あしたへの力が湧いてくる。あしたには、あしたの私がいる。
「あした」はいつも、「今」を乗り越えるキーワードでした。たくさんの「今」の風を切り抜けてきて、その「今」の積み重ねが、このただ今の「今」の中にいる私。
あれこれとたくさん失敗したわりには、それほど大きな成果があったわけではなく、ただ積み重ねてきた「今」の分だけ深くなった私がいる。
そして私は今も、常に「あした」を見ながら、生きている。
(2006年8月ちこり37号、ミニエッセイ)