人には、それぞれに、背負っているもの、生きていく中で考え、学んでいかねばならない課題があります。それは親子の愛憎の問題であったり、愛欲に関する問題であったり、病気の問題であったり、色々です。
心臓も凍りつく哀しみ、魂が割れるほどの怒り、私達は様々な感情の渦の中を、峨々たる山脈を乗り越えてゆくように、自らの小さな灯火だけを頼りにしてくぐり抜けていかねばならない。その中で、深く豊かな教養と感性の構造を、自己の中に営々と築いてゆき、少しずつ、人として完成していかねばならない。それが人生という魂を育てるための課程ではないかと、今は考えています。
そういう点から見れば、易々と人生を歩んできた人は、それほど幸せな人とは言えないのかもしれません。今、辛く苦しい壁にぶち当たり、思い悩んでいる人こそ、魂の成長期をむかえた幸運な人と言えるのでしょうか。試練は苦しいものですが、それは自分自身という、比類のないリアリティと対面し、深く語り合うことのできる絶好のチャンスでもあるのではないでしょうか。
(2004年3月ちこり30号、通信欄)