世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

上部人

2012-06-19 07:40:59 | 画集・ウェヌスたちよ

上部の人です。女性じゃありませんよ。そう見えないこともないですが、男性です。
目つきからさっするに、相当段階の高いお方のようです。

手に持っているのは紋章です。多分それを用いて何かの魔法を行おうとしているところ。

こういうタイプの上部人は、聖者としても、かなりきついことをやる人です。相手が自分より段階が低い人間とわかっていても、悪いことをすれば、かなりきついお仕置きをやります。手加減はしてくれますが、やられた方はものすごく痛いそうです。

上部人にもいろいろな人がおりまして、月の世の罪びとたちなどは、「こいつに出会ったらやばい」という人が決まっていて、そういう人のリストなんかつくってる人もいるそうですよ。そのリストはいろんなところに出回っていて、もちろん上部人たちも知っているらしいです。

ちなみに、聖者の本当の名前は月の世の人も日照界の人も、誰も知らないので、それぞれに人間が勝手にあだ名をつけているそうです。それも、かなり失礼なあだ名をつけているそうです。人間はほんと、いろんなことをやります。今は、まあいいだろうという感じで許されてますが、そのリストであまりひどいことをやると、いつかとんでもないことになるかもしれません。

この人は、そのリストでも、上位の人ではないかな。





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役人さん

2012-06-18 07:29:19 | 画集・ウェヌスたちよ

月の世の役人さんです。どっちかといえば、若い方の役人さんでしょう。
月の世の役人さんも、日照界の役人さんも、基本的に同じようなデザインの制服きてます。違うのは色と、紋章が腕にあることと、胸にあることくらいです。見たらわかるでしょうけどね。要するにわたしが、考えるのが面倒だっただけなんですけど。

わたしは、最近のアニメみたいに、やたらとコスチュームに刺やびょうや鎖や宝石みたいのをつけたり、形に凝ったりするのがあまり好きではないので、制服はすっきりと、簡素なのがいいです。今のアニメや特撮もののキャラクターの、やたらと凝ったデザイン、あまり好きではないんです。ウルトラマンも、最初の頃のシンプルな方がよかったなあ。

なんにせよ、服装が簡素でもかっこよく見えるのが本物というもの。写真がちょっとゆがんでるのが残念です。原画はもっといい感じに見えるんですけどね。何せわたしのカメラの腕では、こんなのが精いっぱい。
とにかく、ほんとにかっこ良い人は、かっこに気を使う必要はない。

この役人さんも、いろいろと、難しい仕事をやっているんですよ。自分では何も言わないけど。




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オリヴィエ

2012-06-17 09:29:23 | 画集・ウェヌスたちよ

「薔薇のオルゴール」のシリーズから。オリヴィエ・ダンジェリクです。
なんだかかわいくて女の子みたいですけど、男性です。
ここらへん、なんとなく、萩尾望都先生の影響がにおうかな。

この世に、たった一冊の詩集を残して逝ってしまったオリヴィエ。また詩集から一つ、引用してみましょう。オリヴィエ・ダンジェリク詩集「空の独り言」から。

   *

 「君は」


君は 野薔薇で
ほんの少し 薄紅で
とげは ないんだ
あっても
ほんの 少しだけ

君は 野に 咲いているんだ
野で そんな花に出会えると
とっても うれしい
まるで 土の中に埋もれていた
ビー玉を 見つけて
日にかざして 光るのが
きらきらしてるみたいに うれしくて
ぼくはたまらず 笑ってしまうんだ

君は 野薔薇で
小さくて ほんの少し
薄紅で…
君が 咲いているだけで
ぼくの胸の野に 風が吹くんだ

   *

チコル・コペルが持ち出した一冊の詩集から、いつか、不思議な風が吹きだすと、いいなあ。



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月の世の少年

2012-06-16 07:48:41 | 画集・ウェヌスたちよ

月の世の少年です。この人は「船」編に出て来る少々、人間に苦い思いを抱いていて、よく皮肉を言う少年。多分、仕事上でいろいろ苦労しているのでしょうな。

これは、自分の担当している罪びとの言い訳を聞いて、あきれているところです。
一体何したんでしょうね。その人は。

ちなみに、「おれは何もしてない。なんでもないんだ、あんなこと、みんなやってることだし」というのは、罪びとの常とう句だそうです。大体、月の世に落ちて来た罪びとは、担当者の顔を見たとたん、真っ先にそういうことを言うそうですよ。

以下は仕事を終えた彼と、友人の少年との会話。

「みんなやってることだから、か…」
「大体の罪びとは同じようなことをいうよ。実際地球では、多くの人が心の中でそう言いつつ、いろんな悪いことをやってる」
「それって、自分が恥ずかしくないのかなあ」
「そりゃあ、恥ずかしいさ。だから『みんな』のせいにするんだ。みんなやってることだからって。そして、人間はみんな、悪い奴なんだってことにしたいんだ。自分が悪いことをするから、人間はみんな悪い奴だってことにしないといやなんだ」
「そうだ。そうしないと自分が苦しいからなんだ。それで、よい人間が地上で生きることが苦しくなりすぎてる。よい人間ほど、悪いことをする人にねたまれて、とても苦しい目にあう」
「そういうことに関しては、人間はとても上手だよ。人をいじめるってことに関しては、見事に巧みな知恵と技術を持ってる。そういうことをやるから、実におかしな地獄に落ちることになるんだけどね」
「ほんとにね」
「で、その彼は今、どうなってるの?」
「沼でサンショウウオをやってるよ。今度は二百年くらいかかるってさ」
少年は、深いため息をつきました。




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日照界の少年

2012-06-15 07:39:06 | 画集・ウェヌスたちよ


頬に刺青を入れた少年。何となく気に入っているので、また描いてしまいました。ちょっと幼い感じになっちゃったかな。手に持っているのは、何かの魔法の道具か、薬の入っていた容器でしょう。

「少年」といっても侮ってはいけません。かなり高い魔法も使えますから。

なんとなく、悲哀に染まった顔をしていますね。
一つの種族、民族が滅ぶということは、人間が思っている以上に、重いことなのです。
人間はなぜ殺し合うか。それは、嫉妬するから。相手が、自分と違うのが、とてもいやだから。相手が自分と違うと、なんとなく自分たちの方が馬鹿なような気がして、つらいのです。相手は自分たちの知らないことを知っている。そんなことすら、いやなのだ。

この少年は、あどけない顔をしているけれど、そんな人間のやってきたことを、ずっと見てきたのだろうな。



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月の世の青年

2012-06-14 07:22:09 | 画集・ウェヌスたちよ

今日は、月の世の青年です。なんとなく、月の世の青年や少年は、首から紋章つきのプレートを下げているってことになってしまいました。
最初は服のどこかに紋章がついてるってことにしときましたけど。

服のデザインとかね、もっとかっこよくできるかもしれませんが、わたしはそういう分野は苦手なので、みな単純に、セーターとかトレーナーっぽいものを着ているということにしています。

この青年はなんかきつそうな目になってしまいました。罪びと相手の仕事は、時に手荒いこともしなくてはならないから、そうなるんでしょうか。

ここで、蛇足ながら。
別章「穴」の編で、「天使の術」の免許、なんてものが出てきましたが、あれは、一定の魔法の力を得た青年以上の人が、月の世にある教習所のようなところで、天使の所作やものの言い方、天使としての感情の表し方や、魔法をする際に決してやってはいけないことなど、いろいろのことを学び、月のお役所の検定に合格した者が、得られるものです。

こんなことを考えるのも面白いな。キリスト教徒を主に導いている青年は、たいてい持っているそうです。

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日照界の青年

2012-06-13 08:14:08 | 画集・ウェヌスたちよ

最近では男性を描くのも、なかなか上手になってきたので、切り絵でも切ってみました。この人は一応ガゼルの青年です。真剣な顔がりりしいですが、どことなくかわいらしさがあるのが好きですね。実年齢に比して幼げな顔をしているという設定なので。

ほかにも何枚か男性像を切り絵に切ったので、しばらくそれを紹介していきます。美しい男性を描くのって、かなり楽しいですね。

カテゴリ名は最初、おもに女性像を描くつもりで「ウェヌスたちよ」とつけたのですけど、だんだんあわなくなってきてるなあ。

でもこの男性たちも、ほんとはみんな、人間じゃないから描けるんですよ。現実の人間の男性は、わたしは描くのとても難しい。芸能人とかにかなり好きな人はいるのはいるのですが。「てんこのお気に入り美女シリーズ」などというのもやったので、「美男シリーズ」もやろうかと思ったのですけど、実際、現実の美男が描けないのでやめました。美女の方もかなり難しかったし。

人間の男性を描くのって難しいですよ。なぜなんだろう。

あ、日照界では、「子供」も、「少年」も、「青年」も、「役人」も、みんな同じ水色の制服着てます。「聖者」が「若者」というときは、「青年」も「少年」も「子供」もみんな含めて言います。普通に「若者」というときは、「青年」と同意義です。ま、どうでもいいことですけど、こんなことは。







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君子は義に喩り

2012-06-12 07:25:43 | てんこの論語

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。(論語・里仁)

先生はおっしゃった。君子は真っ先に正しいことは何かと考える。小人は真っ先に、自分が得することは何かと考える。

   *

少し昔のことですが、わたしは大きな壁にぶつかったことがありました。人間関係が嵐のような渦になって、とんでもないことが起こった。わたしはとても辛かったのですが、この状況を乗り越えることを考えるとき、何が一番大切なのかを、考えた。そして、自分の感情を引きちぎるような思いをしながら、正しい方向を選んだのです。それは、ぜんぶを自分ひとりで背負うということでした。それしか、その場を支える方法がありませんでした。物事を最も正しい方向にもっていくには、自分は頭の悪い振りをして、何にも知らないことにして、わたしひとり、馬鹿になって黙っていればいい。それで、かなりのことはなんとかなるはずだと、考えました。

たったひとりで、その状況を何とか正しい方向に向かわせることは難しかった。わたしにできることと言ったら、詩を書くことくらいだし、それを使って、どうにかして皆に正しいことを教えることができないかと考えた。…もちろんわかっていた。馬鹿なことだと。努力しても、何にも相手には伝わらないだろうと。けれども、できることはそれしかなかった。皆が幸せになるために、どういう心を勉強しなければいけないかを、なんとかして伝えようと、拙い詩ばかり書いて、みんなに見せようと配ったりした。でも、心は一切通じなかった。わたしは皆に馬鹿にされて、相手にもされませんでした。気持ちは、ほんとうだったのです。ほんとうに、なんとかよいことをしようと思っていた。けれども、わたしは非力だった。何もできなかった。わたしの望んだことは、ひとりでもいいからわたしの書いた詩を読んでくれて、気持ちを改めて欲しいということだった。でもそんなことは、この世界では、全く馬鹿なことなのです。わかっていました。やってもやっても、馬鹿にされるだけだと。わかっていても、それしかできることがなかった。

以下は、そのときわたしが書いていた詩のひとつです。「花詩集」と名付けてコピーして色々なところに配っていました。前のブログにも少し載せたのではないかな。

   *

「クロマツ」

辛そうですね
辛いですか

大きな壁が立ちはだかって
一歩も動けませんか
壁は そろそろ自分自身と
話をしなければならない
時がきたという印です

たいして疑問を持たずに生きてきた
自分というものについて
深く考えなおさなければならない
どこが悪かったのか
何を改めねばならないのか
何をするべきなのか

チョウチョウのように着飾って
ひらひらとうろつくだけでは
だれにも何も伝わりません
本当のあなたは何をしたいのか
何を求めているのか
ちゃんと考えているのですか
氷のような手で魂をもてあそびながら
こざかしい技と力だけで
すべてをつかもうとしてはいませんか

乗り越えられないのは
やり方を間違えているからです
正しいことを学びなさい
余計なものを脱ぎ捨てて
本当の心で飛びなさい
その時 初めて
すべては何のためにあったのか
あなたにもわかることでしょう

   *

今読むと、本当に馬鹿だったと思う。真っ正直にもほどがある。こんなもの、誰も読んではくれない。誰もわかってはくれない。それでもわたしは、やりました。私にできることの中で、最も正しいと思えることは、それしかなかったのです。わたしは、本当に、非力でした。正しいことを、詩にして書いて、かけらでも相手に伝えようとすること、それしかできることがなかった。だから、せめてもとやっていた。みんな、わたしのことを、ずっと馬鹿だと思っていたでしょう。多分、今もそう思ってる。いや、自分でも本当に、馬鹿だと思います。

花詩集は、34号まで出しました。それぞれに花をタイトルにした詩とエッセイを書いて、月に一回くらい出していた。ともだちに配ったり、町の掲示板にはってもらったり、学校の職員室で配ったりしました。読んでくれた人は、いたかもしれないけれど、きっと、伝えたい心はすべて、伝わらなかったと、思う。

何もかもは無駄だと知りながらも、やらねばならない時がある。かけらでも希望があるのならそれにすがってみる。これは「旗」の編にも書きましたな。極小の粒のような小さな希望の星をつかもうとしても、それは煙のように空気に溶けて消えてしまった。今思うと、おかしいくらいだ。やってもせんないことに一生懸命になっていた。それでも。

わたしは、正しい、ことを、したのです。それは子どもみたいなことでしたが。

これだけは、自信を持って言えます。まちがっては、いませんでした。不器用で、何ともへたくそなことしかできなかったけど、自分に嘘はつかなかった。

馬鹿だけど、最後まで本当の自分をやりとおした。心に重い荷を追って、疲れ果てても動かなければならなかった。そして、努力してやったことは砂の城のように、すべて崩れて消えて行った。何もかもは無駄だった。誰もわたしの心は知らない。でもそれでもいい。わたしは、正しかったから。自分に恥ずかしいことは、しなかったから。

あのとき、何が一番正しいのか。それを考えて、自分が何をやるべきか決意をしたとき、一羽のトンビが風に乗ってわたしのそばを飛び過ぎていったことを覚えている。まるで、見えない誰かが、その通りだ、と言ってくれているように。私は海辺の小さな空き地の隅に、犬と一緒に立っていた。今も覚えている。

だからわたしには人に尋ねることができる。
あなたが今、していることは、正しいことなのですか?



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きみよ

2012-06-11 07:42:07 | 詩集・貝の琴

ああ なのはなの きいろき野に
きみよ ことのはを どこにかくした
ちょうのように わたしのみみが
かぜにさらわれ それをさがしにゆく

ああ 銀のなみの くりかえし
すなを あらう 潮騒の森に
きみよ ことのはを どこにかくした
とりのように わたしのまなこが
かぜにさらわれ それをさがしにゆく

ああ 見えぬガラスの 向こうの
はてしなき 灰の野に
きみよ ことのはを どこにかくした
わたしの のどのおくの 
こおりの ためいきが
かげろうのように 風にさらわれ
それを よびにゆく

きみよ ことのはを
どこにかくした
それとも
ことのはは もはや
ないのか
どこに かくした
ああ わたしの 心臓のおくの
白い 孤独のはねが
とおい 風をもとめ
さがしに ゆく
さがしに ゆく

きみを さがしにゆく



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これ知るなり

2012-06-10 07:14:08 | てんこの論語

子曰く、由、なんじにこれを知るを誨えんか。これを知るをこれを知るとし、知らざるを知らざるとなせ。これ知るなり。(論語・為政)

先生はおっしゃった。由よ、おまえに知るということを教えよう。知っていることは知っているとして、知らないことは知らないとしなさい。これが知るということ。すなわち、己を知るということだ。

   *

わたしたちは、世界の秘密について、神がこの世界に隠した無数の珠玉の秘密に関して、ほとんど何も知らない。だのに、地球のことならなんでも知っていると言う顔をして生きている。そして、好き放題のことをやっている。

本当は、地球の秘密の、目には見えないとても大切なことが、かけらでもわかったなら、この世界には、けっしてやってはいけないこと、やりすぎたらいけないこと、やると、あまりにも愚かだということなどが、それはたくさんあることがわかる。今の人間はそういうことはほとんど何も知らないから、その決してやってはいけないこと、やりすぎたらいけないこと、やるとあまりにも愚かだということを、たいてい、とても立派ないいことだと思って、やっているのだ。

人間が立派だと思ってやっていることの中には、少しも立派ではないということが、たくさんある。時に、人間が情熱を傾けて真摯に取り組んでいることの中に、そういうものがあって、そんなのをテレビなどで見ると、わたしはあまりにも苦しくて、目を閉じて顔を背ける。
それが遠い未来なのか、近い未来なのかわからないが、人間はいつしか、その真実に気付かねばならない。それがどういう形で起こるか分からないけれども。

大切なことを知らないと言うことが、どんなに悲劇的な滑稽劇を生むかということを、人間はいつか自分の目で見ねばならない。多分、それはきっと、たまらなく自分が、恥ずかしい。でも、人間は、乗り越えねばならない。

自分が知らな過ぎること、そして誤っていたことがわかったなら、それから逃げたりしないで、まずはそれを自分のよい体験だとしっかり受け止め、新しく学び始めることだ。これは当たり前のことだけれども。人間は知っていることは知っている。でも知らないことは全く知らない。そしてその知らないことは、無限に多い。それをこれから、人間は知らなければならない。

花にも木にも虫にも、小さな動物や、山や川や海にも、もちろん神にも、頭を下げ、教えを請うことだ。彼らはわたしたちの知らないことを知っているから。おもしろいことを教えてくれる。また時には厳しく、間違いを指摘してくれる。本当に知るということがわかったなら、礼義を整えて、この世界にある愛なる者すべてに、頭を下げねばならない。勉強させて下さいと、祈らねばならない。そうすれば、地球上の愛が、人間に様々なことを教えてくれるだろう。

真実を知るのは、惨いかもしれない。たぶん、人は相当に苦しむことだろう。それがいつのことかはわからない。でも、人は知らなければならないのだ。そこを、乗り越えねば、次の段階にいけないのだ。



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