◇銀木犀開花
朝、雨戸を開けたらさっと秋の香りが飛び込んできた。
名付けて「秋告げ香」。香は樹と置き換えても良い。
開花するのは銀の方が金よりも一週間は早い。金木犀の方はちらりと
開花しそうな蕾も見えるが、全体としてはま蕾も固い。
それにしても開花時期は昨年よりも10日も遅い。(昨年のブログ参照)
今年は暑い夏が長く続いた。その影響かもしれない。
咲き始めたら早めに花房を集めて「木犀酒」にする。この間に雨でも降
ったりすると、一年待った望みも水の泡となる。
来週は旅行で3日ほど留守にするが、その間雨など降らないように祈る
ばかり。
銀木犀 1 銀木犀 2
金木犀 1 金木犀 2
<参照>
昨年の木犀開花状況(2007.9.18日ブログ掲載画像)
銀木犀 金木犀
◇「大統領最後の恋」(アンドレイ・クルコフ著前田和泉訳)
2006年8月精興社出版2,800円
翻訳版で631ページ、216章。原書で400ページ近いという大書をやっと読み
切った。厚さが4.7センチある。夜就寝前に寝ころんで本を読むという悪癖が
ある小生にとってはつらい。なかなか一気に読むというわけにはいかず、
1週間くらい掛かったが、稀に見る興味深い読み物である。
この作家、ウクライナのロシア語作家で、生まれはサンクトペテルブルグ(旧レニングラ
ード)。1996年に出した「ペンギンの憂鬱」で世界的ベストセラー(20ケ国語に翻訳)
となった作家である。1961年生まれ。丁度旧ソビェト連邦が崩壊する頃青年
期を迎えた年代である。この小説にも盟主国ロシアの影が時折に出てくる。
<本書の面白さ>
本書の面白さは4つある。
まずは第1点。この小説は3つの時系列で成り立ち、それぞれ異なる時代
の物語が入り混じりながら同時進行して行く。あたかも3つの小説を同時に
読んでいる気になるが、読み進むに従がい、絶妙なハーモニーを持って一つの
小説としての全体像が見え始めて来るという、小説構成の妙が最大の面白
さであろう。
次いで第2点。時代背景がほぼ作者の生きた時代(なぜ、ほぼと言うかと
いえば、20016年という近未来部分があるから)であり、一党支配のソ連崩
壊後の体制的混乱期の様子や、ウクライナという多民族国家の市民生活、男
女の位置関係等々、中々知りえなかった共産党支配体制終焉後の姿が、
何となく伝わってくる。特に主人公が、青年期に、市場経済導入後ソ連経済
を一時支配した経済マフィアらしい組織と係わりを持つ場面があったりして、
興味深い。
第3に上げられるのはミステリ性。どういう経緯で大統領になったのか書か
れていないが、そこいらに居るちょっとちゃらんぽらんな普通の青年が大統
領補佐官に出世し、やがて大統領になって心臓手術を受けてから状況が
どんどん怪しげになっていく。
新しい心臓のドナーの奥さんが、「いつも夫の心臓の傍にいたい」と言い出
して(実はこれが心臓提供の条件だったというのだ。)、官邸の大統領の寝
室の隣に部屋を与えられることになったり、ある日見つけ出した術後の心
臓になにやら電子機器らしいのが写っていて、どうやら政敵の差し金で盗聴
・ペースメーカー(ということはいつでも心臓を停止させられる)が埋め込まれたら
しい。そのうちドナーの奥さんも一味であったことが明らかになるが、大統領と
過ごした数ヶ月の交流の中で後ろめたさを感じた彼女は陰謀の一部を逃亡
先からの手紙で暴露する。
クーデターまがいの政変の後、物語は結局のところハッピーエンドとなるので、
やや呆気ない感じがするが、大統領が経済副大臣の頃からの崇拝者であ
った秘書と最後に結ばれ、どうやら人工授精でわが子を手に出来そうだとい
うところで終わっている。
最後に第4点。東欧人種もなべてこのような諧謔精神が旺盛なのだろう
か。英国人にとって鋭い風刺・ユーモアは紳士の必須条件。フランスでも切れ味
のいいエスプリは尊敬される。アメリカでも自分にしか分からないユーモア・ジョーク
でもこれを交えないとつまらない人としか見てもらえない。このウクライナ生ま
れのロシア語遣いは抑制された諧謔精神で、巧まぬ飄々とした語り口で独裁
者や組織体制や人間を風刺している。
<大統領の人生>
本書の特徴の一つは3時代の物語が同時進行するところ。大胆に大括り
すればいわば青年期、壮年期、熟年期ということになる。
第1期は旧ソ連邦時代末期(1975~92)、第2期はウクライナ独立後の時代
(2002~05)、第3期は近未来(2011~16)。第1期では主人公はまだ16歳。
精神に異常がある双子の弟がいる。22歳でできちゃった婚をしたがすぐに
離婚。すぐ女性と仲良くなるクセがある。母親には「一体いつになったらき
ちんと仕事に就くんだい!?」といつも怒鳴られている。
そのうち弟は精神病院に入院し、そこの女性患者と仲良くなり結婚する。
あろうことか主人公もその姉と仲良くなり、兄弟姉妹同士で同時結婚する
ことに。
主人公はどういうわけか政財界のフィクサーのような人物に見込まれており、
いつの間にか経済省副大臣になっている。
やがて二組の夫婦は共に子供を授かる。スイスで出産するが兄の子は双
子で死産。どうやら異常な精子が多いらしい。妻は精神的に参ってしまい
夫婦間も怪しくなる。「私には連絡しないで。」また離婚である。
ところが兄から財政支援が困難と告げられた弟夫婦は、健常な子を兄に
託して自殺してしまう。
さてここで主人公はいきなり大統領となって登場する。たしか大統領補佐
官として抜擢された(副大臣より偉いのだろうか)のは確かだが、国民選挙
制の大統領職にどういう経緯でなったのか定かではない。
いまや独り者。
寒中水泳と、水風呂と、ウィスキー・ブランディーが好きな寂しがり屋である。
ある日大統領は突然倒れ、心臓交換手術をする。そこにドナーの奥さん
登場。「提供した、死んだ夫の心臓の傍にいる権利がある。」という契約書
に従がって大統領の寝室のすぐ隣に。やがて寂しがり屋の大統領が食事
を共にとったりしているうちに情を通じてしまう(こうした表現はそのうち通
じなくなるかも。)。
経済マフィアの政敵が大統領失脚を狙い種々画策する。この間大統領を
取り巻く人物を、敵か味方かに仕分けるのに大統領が躊躇逡巡するとこ
ろなど、どこでも同じだなと思ってしまう。
ある日見つけた術後の心臓に写るペースメーカーらしい機器。それは盗聴器
でもあり、日頃の会話は逐一政敵の耳に。またペースメーカーの電源のスィッチ
は文字通り大統領の生死の鍵、これを握るのは政敵。
結局まあ忠実な将軍と大統領府長官の活躍で無事に電源函は手元に取
り返すことが出来るのだが、件の政敵に、かつての盟主国ロシアがどの程度
係わっていたのかなどはまさしく藪の中。
紆余曲折のうちに再び大統領職に返り咲いた主人公は、かつて秘書とし
て尽くしてきた女性と一緒になる。人工授精(奇形精子を遠心分離して正
常精子だけを冷凍してあった)で再び子供に恵まれるというハッピーエンドの
お話になっている。
◇浅草から千住宿へ
吾妻橋は赤く塗られている。西へ向かえば浅草寺の雷門である。
丁度時分どきで、橋の袂にある「回る寿司」で昼食をとった。回る寿司は食事
の量を調節できるし、その時食べたいものだけを食べることができてありがたい。
ここの寿司はあわび、平目の縁側、など高級品は置いていない。ちょっと高いも
のといえばせいぜい大とろ、いくら、帆立くらい。まぐろ(赤身・中とろ)、いか、
さんま、鯖、甘エビなど値段も1枚125円から135円辺りで手頃、ネタは新鮮で美
味しかった。サラリーマンらしい人たちも大体こんなところで5・6枚重ねている。
店の名は・・・教えない。
腹はくちくなったが回る寿司で長居は出来ないので、土手に上がって隅田公園
で一休みと思ったが、ベンチは残らずホームレスと思しきおじさん達に占拠され
ていて座る余地も無い。ということでもなく一人分位は空いているが、何しろ近く
に座ったら直ちに微生物やなにやらに侵され、得体の知れない臭いにたちどこ
ろに汚染されそうで躊躇してしまう。折角の都民の憩いの場所もこうして特定の
人たちに独占使用されていては実にもったいない。
止む無く土手の石垣の上で休むしかなかった。
隅田公園の木陰を選んで歩く。本来はもう1本西側が旧水戸街道であるが、前
回も歩いているので今回は土手を歩く。言問橋を過ぎ、花川戸から桜橋に至る。
この桜橋では、花見時に余りの人出で殆ど立ち往生した記憶がある。比較的新
しい橋で、優雅な造りで親しまれている。
土手の桜の樹の下で、持参のお弁当を広げているおばさんが居た。なかなか
優雅なお昼である。
隅田公園 言問橋 桜橋
桜橋センター部分
桜橋から少し戻って、本来の街道に復帰する。
「山谷掘」はその昔吉原まで続いており、この堀を船で吉原に乗り込むの
は吉原お大尽遊び気分を満喫できる贅沢なものであったらしい。今は埋め
立てられ、桜の木は植わっているものの、余り風情は無い。ここにもホーム
レスが寝転がっていた。
「待乳山聖天」のを右に見て旧街道に出る。
かつてニコヨンなどという言葉が生きていて、山谷暴動などがあった頃は殺
伐とした雰囲気だったような気がするが、今時の特に日中ではそんな雰囲
気はない。ただ相部屋1人1泊1,500円、1人部屋2,500円とか、やや立派な
つくりでは1泊1人5,000円といった宿が並んでおり昔をしのばせる。今では
安いお宿として外国からのバックパッカーが重宝しているとか。
「泪橋」を抜ける。目にさんずいの泪は、当たり前の涙と違って、情に満
ち満ちている。小塚原の刑場にひかれる罪人の身内などはここで泪ながら
に別れを惜しんだに違いない。東海道品川宿の先にある立会川に架かる
「浜川橋」は別名「泪橋」と呼ばれている。やはり「鈴ケ森の刑場」があったと
ころである。
埋め立てた山谷堀跡 待乳山聖天 泪橋(橋はない)
このまま進むと南千住の跨線橋を渡ることになる。
橋を渡ると線路脇に「延命寺」がある。旧くは磔、獄門、火炙りなどはの
重罪人の処刑は、品川の鈴ケ森と日本橋本庁の浅草刑場で行われていた。
後者は鳥越、聖天町と次第に郊外に移され、ついに小塚原に至った。
小塚原のお仕置き場は間口60間余、奥行40間余。ここで処刑された罪
人はおよそ20万人にも及ぶという。屍体の埋葬は土を浅く掘って埋めるだ
けで、野犬が屍体を貪る様は目を覆うばかりの惨状であったという。
延命寺は小塚原刑場の跡地であり、寺境内に首切り地蔵を祀る。
延命寺 首切り地蔵 小塚原回向院
延命寺の少し先、左側に「小塚原回向院」がある。寛文2年(1662)両国の
回向院の墓が手狭になったことから、時の住職譽義観が一庵を建てた。小
塚原回向院の始まりである。
杉田玄白と前野良沢が著した「解体新書」は有名であるが、実際に腑分け
をしてみて、オランダの解剖書の正確さに剥目し驚いたのはここである。昭
和34年、日本医学会、日本医師会、日本医史学会などが杉田・前野らの
偉業を讃えて建立した「観臓記念の碑」がある。
当時は重罪人といえば江戸幕府など時の権力者に盾突いて仕置きされた
国事犯も多かった。「小塚原烈士遺墳再建会」という団体が、境内の一角を
仕切って、断罪されたこれら国事犯等の墓を建て旧きを偲んでいる。
墓は吉田松陰、頼三樹三郎、橋本佐内など安政の大獄で斬首の刑に処せ
られた尊王の志士のほか、桜田門で井伊直弼を襲った水戸浪士の墓などが
ある。吉田松陰は小伝馬町の刑場で斬首されたが、ここ小塚原回向院に葬
られた。
義賊とされた鼠小僧次郎吉、毒婦高橋お伝、直侍こと片岡直次郎などの墓
もある。
観臓記念碑 吉田松陰墓 頼三樹三郎墓 橋本左内墓
高橋お伝等の墓
南千住駅は東側が再開発で近代的な高層マンションが立ち並び、見違える
ような光景であるが、西側の旧街道の街並みはなんとも垢抜けないというか
昔ながらの下町の雰囲気が色濃く残っていて面白い。
やがて道は喧騒極める国道4号にぶつかる。信号脇に「スサノオ(素盞雄)
神社」がある。延暦14年(795)創建であり、芭蕉の「奥の細道」千住旅立ち
の句、「行くはるや鳥啼魚の目はなみだ」の句碑がある。
素盞雄神社
千住大橋は家康江戸入府で、いの一番に架けた橋、長さ66間、(120m)、
幅4間(7.3m)の木橋であった。当時は堂々たる橋で大橋と呼ばれたが、
その後隅田川にも大橋がいくつか出来て、その後「千住の大橋」と呼ばれ
るようになった。この橋の上流を荒川、下流を隅田川と呼んだ。
千住大橋北詰に芭蕉旅立ちを記念した碑が立っている。
千住大橋 奥の細道矢立の碑 奥の細道行程図
千住河原の三叉路の右に入る道が日光(水戸)街道で、ポケットパークが
あって、芭蕉の立像が立っている。
芭蕉の立像の台座は「やっちゃ場」の敷石とか
ここいらから宿場らしさが出てきて、50mくらい進んで右に入る道を行くと
昔「やっちゃ場」と呼ばれた青果市場跡。今も「東京中央卸売市場足立市場」
である。
家々に屋号の札が下がっている。 足立市場
墨堤通りを渡り更に進むと、左手にモダンな高層ビルが。「東京芸術
センター」とある。日本芸術センター(神戸と東京に拠点がある)の東京
センターということでハローワークなども入居する複合施設である。
その右手には「東京藝術大学」千住キャンパス。いずれも4年前日光街道
を歩いて時には影も形もなかった施設で、前者は2006年4月、後者は
2006年9月オープンとのこと。
どちらかというといかにも足立区~と、東京の外れという感じが濃厚な
地域であったが、少なくとも北千住駅周辺は今や大変身を遂げつつあ
る。
東京芸術センター。21・22階(地上90m)には天空劇場がある。
今回はここまで。
◇秋風とともに旧街道へ
奥州道中を最後に、五街道を完全踏破してから早くも半年経った。相棒は「近
頃膝が・・・。」などと言っているが、歩き癖が付いたのか、何処か歩きたいと言っ
ている。どうせならはっきりした目的があったほうがいいだろうと「旧水戸街道」を
歩いてみることにした。何よりも柏を通るという身近さがいい。
旧水戸街道は日本橋からおよそ30里(120キロ)。20の宿場があった。五街道
(東海道・中山道・甲州・日光・奥州)は幕府の直轄街道であるが、水戸街道も徳
川家康の第11子頼房が水戸に封ぜられたことから、重要街道として万治3年
(1660)以来松戸まで道中奉行の管轄下にあった。正式には「水戸佐倉道」と
いって、今の葛飾区「新宿(にいじゅく)」で水戸道と佐倉道(佐倉街道)が分かれ
る。
水戸街道を往来した大名は水戸の徳川を初め土浦の土屋、笠間の牧野、磐城
平の安藤、牛久の山口、府中の松平、宍戸の松平など14家。仙台伊達藩など普
段奥州道中を使って参勤交代した大名も、水戸街道を使うことが多かったらしく、
文政5年(1822)には23家が水戸街道を利用したという。
◇日本橋から浅草へ
日本の主要国道の基点は日本橋にある。したがって日本橋の橋中央に道路
原標が埋め込まれているが、車の中を掻き分けて見るということが出来ないの
で、橋の北詰に道路原標の複製が置かれている。
水戸街道は途中まで日光道中(街道)と重なり、千住新橋手前で分かれる。
日本橋 高札場跡 邪魔な高速道路 道路原標
おいしそうな和菓子があった。 日本橋屋長兵衛 日本橋三越 刃物の木屋
日本橋三越前を左にみて三井信託前で右に曲がる。首都高の下をくぐって
やがて横山町の繊維問屋街にはいる。見たところ値段は安いが、素人さんは
相手にしない。看板にはそう書いてあるが、縁故のある素人さんらしい人が出
入りしているので、もしかしたらあまり厳密ではないかもしれない。
横山町で国道14号を渡ると浅草橋。神田川が隅田川に流れ込むところで、多
くの船宿があり、観光屋形船が舫っている。
浅草橋駅近辺は人形を商う大きな店舗が並んでいる。
その先には昔ながらの花火屋さんがあって、懐かしい紙風船や万華鏡なども
売っていた。紙風船は富山の置き売薬屋さんがよくサービスに置いていったもの
だ。団扇や提灯などまつりグッズ専門のお店もあった。
横山町の卸問屋 浅草橋の屋形船
浅草橋 紙風船セット400円 花火専門店
お祭りグッズ専門店
蔵前を越えて駒形に向かうと、なんと「肉屋の正直な食堂」とあるお店。
偽装ばやりの昨今のご時勢に、「正直な」と書いて中身の肉を保証しなければ
という切ない気持ちが伝わってくる。800円のステーキにちょっと誘惑されかかった
がまだお昼前。がまんがまん。
さて、その隣の本屋さん。「御蔵前書房」と名前は出版社並だが、見たところ
古本屋さん、正面から見ると明らかに建物全体が傾いでいる。取り壊し命令が
出ないうちに何とかした方がよろしいのでは。
やがて「うなぎの前川」という立派なうなぎやさんの店があり、その向かいに
やはり有名な「駒形どぜう」がある。総評は享和元年(1801)。吉原で遊び朝帰
りの客がいの一番に乗り込んできて柳川鍋などを楽しんだという。
駒形橋を右手に見て進むとまもなく吾妻橋。いまや東京でも有数の観光地で
あり、外国人が多く行き交っている。
正直な食堂 厩橋 駒形の「どぜう」
駒形橋 吾妻橋
(次回は「浅草から千住宿へ」)
◇到来ものの十全茄子
近所の知人宅から頂いた十全茄子がある。「新潟出身なら食べ方を知っている
と思って」というご親切だが、見ると昔見た十全茄子にしてはいかにも大きい。直
径が4・5センチある。
新潟では、夏になるとたいていの家で十全茄子を漬ける。食事にはこの漬物がど
んぶりに山と盛られて、飽きるほど食べたものだ。この茄子は小ぶりの鶏卵くらい
の大きさで、たいていは丸ごと食べたものである。半分にしても食べるが、もちろ
ん丸ごとのほうが抜群にうまい。
Webページで見ると、この茄子は越後特産の「黒十全茄子」と呼ぶらしい。
頂いた茄子は、見たところ関西で水ナスと呼ぶ種類のような気がするが、「十全
茄子」だというので懐かしい漬物を作ってみようと思ったが、昔はもっぱら食べる
ほうに回っていたので漬け方が分からない。Jターンして魚沼市で生活している弟に
聞けば、と思ったが、先日パソコンの無線ランのことで時間を取らせたこともあってや
や電話しにくいので、インターネットのお世話になることにした。
十全茄子の漬物を売るご商売の宣伝ページが多いが、中にレシピらしいのがあっ
て、お手本にした。
これが戴いた「十全茄子」。手前にあるのは我が畑で出来た普通の長茄子。
(普通頭にこんな腫瘍のようなものない筈だが・・・。)
①あまりに大きいのでうまく漬からないと思い4つの切り目を入れた。
②塩20g、砂糖3g(柔らかく漬かるらしい。)、焼き明礬2gをまぶして
およそ1合の水を入れて混ぜる。(ついでに長茄子も入れたが、これが
少し余計もんだったかもしれない。)
③よく混ざったら200cc位の水(沸かして滅菌し冷ましたものを使った)
を加える。
④茄子が水から顔を出していないことを確かめて重石を載せる。
さて、一晩で漬かるというので、翌朝期待を込めて重石を取って切れ目を
開けてみたが、あまり漬かりが良くない。塩加減をもっと強くしたほうが良か
ったのかもしれない。追加した長茄子に塩分が取られたのかも。
食べるときに、しょうゆを少々振りかけた方がおいしい。その程度の塩加減
が丁度「いい塩梅だ」といっているので、まあこれでもいいか。
塩加減はともかく、十全茄子は実の肌理が細やかで、種も小さい。皮も普
通の茄子よりもやや薄いので漬物としてはもってこいである。
ナス紺の見事な色に漬かりあがった十全茄子。
新潟の田舎で小ぶりの十全茄子をどんぶり一杯に盛って、冷たいビールを
楽しんだ頃が懐かしくなってきた。