千尋の闇(上・下)
(原題:PAST CARING 作者:Robert Goddard 創元推理文庫1996年)
近隣センターの図書館でふと手にしたRobert Goddardの作品。正直言うと題名がちょっと変わっていてちょっと興味を持ったものの、後ろの惹句を読むと舞台が英国であり時代設定が1900年代初めということで少々腰が引けたが、二重底、三重底の構成との紹介にのって読み進んだ。若島正氏の「解説」にあるように読み始めたら引きずり込まれ、文庫版上・下822ページの長編を一気に読んだ。(千尋は「ちいろ」と読む)
ゴダードの最大の特徴は、迷宮を思わせるような錯綜を極めた複雑なプロットである(若島氏)。これほどの長編にかかわらず、細部にわたって緻密に・有機的に関連付けられていて無駄がない。チャーチルやロイドジョージが登場する政界の動きもプロットの重要な背景である。サスペンスがあるが、男女の愛の強さと弱さと儚さが綾織のように物語の流れを貫いているし、英国の田園風景も情景が浮かぶ。ゴダードは「ダフネ・デュ・モーリア(「レベッカ」の作者)のロマンスとジョン・ル・カレ(スパイ小説中心)のスリラーを併せ持つサスペンス」と評されるという(最も若島氏にとってはどちらにも似ていない、似ているとすればその小説の長さだという。)。こうした精巧に構築された小説を読むと、日本の通俗小説は何とも歯応えがなくて、つい翻訳ものに手が伸びてしまう。9編の作品が上梓されているが本篇はその第一作目。
9/10の水彩画教室は巨匠の鉛筆画で「線の表現」
を学びました。
明治の初め。工部美術学校が設立され、イタリアから
フォンタネージュが招かれて指導に当たった、未だ日本
の洋画界の揺籃期です。その頃の学生の一人、
小山正太郎の鉛筆画「木下川村古隅田川」(1905)
です。当時は鉛筆画を徹底的に学び、一定水準に
達してから初めて彩色を許されたそうです。
丁寧に観察し鉛筆の線だけで質感・量感を出し、
色彩さえ感じさせる。さすが巨匠だと思います。
よく見るとしかるべき部分はきちんと叢の葉っぱ
まで描きこんでいます。
鹿子木孟郎の「府中・雛争穀」(1893)は構図の
確かさと、緻密な観察、描写がやはり迫力を持って
迫ってきます。私のような未熟者が描くと、ややも
すれば屋根と柱と窓と造作と周辺の木々などが、て
んでんばらばらになって、安定感のない絵になって
しまいますが、さすが巨匠は違うと思います。
を学びました。
明治の初め。工部美術学校が設立され、イタリアから
フォンタネージュが招かれて指導に当たった、未だ日本
の洋画界の揺籃期です。その頃の学生の一人、
小山正太郎の鉛筆画「木下川村古隅田川」(1905)
です。当時は鉛筆画を徹底的に学び、一定水準に
達してから初めて彩色を許されたそうです。
丁寧に観察し鉛筆の線だけで質感・量感を出し、
色彩さえ感じさせる。さすが巨匠だと思います。
よく見るとしかるべき部分はきちんと叢の葉っぱ
まで描きこんでいます。
鹿子木孟郎の「府中・雛争穀」(1893)は構図の
確かさと、緻密な観察、描写がやはり迫力を持って
迫ってきます。私のような未熟者が描くと、ややも
すれば屋根と柱と窓と造作と周辺の木々などが、て
んでんばらばらになって、安定感のない絵になって
しまいますが、さすが巨匠は違うと思います。