◇ 今年二度目の伊豆旅行
1月に熱川温泉に出かけ、今年2度目の伊豆旅行。
たいてい東京から「アクティ」に乗って(ビールを飲みながら本を読むのが楽しみでgreen使用)、
熱海からは「リゾート号」に乗る。
「リゾート21」は普通車(特別の料金は取らない)ながら観光路線らしく大半の座席をオーシャン
フロントに、先頭車両は進行方向に座席が傾斜した展望車にしてある。観光客の人気は高い。
リゾート21号は3種類(「アルファ・リゾート21」、「黒船電車」、「リゾート・ドルフィン号」)あって、それぞれ月
ごとの運行時間が決まっている。
今回は熱海を12:32に出る「リゾート・ドルフィン号」に乗った。
座席はほぼ満杯。隣に海外からの夫婦が座っていて、せっかくに機会だから会話してみたらと家
人に言ったら「・・・」。どうも英語圏の人に見えなかったので、勉強になりそうもないと思ったのか。
旅行では滅多に雨に合わない二人だが今回は珍しく雨続き。
下田の「黒船ホテル」は老舗のホテルで、ロケーションが良く眺望は満点(8F)、ロビーなどもそれな
りの趣もあり接遇も文句はないが、いまどきのセンスからするとやや時代掛っていて、いいうちの育ち
ながら年老いた老嬢(オールドミス)といった感じが否めない。
下田は歴史的には重要な地。1854年(嘉永7年)頑なに閉ざしてきた「鎖国」の重い扉を、亜米
利加のペリー率いる艦隊に強引にこじ開けられた。下田港桟橋の一角に3分の一の大きさながら
「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯(隻)で夜も寝られず」の外輪帆船を模した観光
船「サスケハナ号」がもやっている。
市内には「玉泉寺」(初代アメリカ総領事ハリスが領事館とした寺)、「了仙寺」(日米下田条約締
結の地)、「宝福寺」(山内容堂と勝海舟の会見、坂本竜馬飛翔の地、唐人お吉菩提寺)など歴史
的建造物が多い。
下田からの帰りは10:22「リゾート21・黒船電車」。先頭車両の展望車に乗ったが、雨で魅力半減。
(以上この項終わり)
◇ 国立新美術館でセザンヌ展
3月28日から6月11日まで、国立新美術館で「セザンヌ―パリとプロヴァンス―」を開催中。
国立新美術館と日本経済新聞の主催。フランス大使館が後援している。
日本人にとってお気に入りの印象派、とりわけセザンヌは人気の画家なので、世界中の著
名な美術館や個人蔵の作品をおよそ90点そろえた展示会はさぞごった返していると思った
が、それほど混んではおらず、およそ1時間半ゆっくりと鑑賞出来た。
セザンヌと言えば必ず話題になる「サント=ヴィクトワール山」のいくつかの表情の作品、珍
しい自画像、奔放な色彩の躍動した「大きな松と赤い大地」、遺作となった「庭師ヴァリエ」、
「藁飾りの壺、砂糖壺とりんご」などなど。
セザンヌのアトリエを再現し、愛用のパレットや30年に渡ってモティーフとして使用したラム
酒の瓶、砂糖壺、水差し、花瓶、それらを乗せた机なども展示されていたのが印象的だった。
これまで気が付かなかったけど、キャンバスに白色を塗り、塗り残しを効果的に生かしてい
ること、絵具を薄めにして、重ね塗りの効果を出していることなど、油彩に水彩画の技法を取
り込んでいる(実際水彩画も数点あったが)などの新しい発見があった。
その日の日経朝刊の『春秋』では、セザンヌの言葉として「画家は、自らのうちで先入主の
声をすっかり黙らせなくてはいけない」(「絶対の探究者」山梨俊夫遍約より)と紹介し、画家
(セザンヌ)が徹底して想像力や先入観を嫌ったのはどの絵にも見て取れるとしている。私
にはそれほどの鑑賞眼はないが、絵を描くに当たって立先入観ほど大敵はいないというこ
とは分かる。
巨匠セザンヌの絵画展をご紹介した後に、手すさびに水彩画を描いている一市井人の描
いた絵をご披露するのはいささか気恥かしいが、先月描いた静物画をご覧ください。
花の種類は知りません。
(以上この項終わり)
◇ 24年4月19日の手賀沼
水彩画教室では毎月第三木曜日辺りに屋外で写生をしようということになっている。
ところがなかなか集まらない。当日天気があまり良くないと途端に集まりが悪くなる。
今日は曇り。だから4人しか集まらなかった。
今日は「柏ふるさと公園」周辺。我が家から自転車で30分。
桜はほとんど散って葉桜である。
時折冷たい北風が吹いた。しかも手賀沼を渡る風は冷たい。
久しぶりに水辺の風景を描いた。それにしても寒い。
風景の印象をしっかり脳裏に焼き付け、念のためカメラに様子を納め、2時間ほどで引き上げた。
春先のけぶるようなパステル調の木々の色合いと空気がそのまま画用紙に移って、ややぼけた
感じになってしまった。新緑と枯れ切ったがまの原が対照的である。
釣り人と散策の人を取り込んだが色合いが単調になって締まらない。
遠いので種類はよく分からないが、まだ咲いている桜があった。
◇ 『空白の叫び』著者:貫井徳郎 2006.9 小学館 刊
貫井徳郎:1968年生まれで、作家デビューは長編推理小説『慟哭』。2度直木賞候補にあがった。
この作品のテーマは少年犯罪。
14歳未満の少年は刑法において「罰せられない」こととされている。未成年者の犯罪は家庭裁判所
において保護更生処置がとられるのが原則である。未成年者は人格が未成熟で非行少年でも更生
の余地が大きいとの考えだ。刑事法令に触れる非行行為のあった少年が14歳未満であれば「触法
少年」として罪に問われない。意味もわからずに行った行為の責任を取らせ罰しても、教育・更生に
役立たないという考え方である。しかし少年法で例外規定があって、年齢が16歳未満であれば刑事
罰を問わないこととされていた。家裁の判断で検察官への逆送が出来なかった。近年少年犯罪が成
人と変わらないほど凶悪化し、「16歳未満なら何をやっても罰せられない。やるなら今のうち」などと
いった不埒な少年が増えている現状では16歳未満も責任能力ありと認めるべきとし、2000年の少
年法改正で逆送で刑事責任を問われる年齢を従来の16歳以上から14歳以上に引き下げられ、刑
罰の種類・刑期の弾力化等も厳しくされた。
3人の少年がいる。葛城、久藤、神原。
それぞれ家庭環境も性格も異なる。友達がいたりいなかったり。そんな3人はいじめなどの加害者
であり、被害者であったりする。3人とも中学生であるが、それぞれがいろんなきっかけで殺人(実の
母親、女性教師、幼馴染の家僕の息子)を犯し、家裁審判をうけ少年院に送られた。
殺人を犯しても14歳未満なら保護前置主義のわが国では逆送致はない(この作品が書かれたこ
ろはまだ少年法改正前)。もっとも16歳以上でも家裁が逆送致するのはせいぜい2~3割らしい。
少年院での教育はおよそ1年。懲罰で独居房に入れられるほかは原則4人部屋。当然成人の刑務所
と同じように牢名主のような人物が存在し、弱い奴は疎外されいじめに会う。同室だから陰湿・暴力的
である。教官に申告してもまともに取り上げずかえって卒院が遅れる羽目になる。
過酷な保護矯正ののち卒院(刑務所なら出所)した3人は、世間の冷たい目を避けながら普通の生活
に戻ろうと努力するが、親も親戚も世間の好奇、非難、揶揄、嘲笑、憐憫・・・を受ければやはり今までと
同じというわけにはいかない。関係を断ち切るかのように避け始める。次第に追い詰められていく少年
たち。
(以上上巻)
卒院した3人は思いもかけなかったことを企む。銀行強盗。なぜ彼らはまた罪を犯すのか。
身内にも疎まれた彼らは、疎外感に居たたまれずたがいに連絡を取り合うようになる。せっかく見つけた
バイト先に不可解な嫌がらせが入り辞めさせられる。
そのうちに少年院仲間の5人は、久藤の友人Mから銀行強盗を誘われる。
銀行強盗の計画は中学生にしてはいかにも緻密にして大胆。実行段階では緊迫感に満ちていて、主
題の「14~16歳の少年の犯罪は刑罪の対象にしなくてもよいのか」を忘れてしまいそうだ。
事実上のリーダー格葛城は、何ものにも動揺させられない植物のような心頭を滅却した心境にある。
銀行強盗も自己嫌悪、現世からの離脱を実現する手立てと思っているので至極冷静に事を運ぶ。
ことは成功し見事に3億円をせしめるが・・・。
ここで作者の「犯罪少年に対する考え」が、最愛の娘(女教師)を殺された父親を通して語られる。
久藤に娘を殺された父親は、久藤を前に怨念を切々と語る。マスコミや世間が加害者が少年であるこ
とから加害者はそっちのけで、被害者の女教師が中学生の教え子を毒牙に掛けたと書きたてられ、二
重三重の被害を受けるという、被害者と加害者が逆転されたあしらいを受けることの怖さ・無念さを述べ
る。しかし怨念は少年加害者をそのままでは済まさせない行動をとらせる。教え子だった少年院の教官
にいじめを頼み、卒院してもバイト先や住まいに嫌がらせを続け、犯した罪を決して許さない。
犯罪少年の心の闇。などと識者は訳知り顔に一言で片づける。作者は殺人者久藤を通じて、時々湧き
上がる「瘴気」と説明する。
瘴気とは狂気のようなものだ。衝動は少年でも成人でも同じように起きる。多分「瘴気」も。ならば道理も
分からないこどもだからと言って、罪を問わずに少年院に入れるだけで済むのか。教導・更生と言っても、
僅か1年くらいで更生できる保証はない。むしろ新しい犯罪手口やあやしげな友人を作って犯罪予備軍に
仲間入りすることも考えられる。被害者と相応の苦しみを味わわせたいという被害者家族などの応報感覚
も無視できまい。なかなか難しいところで、この作品でも確たる結論には至っていないような気がする。
(以上この項終わり)